笑いは落ちている
第3話
「笑いは落ちている」
2060年代。
AIが作ったネタが、当たり前のように劇場を埋める時代。
構成は完璧。
間も計算済み。
客層ごとの反応まで予測されている。
それでも、爆笑発電所の看板タレント、M&Y――青柳光子と柳川優子だけは違っていた。
台本は一切使わない。
その日、そこにいる観客の空気を読み、会話を拾い、瞬間でボケとツッコミに変える。
しかも劇場は常に満員。
音楽ユニット・ファイブピーチ★としても数多くの楽曲をヒットさせ、笑いも音楽も、人間の手で生み出すことにこだわり続けている。
笠木珠江にとって、光子と優子、そしてファイブピーチ★のメンバーは憧れだった。
「台本なしで、あんだけ笑い取るって……どうなってんねやろ」
珠江は、楽屋の隅で配信映像を見つめていた。
画面の中のM&Yは、観客の何気ない一言を拾い、ほんの数秒で客席全体を爆笑に変えている。
無理に笑わせている感じがない。
拾っている。
受け取っている。
返している。
珠江はネタ帳を開いた。
自分も、ネタは拾っているつもりだった。
最終電車の酔っ払い。
路地裏の猫の喧嘩。
父・勝一のぼやき。
母・美沙子の鋭い返し。
弟・一郎の新人商社マンとしての情けない日常。
笑いは確かに落ちている。
でも、それを舞台で爆笑に変えられない。
その差が、珠江には悔しかった。
「見えてるのに……拾えてへんのかな」
その夜、珠江はいつもの劇場に立つ。
ネタは前日に仕込んだ「最終電車と猫の恋」。
手応えはある。
自信もあった。
けれど客席の反応は、思ったほど伸びない。
数人は笑う。
でも、大きな波にならない。
珠江は舞台上で一瞬だけ迷う。
ここでAIネタなら、もっと強いオチを入れる。
もっと分かりやすく、もっと鋭く、もっと確実に笑いを取りにいく。
でも珠江は、客席の奥を見た。
一人の女性が、静かに笑っていた。
大爆笑ではない。
でも、確かに笑っていた。
珠江はその笑顔に気づく。
そして、用意していた流れを少しだけ変えた。
「今、奥のお姉さんだけ分かってくれましたね。ありがとうございます。猫の恋愛事情って、人間よりだいぶ潔いんですよ。本命に逃げられても、残った二匹でまだ揉めるんです。あれ、恋やなくて会議です」
客席から、少し笑いが起きた。
珠江は続ける。
「うちの弟も会社で毎日会議してますけど、本人いわく“何を決めたか分からんけど疲れた”らしいです。猫も商社マンも、議事録だけはAIに任せた方がええ」
今度は、さっきより大きく笑いが起きた。
珠江は息を吸う。
少しだけ、分かった気がした。
笑いは落ちている。
でも、拾うだけでは足りない。
その場にいる誰かへ渡して、初めて笑いになる。
終演後、珠江は楽屋でネタ帳に書く。
「笑いは拾うもの。でも、届ける相手を間違えたら、ただのメモになる」
スマホには、M&Yの満員ライブ映像が流れている。
光子が客席を見ながら、即興で言う。
「笑いはな、落ちてるんやない。人の顔に書いてあるんよ」
優子がすぐに返す。
「せやけど、読めん人が読んだら、ただの落書きたい」
客席は爆笑。
珠江は悔しそうに笑う。
「……やっぱり、すごいわ」
そして、ネタ帳の最後にこう書いた。
「見えてるのに、拾えないものがある。けど、見ようとせんかったら、一生拾われへん」
第3話は、珠江が“ネタを拾う芸人”から、“人を見る芸人”へ少しだけ進む回になる。




