一人のための舞台
第22話
「一人のための舞台」
その日、珠江はテレビで野球のハイライトを見ていた。
「バッファローズ、今日も勝ったんかいな」
豪快なホームラン。
150キロを超えるストレート。
スローモーションで映る、バットとボールの衝突。
珠江はふと、リモコンを止めた。
「……これ、ボールとバットの気持ちになったら、おもろいんちゃうか」
ネタ帳を開く。
《ボールの気持ち》
《バットの気持ち》
《衝突の瞬間》
珠江は一人でアフレコを始めた。
「どうも、ボールです。今日も150キロ出されました。空気切り裂いてます。でも正直、行き先知らされてません」
自分で少し笑う。
次にバット。
「どうも、バットです。振られてます。選手の腕次第で人生変わります。だいたい急に来るんで心の準備できてません」
珠江は続ける。
「ボールが言うんです。“お前ら、打つ前提で待ってるやろ?”って。バットが返すんです。“そっちこそ当たる前提で来てるやろ?”って」
少しずつ形が見えてくる。
《ボール=投げられる側の不安》
《バット=振られる側の理不尽》
《どっちも痛い》
珠江は笑いながら書いた。
「ボールが言う。“いや、150キロやで?そんなん顔面に来たら終わりやん”
バットが返す。“こっちもな、あんなん真正面から受け止めたら手ぇしびれんねん”」
珠江はペンを止めた。
「これ……いけるかもしれん」
でも、ふと思い出す。
師匠の言葉。
光子と優子の言葉。
“誰か一人のために話す”
その夜、珠江は劇場ではなく、涼子の部屋を訪れた。
「ちょっと、ネタ見てくれへん?」
涼子は少し驚きながらも頷いた。
「はい」
珠江は、リビングの真ん中に立った。
舞台ではない。
照明もない。
客席もない。
目の前にいるのは、涼子一人。
珠江は深呼吸した。
(この人のために話す)
「どうも、笠木珠江です。今日は野球見てて思ったんですけど……ボールとバットって、どっちもめっちゃ被害者やと思うんです」
涼子が少しだけ笑う。
珠江は続ける。
「ボールから言わせてもらうと、“いやいや、150キロで飛ばされてますけど?人生のスピード違反してますけど?”って」
涼子の口元が緩む。
「ほんでバットも言うんです。“こっちも急に振られてますけど?あんな硬いもん真正面から受けて、無傷なわけないやろ”って」
涼子が、声を出して笑った。
珠江は少し驚く。
(今、ちゃんと届いた)
珠江はさらに続ける。
「で、ついにボールとバットが喧嘩するんです。“お前が来るから痛いんや!”って。“そっちが来るからやろ!”って」
涼子は笑いながら言う。
「どっちも悪くないですよね」
珠江も笑う。
「そうなんです。どっちも被害者やのに、結果だけ見たらホームランか三振かで評価されるんです」
涼子の笑いが少し落ち着く。
珠江は一拍置いた。
「でも、あの一瞬で、どっちも全力出してるんです。痛い思いしてでも、ちゃんと役目をやってる」
涼子は静かに聞いていた。
「人も似てるなって思いました。うまくいかん日もあるし、ぶつかって痛い日もある。でも、その場その場でちゃんとやってる」
珠江は少し照れたように笑った。
「まあ、私はよく空振りして関空まで飛んでいきますけど」
涼子が、また笑った。
今度は、はっきりとした笑いだった。
珠江は、その笑いを見て、胸の奥がじんわりと温かくなった。
大きな爆笑じゃない。
でも、確かにこの人に届いた。
涼子は少し息を整えて言った。
「……すごく、よかったです」
「ほんま?」
「はい。なんか、今日ちょっと元気になりました」
珠江は、何も言えなかった。
ただ、少しだけ目を伏せた。
(これでええんや)
その帰り道。
珠江は南海電車に乗り、ネタ帳を開いた。
《一人のために話す》
《ボールとバットも、それぞれ必死》
《結果だけで見たら分からない》
《笑いは、一人に届けば成立する》
《声が届いた瞬間は、ちゃんと分かる》
そして最後に書いた。
《今日は一人に届いた。それでいい》
珠江は窓の外を見た。
夜の街が流れていく。
速くない。
でも、確かに前に進んでいる。
⸻
次回予告
第23話「広がらない笑い」
一人に届いた手応えを感じた珠江。
しかし、劇場では再び現実に直面する。
笑いは取れている。
でも、広がらない。
バズらない。
切り抜かれない。
数字にならない。
次回、第23話
「広がらない笑い」
届いているのに、広がらない笑いは、価値がないのか。




