7.ソルとノーチェ
夜は静まり返り、パソコンの画面だけが淡く光を放っている。日本本部の本部長、小泉蒼一郎を急襲し打ち倒した後、新幹線で福岡へ渡り、そこから船で香月は国境を越えた。現在は韓国・釜山の郊外にある一軒家に身を潜めている。
ここは人形師の工房──いや、アジトのひとつだった。
抹殺指定を受けた世界的なはぐれ魔術師、人形師。その正体は他世界線の未来から来た『もうひとりの自分』だった。解析魔術──いや記憶剽窃で同化した際に得た記憶を頼りに、この場所へ辿り着いた。
不思議な感覚だった。これまで記憶剽窃で他人の記憶を覗き込んだりはしたものの、そこに流れ込んでくる感情や思考は、常に「他人のもの」として一線を引いて受け止めてきた。
だが今回は違う。
壁の染み、床板の軋み、埃の匂い。
どれもが初めて訪れたはずの場所なのに、指先が覚えている。足は迷わずここに辿り着いた。
まるで最初から自分自身の記憶だったかのような錯覚。その感覚が、背骨に沿ってじわりと広がっていくようだった。
机の上のモニターには、数日前に投稿した暗号メッセージへの返答のスクリーンショットが映し出されている。多少の時間はかかったが、予想通り返事は来た。ゲーム実況生配信中に配信ジャックという手法には驚いたが、SNSの騒がしく話題になったお陰で気付く事ができた。
パッと目についたのは文末に並ぶ数字列──1052167・11014だ。
どうしても真っ先に伝えたい事があったとばかりにその数字列は、まるで置き手紙のように無防備に添えられていた。
「……ははっ、今回のはポケベル語かよ。相変わらず妙な所から出典して来やがるな。変わり者達め。スペイン人のくせに何で知ってんだよ」
日本でかつて使われていた、古めかしい暗号めいた言語だ。送り主からの遊びを含んだメッセージだった。
『どこにいるの? 会いたいよ』
会いたがっている様子が伺えるメッセージだ。言葉の主はノーチェだろうか、それともソルだろうか。どちらにせよ、本題のメッセージは暗号の中に潜んでいる。
香月は目を細め、口元に微かな笑みを浮かべる。
「……久しぶりの遊びだな」
机の脇には、Hidden Leaf Story海外版コミックスの28巻が置いてある。どうやら人形師──他の世界線の自分が用意してくれた物らしい。クレアの持っていた物と同じウィズメディア発行版だ。
「……わざわざ用意してくれてるなんて、手間が省けるな」
そんな事を今は亡き他世界線の自分に向けて言う。何か妙な感覚だった。
だが、これは解読の鍵なのだ。
魔術協会標準の暗号解読法で導き出した数列の順番を、このコミックスと照合していくと、隠された真のメッセージが浮かび上がってくる。
配信で届いた文章は、魔術学院時代に同級生であるコルテス兄妹とよくやった『秘密のやり取り』の延長だ。
ソル・コルテスとノーチェ・コルテス。スペイン出身の双子の兄妹。
在学中から、世界的に現在使われている情報統制サーバーの新システムの基盤を組み上げた天才プログラマーであり凄腕の魔道具技師だ。彼らは学院でも一際目立つ変わり者の二人だった。卒業後は協会に属さず、独自のプログラム提供で莫大な資金を得てはぐれ魔術師として気ままに暮らしている──と噂に聞く。
香月とは学院時代に交流があったが、奇跡管理部に所属してからは疎遠になっていた。それでも、彼らなら匿名掲示板に紛れ込ませた代替現実ゲームめいた暗号に必ず応じてくれると信じていた。
香月の側から送ったメッセージは、冒頭の「こんばんは、或いはおはようございます」という文言がそのコルテス兄妹宛のものであると示す。後は、決められた暗号を魔術学院の標準暗号の読み取り方の順、そして独自の解法で解いてHLSのコミックスのセリフと照らし合わせていくと「連絡を取りたい。気付いたら暗号で返事をくれ。待っている」という意味になる。
返答にあった定型句──「目にしたのは狼か……あるいは月か」。
それは「大神香月」宛のメッセージを意味する符丁だ。
実は末尾の数字列には意味があまり無い備考欄みたいな物だ。だから暗号を解く前に届けられる簡易的なメッセージに使っている場合がある。最初は1をAに26をZに置き換えるA1Z26暗号や冷戦期に使われたスパイ暗号とかの可能性を疑ったが、今回はポケベル語を選んで言葉を伝えてきたようだ。難しくはないが、それなりに知識を問われるチョイスだ。
画像に配分された様々な要素を使って、ページ番号、セリフの位置を割り出して照合していくとURLとキーワードが浮かび上がる形のようだった。
無論、暗号の解読元はHidden Leaf Storyの28巻だ。
ページをめくり、数字と位置を追っていく。手が止まることもなく、香月の指は滑らかにページをめくる。
「なるほどな、こういうことか」
やがて、導かれた文字がURLとひとつのワードになり、アクセスして画面の入力フォームに表示された欄にキーワードを入力する。
『SUN&NIGHT』
太陽と夜──コルテス兄妹、ソルとノーチェの名を英訳した合言葉だ。パスワードの方は案外セキュリティ面が甘いと感じられるが、元々このWEBページ自体が使い捨てような物なのだろう。
軽い達成感とともに、Enterキーを押す。
次の瞬間、画面が切り替わり、ビデオチャットの窓が開いた。
即座に回線が繋がる。そこに映されていたのは久しぶりに見るノーチェの姿だった。
キャップの下からのぞく癖のある黒髪。ラフなタンクトップに縁取られた褐色の肩は健康的で、彼女らしい奔放さを物語っていた。大きなウェリントン型のフレームの眼鏡の奥では、くっきりとした瞳がこちらをとらえ、揺れるように輝いている。
「ひ、久しぶりだね、カヅキ……本当にカヅキなの? 会いたかった……。まさか、魔術学院時代の遊びのキーワードを使ってくるなんて……」
その声は、香月の記憶よりもずっと柔らかく、温かかった。画面越しに響く調子が、学院で過ごした無邪気な日々を鮮やかに呼び覚ます。香月はほんのわずかに目を細め、懐かしさを隠しきれず、苦笑めいた微笑を浮かべた。
「……ああ、久しぶりだな、ノーチェ」
カメラの向こう、モニターの横にはソルの姿があった。
褐色の肌に、肩の後ろまで波打つように伸びた黒髪。魔術学院時代からその容姿はほとんど変わっていない。整った顔立ちは女子学生からひそかな人気を集めていたが、当の本人はそうした視線に頓着せず、勉学と研究に没頭するばかり。そういう意味でも学院ではひときわ異彩を放つ存在だった。
今もソルは言葉を発しない。ただ穏やかな眼差しでカメラをまっすぐ見つめ、その沈黙そのものが「安心しろ」と告げているようだった。
ソルが重く閉じていた口を開く。
「……会えて本当に良かった。投稿を見て、すぐカヅキだとわかった。……どういう風の吹き回しだ? 僕たちは今、協会に属さないはぐれ魔術師だ。何故だ?」
相変わらず淡々とした不必要なワードを切り落としたような口調に懐かしさを覚えた。彼の問いには驚きよりも、困惑と安堵が入り混じっていた。香月は肩をすくめた。
「……俺は協会は抜けた。色々あって、協力者を探してる」
その一言に、ノーチェの表情が一瞬だけ揺れた。ソルは相変わらず冷静で、しかし瞳の奥がかすかに険しさを帯びる。
「──人形師への復讐を諦めたのか? らしくないな」
ソルの問いかけは静かだったが、その裏には長年の因縁を知る者としての重みがあった。香月は軽く息を吐き、笑みを浮かべたまま答える。
「逆だ。復讐は──遂げた。でも、ちょっとややこしい事情があってな。今は俺が人形師なんだ」
その言葉に、モニターの向こうの空気が凍る。ソルは眉をひそめ、ノーチェは目を見開いたまま唇をかむ。
「……待て。それはつまり、人形師の代わりをしているというのか?」
「ああ……まあ本当に色々あってな。だいたいそんな感じだ。魔術で人形師の記憶を盗んだ。今はその身分を利用している。確認したいことがあった。……いや、この話の流れならもう察してるんだろうけどさ。The whisper shop──お前達のやってる情報屋の事を俺は知っている。お前ら、人形師も顧客にしてるよな?」
静寂が落ちる。ノーチェは言葉を探すように視線を伏せ、ソルが代わりに口を開いた。
「……確かに。人形師はそれなりに古い顧客だった。世界中の工房に繋がり、ダークウェブの闇市場へ匿名でアクセスできるプログラムを提供していた。魔術インターネットの技術も……彼からの依頼だった」
淡々とした口調だった。だがそれは弁解でも謝罪でもなく、ただ事実を確認する言葉に過ぎなかった。ノーチェが小さく息をつき、絞り出すように続ける。
「……そのせいで、間接的にカヅキを苦しめてたんじゃないかって、ずっと……」
だが、彼女の声を遮るようにソルが低く制止した。
「僕たちにとって、アレはただの顧客だ。依頼料は十分すぎる見返りだった。そこに個人的な感情を持ち込む余地はない」
香月は黙って二人を見つめ、そして静かに言葉を挟む。
「いいんだ。過去は責めない。それに今はもう関係無いしな。大事なのは、これからだ。お前たちの力が欲しい」
真っ直ぐに放たれたその言葉に、ノーチェは目を伏せ、長く息を吐いた。そしてゆっくりと顔を上げる。
「……うん、良いよ。分かった。カヅキ、私も協力する」
「僕もだ。ただし条件がある。今回の件は協会を含め、誰にも漏らさないでくれ。その代わり、君のことも外には出さない」
「……ああ、分かってる。お互いに事情はあるだろうしな。人形師の口座から相応の額は出す。だから頼む」
香月の言葉に、ソルは短く頷いた。
「僕らは今、カンボジアに潜伏している。……カヅキ、君は韓国だな?」
「もう俺の居場所を割り出してるのか。相変わらず手回しが早いな。どうにか俺を拾えそうか?」
「ビザは手配する。飛行機でカンボジアのシェムリアップ・アンコール国際空港まで来てくれれば回収する。電子ビザの偽造くらい、朝飯前だ。変身魔術で変装して来るつもりだろう? 写真だけ送ってくれ」
「……なんだよ、もしかしてこちらの都合までもう把握済みなのか? 察しが良くて助かるけど、どこまで知ってるんだか」
「さてね。カンボジアで会おう」
「ああ。……それじゃ、後でな」
会話が途切れる。
モニター越しに三人の間に、わずかだが確かな静寂が流れた。その静けさは不安でも迷いでもなく、互いの決意を確かめ合うためのものだった。




