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【第五章完結】現代魔術は隠されている  作者: 隠埼一三
Episode Ⅵ 『遺志を継ぐ狩人編』
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6.夜はまだ続く

 時計の針は、いつの間にか深夜を回っていた。

 屋敷の廊下は完全に静まり返り、足音ひとつ響かない。外では風が庭木を揺らし、遠くで枝葉が擦れる微かな音だけが、時折、現実を引き戻す。


 クレアはベッドの端に腰掛けたまま、スマートフォンを両手で包むように持っていた。画面は暗いまま、新着通知は──まだ来ていない。


『……おじ様、遅いね』


 ぽつりと零れた声は、独り言に近かった。


「距離を考えれば、妥当な時間ですわ」


 シャルロットはカップに口をつけ、静かに言う。ハーブティーの湯気が、淡い香りとともに空気をやわらげていた。


「日本中部支部の集会所(ロッジ)……いえ、電話がつながった所を見ると支部長のご自宅からかしら。そこからクレアの部屋までは車で移動する必要がありますのでしょう? 確認だけで済む話ではありませんわ」

『……うん。分かってるよ』


 理解している。

──けれど、納得はできない。


 胸の奥で、焦りが燻っている。

 じっとしていられない衝動のような。理性が「待て」と告げるたびに、別の声がそれを掻き消した。


──もし、もう手遅れだったら。

──もし、彼が助けを求めていたのだとしたら。


 それとも、その逆か。

 香月が何も言わずに消えた以上、確かめようがない。


 考えたくもない可能性が、次々と浮かんでは消える。クレアはスマートフォンを強く握り締めた。指先に、じっとりと汗が滲む。


(このまま──何もできないまま、終わるなんて事は絶対に嫌だ)


 そう思った瞬間、堪えきれずに言葉が零れた。


『……カヅキは、こういう時いつもそうだった』思わず、過去をなぞるように呟いた。『自分で全部抱え込んで、独りで突っ走ってく……』


 今回の暗号も、おそらく香月の独断でそうしたのだろう。協会を離れた以上、誰かに助力を求めるなら相手は限られる。

 コルテス兄妹だ。


 彼らは魔術学院を卒業後も協会に属さず、はぐれ魔術師として生きる道を選んだ。その名は、ちょっとした異端の逸話として語られていた。


 暗号遊びも、もともと彼らとの間でのレクリエーションで交わされていたものだ。けれど、今は違う。


 これは、遊びじゃない。


 香月が助力を求めるためのものだ。

 そうであってほしい、と願っているだけかもしれないが。


「……クレア」


 シャルロットの声は、柔らかいが真剣だった。


「もし、カヅキがその暗号を残したのがそのコルテス兄妹だけを相手だとしたら……この暗号は、別に他の人の目に触れるように投稿はされなかったはずですわ」


 希望を、言葉にして差し出す。

 それは慰めではなく、シャルロット自身が状況を冷静に組み立て直した結果だった。


「きっと、誰か他の人物にも気付いて欲しかったはずです。それは……少し悔しいですけれど、貴方のはずですわ」

『……そう、だね』


 クレアは、ゆっくりと頷いた。


 香月は合理的だ。

 生き残るためなら、感情よりも結果を優先する。

 だから、この暗号は「まだ猶予がある。追ってこい」という、彼なりのサインである可能性はある。そうでないなら、解読の手掛かりを知られている方法を使う筈がない。


 そう思考を巡らせているその時だった。

スマートフォンが、短く震えた。それだけで、心臓が跳ね上がった。


『……っ』


 画面が点灯する。

 表示された名前を見た瞬間、クレアは反射的に通話を取っていた。


『──はい!』

『こちら、ジェイムズだ』


 落ち着いた声。

 しかし、いつもより僅かに低く、実務の色を帯びている。


『待たせたな。今、お前の部屋を確認してきた』

『……あった?』


 一拍の沈黙。

 その間が、異様に長く感じられた。


『結論から言おう。英国版の葉隠忍法帖は、全巻揃っている』


 胸の奥で、張り詰めていたものが、すっと緩んだ。


『……手がかりに繋げれそうだね。それで?』


 だが、安堵は長く続かない。緩みかけた思考が、ジェイムズの次の一言に思わず引き締められる。


『一冊だけ、明らかに扱いが違う』

『違う……?』

『第二十八巻だ』


 その数字を聞いた瞬間、クレアの脳裏に、ある光景が鮮明に蘇った。


 それは寮の部屋。

 ベッドに腰掛け、漫画を片手に、黙り込んでいた香月。

 ページをめくる指が、同じ箇所で何度も止まっていた。あれは、確か第二部に入って青年になった主人公が故郷に入ってくる場面から始まる巻だ。

 主人公のライバルである幼馴染の忍者が里を抜けている事について、何度か話していたのを覚えている。


『……そっか』

『これは他の巻とは別のようだな。使用感も、明らかに違う』

『……それ、今もそこに?』

『ああ。すでに私が確保している』


 シャルロットとオウカが、無言で視線を交わす。


『お願い。第二十八巻の中身を、写真で送って』

『了解した。時間をくれ。一時間以内に送る』


 通話が切れた。


 ひとまず一歩進んだ。

 クレアは、深く息を吐き、天井を仰ぐ。

 胸の奥で、確信がゆっくりと形を成していく。問題はどのページが暗号に使われているか、だが──


『……これで、三層目を行けそうだね』

「ええ」


 シャルロットは静かに微笑んだ。


「カヅキが用意した、最後の鍵ですわ」


 オウカが一歩前に出る。


「解析の準備を整えます。照明を落とし、画面確認用の卓を用意いたします」


 夜は、まだ深い。けれども闇の中で、確かに道は続いている。


 ほどなくして、スマートフォンに新着通知が届いた。

 添付された画像は開かれた葉隠忍法帖の第二十八巻の内容だった。


『……カヅキ』


 小さく名前を呼ぶ。その声は、祈りではなく、呼応だった。


 彼が残した暗号は、確かにここにある。

 そして次の一手はもう、目の前だった。


──その時だった。


 控えめだが、明らかに緊急を告げるノックが、部屋の扉を叩いた。


 こん、こん。


 オウカが、すっと視線を上げた。


「失礼いたします」


 扉の向こうから聞こえてきたのは、若いメイドの声だった。フォード邸で給仕を始めたばかりの新入りらしい。知らない顔だった。

 息が少し上ずっている。


「オウカ様……至急、ご報告が……」

「入ってください」


 許可の声は静かだったが、即断だった。

 扉が開き、フォード邸付きのメイドが一人、深く一礼してから早口で告げる。


「正門前で……日本人の女性が二名、騒いでおります」


 その言葉に、クレアの指先が、ぴくりと反応した。


『……日本人?』

「はい。時間帯も時間帯ですので、警備が対応しておりましたが……」


 若いメイドは一度、言葉を区切り、少しだけ言いづらそうに続けた。


「かなり、はっきりと……『クレアちゃんを出せーい!』と、叫んでいるようで……」


 一瞬。部屋の空気が、微妙に歪んだ。


「……出せーい、ですの?」


 シャルロットが、思わず聞き返す。なんだか妙なニュアンスだった。少なくとも深夜の正々堂々の討ち入りとかではなさそうな、別の意味合いの──


 オウカは目を閉じ、一度だけ深く息を吐いた。

 その仕草は、事態の深刻さというより──「心当たりがある者」の反応だった。


「もしや……日本中部支部長ジェイムズ・ウィルソン様から連絡のあった方々かもしれませんが──こんな深夜に馬鹿騒ぎをするような人物なのでしょうか?」


 オウカの言葉を受けて、クレアが集音魔術を発動させる。意識を正門へ向ける。


──確かに、声がする。


 夜気を切り裂くような、やけに通る声の日本語だった。

 この静謐な屋敷には、あまりにも場違いな熱量だった。


『我こそは魔界のプリンセス夜神ちょこって言ってるんだゾ! クレアちゃーん! 出てこいやー! おおおおーんっ!?』

『……ちょこちゃん、やめなさい。完全に私達不審者扱いされてるわ』


 クレアは、ぴたりと動きを止めた。


 聞き覚えが、ありすぎる。クレアは、こめかみに手を当てたまま、小さく呟いた。


『あのテンション、あの名乗り……ちょこちゃん……それと、隣に居るのはレイナさんだ』


 集音魔術越しにも、騒ぎは収まる気配がない。


『だからー! アタイは怪しくないって言ってるんだゾー!』

『いや、名乗りがもうアウトだから。ちょこちゃん、静かに』

『クレアちゃんに会えば全部解決する話なんだってばー!』



挿絵(By みてみん)



 正門付近で、警備と押し問答になっている光景が、ありありと想像できた。


 しかし、そこは問題じゃない。

 何故ここに居る?


 この屋敷の場所も、今夜の状況も、偶然辿り着けるものではない。

 誰かを介して情報が渡ったと考える方が自然だ。


 脳裏に浮かぶのは、ひとつの繋がり。

 

 ジェイムズが内密にしているはぐれ魔術師の縁。

 魔術学院時代の先輩──陽子が率いる秘密結社『夜咲く花々の廷』だ。


 香月やジェイムズが出入りしていることは知っている。

 詳しくは知らないが、その存在も、そこに属する者たちのことも。


 そして──


 あの二人が、ただのメイドカフェの従業員ではないことも。


『……ボクが行ってくるよ。ボクの知人だよ』


 そう言って、クレアはようやくベッドから腰を上げた。

 声の調子は落ち着いていたが、どこか諦観にも似た色が混じっている。


「知人、ですか」


 オウカが即座に問い返す。

 警戒を解いたわけではないが、刃を向ける気配もなかった。


『うん。一応ね。ただし、深夜に屋敷の前で叫ばれるような関係ではないんだけどさ』


 事実だけを並べる。

 それ以上でも、それ以下でもない。


 シャルロットが、くすりと小さく息を漏らした。


「つまり、想定外の来訪者ですわね」

『その通り』


 クレアは肩をすくめる。


『放っておくと、たぶん面倒になるかもだしね。それじゃ警備の人にも悪いよ』


 集音魔術越しに、再び声が響いた。


『だからアタイは怪しくないって言ってるんだゾー!』

『だからそれが怪しいのよ、ちょこちゃん……』


 クレアは軽く目を閉じ、一度だけ深呼吸した。


『すぐ戻るよ』


 今夜はまだ眠れそうになかった。

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