魔王の隠れ家の専属聖女
王国の外れにある、ベルニエ家の屋敷。そこの住人であるマデリン・ベルニエは、モザイクタイルが貼られた床を靴音も高らかに小走りで進みながら、夫のローデリヒの書斎へと飛び込んだ。
「あなた、来たわ! リデリアからの手紙よ!」
「何だって!」
窓際のソファーに座っていたローデリヒは、読んでいた本を置くと目を輝かせた。
「開けるわね」
マデリンは夫の隣に座る。そして、逸る気持ちで手紙の封を破った。
『親愛なるお父さんとお母さんへ
お父さん、お母さん、お元気ですか。最近は気持ちのいい晴れの日が多くて過ごしやすいです。赤の森はその名前の由来の通り、真っ赤な木苺がたくさん実る季節になりました。今度、ジャムでも作ってみようかなと思っています。前にお母さんから教えてもらった秘伝のレシピの出番ですね!
早いもので、あの騒動から一か月です。ハリエット元団長や大臣たちのしてきた事もすっかり新聞で報道され尽して、世間的にもようやく事件が一段落した、といったところでしょうか。
そう言えば、時間がなくて、まだあの騒ぎの後の事を詳しく話していませんでしたね。少し長くなりますが、二人にも知っておいて欲しいので、ここに書きたいと思います。
私とラッドヤードさんがアレスさんを『誘拐』した件ですが、王様は近頃めっきり耳が遠くなったので、何も聞いていないと仰ってくださいました。本当に心の広い方です。
それだけではなく、王様はアレスさんの部署を変える事を決定しました。アレスさん、福祉政策の一環として赤の森に新しく作られた王立の保護施設の施設長に任命されたんです。
何の事か、もちろん分かりますよね? 『隠れ家』が、国の正式な施設になったんです! これで国からの援助も受けられますし、ラッドヤードさんが盗みをする必要もなくなりました。アレスさんも『住み込み』という形なので、今までと同じように隠れ家で暮らしています。
ちなみに、ラッドヤードさんは副施設長になりました。でも、あんまり施設長の言う事は聞いていません。
この間も大事な書類に落書きして怒られてましたし、一昨日なんて、施設の子どもたちと一緒にアレスさんの執務室で大魔導師ごっこをして、部屋を半分くらい吹き飛ばしてしまいました。こっそり修復魔法で直したみたいですけど、家具の配置が変わっている事をアレスさんは不審がっていました。気付かれるのは時間の問題だと思います。
保護施設の名前を決める時も結構揉めていましたね。最後にはお父さんとお母さんも知っている通り、『魔王の隠れ家』になりました。
ラッドヤードさんの希望が通った形ですが、アレスさんは不満みたいで、この間、うっかり入り口の看板の『魔王の』の部分を折ってしまいました。
そう言えば、私のところにも「王宮に仕えてみないか」とか「白鷲団の新しい団長にならないか」とかのお誘いが来ました。でも、皆断りました。私はやっぱり、ここで暮らすのが好きなんです。
それでも、私が団長の座を断ったら、次は誰が団長になるのかだけは気になりますね。
ヴァルター元副団長は禁制品を使用した咎で投獄されましたし、ナーシルさんやエルさんだって、『無実の人に罪を着せるのに協力した』なんて皆に囁かれているみたいで、そんな人たちが団長に選ばれる訳もないですし……。あまつさえナーシルさんは『勇者』の称号をはく奪されたくらいですからね。
とは言え、たとえ新しい団長がいい人でも、私はもうここを離れる気はありません。
ここでの暮らしは毎日が楽しいです。魔王の隠れ家には病院のようなところもあって、私はそこで薬を作る許可が出た患者さんたちに万能薬を調合しています。
そうしたら皆、私の事を『聖女様』なんて呼ぶようになって……。もう冒険者は引退したのに、何だか変ですよね。
お父さんとお母さんも、今度近くまで来るついでがあったら、魔王の隠れ家に寄ってくださいね。ラッドヤードさんもアレスさんも、きっと歓迎してくれます。私もその時を『聖女』をしながら待っていますから!
それでは、この平穏で素晴らしい日々がこれからも続く事を願って。
魔王の隠れ家の専属聖女 リデリア・ベルニエより』