第37話 黒い家
七階層は、黒い霧に覆われていた。
歩くことすら不安になるくらい、何も見えない。
なるほど。これを一か月は、けっこうきつそうだ。
それに、なんかすごい嫌な感じがする。
なんかこう、やべぇ宗教の施設に入ったときの空気感だ、これ。
「ここは、なんというか……きついですね」
「戻ることはできないよ?」
「大丈夫ですよ。それにしても、ここどうやって進むんですか?」
「ここはね、こいつを使うんだ」
ガルさんは、いつもの炎の小鳥を呼び出した。
「この階層は、濃い魔力でできた霧が視界の邪魔をする。だから、ちょっと特殊な探知の仕方をするんだ」
「なるほど」
「この小鳥ちゃんたちは炎でできてるから、熱の波を出してる。その波は僕の魔力由来だから、どういう流れ方をしてるかを把握すれば、周りを探れるって寸法だよ」
「おぉ! すごい! さてはそれで宮廷魔導士に?」
「え!? あぁ、いや……それは違うよ」
ガルさんが、ちょっと慌てた。
「この程度、S級魔術師なら仕組みさえ思いつけば簡単に再現できるし、なんならA級でもできる人いるんじゃないかな?」
「頑張れば、僕でもいけますか?」
「うーん、どうだろう。拡張後の魔力によるかな? 魔力操作自体は努力次第でどうとでもなる範囲だから置いとくとして、あとは射程だな」
「射程」
「なんでかわかんないけど、君の魔法の射程、あほみたいに短いからね」
「あれほんと、なんでなんすかね」
五十センチ。
入学試験のときの、あの微妙な空気を思い出す。
「よくわかんないね。君のお父さんなら知ってるかもしれないけど、話してないってことは、何か理由があるんだろうね」
「なんで父上が?」
「あの人の眼は、いろいろなものを見通すからね」
「そうだ! それを聞きたかったんですよ。父上の目って、どうすごいんですか? なんかすごいってことしか知らないんですよね」
「うーむ、僕が話していいものか」
ガルさんは、小鳥を飛ばしながら少し考えた。
「そうだな、一般的な話をしておくと……“精霊の眼”と呼ばれる特殊な眼を持った生き物が、不定期に生まれるんだ。有名どころだと、原初の悪王と呼ばれるゴルティアとかだね」
「精霊の眼」
「具体的にどういう眼かっていうと、まず生き物から出る魔力が見える。魔物と同じようにね。あとは、動体視力が図抜けて高い。さらに、体への伝達速度も速いらしい」
「ほう」
「あー、あと、これは本当かどうかわからないんだけど、未来が見えるなんて話もある」
「未来」
「ただ、君のお父さんは、この“精霊の眼”ではないと言われている」
「それは、なんで?」
「本来、精霊の眼は黒いんだよ。今まで四人……正確には二人と二体だけど、とにかくその四人は、もれなく黒目だった。でも、彼の眼は翡翠色だ」
「だから、違う」
「おそらくね。違うはずなんだけど、彼には魔力が見える。なんなら、魔法に込められた魔力まで見ることができる。だから、彼に魔法で奇襲を仕掛けることはできない」
「あぁ、だからあのときバレてたのか」
「経験があるのか。あれ、だいぶ理不尽だよね」
ガルさんは、ははっと乾いた笑い方をした。
たぶん、この人も経験があるんだろうな。
「まぁそんなわけで、彼の眼は特殊中の特殊なんだ。これより詳しい話は、本人に聞くといい」
「はい」
「さぁ、着いたよ。ここが目的の部屋だ」
霧が、少しだけ薄くなった。
目の前には、切り立った崖に囲まれた、小さな家があった。
「部屋というより、家って感じですが」
「なんだ? この家。ここには、こんな家はなかったはずだが」
ガルさんは家のまわりをぐるりと一周してみたけど、何も見つけられなかったらしい。
肩をすくめて戻ってきた。
「さて、ここに得体の知れない家があるわけだけど、どうする?」
「どうするって言ったって、やらないわけにはいかないでしょう?」
「それはそうなんだけど。何が出てくるか、賭けでもするかい? 僕は魔術協会の人間に、金貨五枚」
「じゃあ、誰も出てこないに金貨五枚」
「へぇ? 攻めるねぇ」
二人でドアの前まで歩いていき、ノックをする。
「すみませーん! 誰かいますー?」
家の中からは、物音一つしなかった。
黙って目を見合わせたあと、ガルさんがドアノブに手をかけて、ゆっくりと押し開けた。
「誰もいないな」
「では、僕の勝ちということで」
「しょうがないな」
ガルさんは渋々、懐から金貨を五枚取り出して俺に渡してきた。
十歳に賭けで負ける宮廷魔導士。ちょっと面白い。
「まぁ、賭けのことはいったん置いておくにしても、ここはなんなんだ?」
「誰かが暮らしてた跡はありますね」
「そうだな。それも、つい最近まで暮らしてたようだ。ここで待っていてくれ。周りを小鳥ちゃんに探らせる」
ガルさんは外に出ると、五羽の小鳥を周りに飛ばした。
一人になったので、家の中を見回してみる。
部屋の中も外も、黒で統一されていた。
壁、床、ベッド、タンス。それに、食器まで。
まったく、趣味がいいとは言えないな。
こんなところに住んでて、気が滅入ったりしないんだろうか。
ほんとに、一面真っ黒だ。
……ん?
なんだあれ。
天井に、紐?
◇
ガルドゥルは小鳥たちをあっちこっちジグザグに飛ばしながら、熱の波の動きを探っていた。
「うーん、いるのは魔物くらいだな。人型の魔物はいないし、特に気をつける必要がありそうなやつもいない」
ガルドゥルは、霧の向こうを見たまま独りごちた。
「誰があの家を作ったんだか。そもそも、この階層まで来られる冒険者もそう多くはないし、ましてや、ダンジョンの中で構造物を維持できるほどの術式を組める魔導士なんて、めったにいないと思うんだけどな」
近くを通りがかった魔物の鳥を、適当に撃ち落とす。
「それに、あの家……なーんか嫌な感じがするんだよなぁ。邪気というか、なんというか。うぅむ」
小鳥たちが階層の壁まで到達し、階層全体の探知が終わった。
「何も出てこなかったか。まるで平穏って空気だな。手がかりゼロ。どうしたものか」
「ガルさーん! ちょっとやばいかもー!」
声のほうを振り返る。
叫びながら走ってくるユージーン。
その後ろで、小さく縮んでいく家。
さらにその向こうで、巨大な獣が起き上がろうとしていた。
高さは、大人の男三人分といったところだろうか。
しかし、全身から放たれる殺気のせいで、それよりもずっと大きく見える。
狼や狐に近い顔立ち。どう見ても肉食だ。
逆立った毛は真っ黒で、こちらをにらむ目だけが赤い。
「ユージーン! 何があった!?」
「いや、なんか、屋根裏に、ケホッ、いたから、声を、かけたら、ハァ、でかくなって、あんな感じに」
「そうか。さっきの賭けはなしだな。なんかいたんだから」
「僕が賭けたのは“誰も出てこない”です。実際、誰も出てこなかったでしょう? 賭けは有効ですよ」
「この状況でそれ言う?」
「で、どうしましょうか。あれ、倒せます?」
「無理だな。まず確実に」
「でも、あいつこっち見てますよ? たぶん、襲いかかってきますよね?」
「だろうな」
ガルドゥルは、両手に小鳥を呼び出した。
「構えろ、来るぞ」




