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第26話 一矢

「あ、がっ……」



 エミリアの口から、血があふれた。


 グレンゴルドが、腕を引き抜く。


 邪魔な荷物でもどけるように、エミリアの体を横へ倒した。


 エミリアには、もう抵抗する力も残っていなかった。


 そのまま、地面に崩れ落ちる。


 消えていた姿が、ゆっくりと元に戻っていく。



「さァて、まずは一人」



 倒れた騎士には、もう目もくれない。


 グレンゴルドは血に濡れた竜の腕を軽く振って、ケイのほうへ向き直った。


 ケイは、もう大剣を構え直していた。


 踏みしめた足元で、地面がへこむ。


 そして、まっすぐ斬りかかってくるところだった。


 叫び声ひとつ上げない。顔には、何の表情もない。


 グレンゴルドは、たいしたことはないと判断した。


 左腕一本で受け止めればいい。


 さっきも、そうやって受け止めた。


 大剣が、黒く重い鱗に覆われた腕にめり込む。


 止まらない。


 大剣を担ぐように振りかぶり、全身の重さを乗せて振り下ろす。


 ケイの渾身の力が乗った大剣は、竜の腕を、そのまま断ち切った。


 グレンゴルドの左腕が、肘の上から宙を舞う。


 グレンゴルドは、一瞬、自分の左を見た。


 肩までは、どうにか刃を通さなかった。


 血が、地面に飛び散った。



「……ッ!」



 グレンゴルドは慌てて飛びのこうとする。


 ケイは、それを許さなかった。


 踏み込んでは斬り、また踏み込む。


 息が切れても、止まらない。


 大剣が振り下ろされるたびに、地面がえぐれる。グレンゴルドのコートの肩口が、裂けた。


 さっきまで、軽くあしらわれていた男の剣ではなかった。


 受け止めた右腕の骨が、きしんだ。


 グレンゴルドは受け止めるのをやめて、受け流すほうに切り替えた。


 大剣の軌道をそらし、体勢の崩れたところに蹴りを入れる。


 ようやく、距離が開いた。


 ちッ、油断したなァ。


 グレンゴルドは、失った左腕の付け根を押さえながら舌打ちした。


 ガルドゥルとやらへの警戒を怠ったか。


 身体能力だけの連中だと思っていたが、こんな切り札を隠し持っていたとは。油断ならない。


 とりあえず、一人は殺せた。しかも近衛らしい。


 残った右腕一本で、あの大剣と、まだ底の見えない魔導士を相手にするのは割に合わない。


 欲をかいて死んだら、しょうがない。腕も一本、持っていかれている。



「あばよォッ!!」


「!? 待て! 逃げるな!」



 金の翼が大きく羽ばたいた。


 残った右腕で傷口を押さえたまま、グレンゴルドは地面を蹴った。


 黒い影が、森のほうへ一気に遠ざかっていく。





 ◇





 追おうとしたケイの肩を、後ろからつかむ手があった。



「ケイ」


「……わかってます。追いませんよ」



 ケイの声は、かすれていた。


 ケイは、大剣を下ろした。



「エミリアは?」



 ガルドゥルが、エミリアのそばに膝をついていた。


 胸の傷から流れた血が、地面に広がっている。


 ガルドゥルは傷口に手を当てて、すぐに離した。


 押さえてどうにかなる傷ではなかった。


 ケイが、大剣を引きずるようにして駆け寄ってくる。



「エミリア。言い残すことはないか?」


「あー……やっぱり、ダメっぽいですか?」


「そうだな。この血の量じゃ、助からんだろう」


「あぁ、くそ」



 エミリアは、困ったように笑おうとして、咳き込んだ。


 エミリアの目が、少し離れたところで眠っているユージーンのほうへ動いた。


 声は、もうかすれかけていた。



「そうだ。僕の剣は、ユージーン君に渡してください。あれ、そこそこいいものですから」


「わかった。ほかには?」



 エミリアは、少しだけ考えるように目を伏せた。



「十分です」


「そうか。三十年もしたら、仲間に会えるだろう。それまで待っていてくれ」



 エミリアの口元がわずかにゆるんで、それきり、もう返事はなかった。


 ケイは、エミリアの開くことのない目を見下ろしていた。


 拳を握りしめる。


 隊長だなんだと言われておきながら、部下の裏切りも止められず、近衛の仲間一人守れなかった。


 今日も、新入りと呼んだばかりだった。


 ガルドゥルは、黙ってエミリアのまぶたを閉じてやった。


 それから、エミリアの手から剣をそっと外す。


 片刃の、よく手入れされた剣だった。



「ケイ。強くなるぞ」



 ガルドゥルが、剣を抱えたまま言った。



「俺も研究をやめて、王城に戻る」


「……そうですね。エミリアの無念は、俺たちで晴らさなければ」



 しばらく、二人とも動かなかった。


 ダンジョンの前には、血の匂いだけが残っていた。


 先に立ち上がったのは、ガルドゥルだった。



「ユージーンは、まだ起きないか」


「はい」


「一度トルタヤに戻ろう。ユージーンの手当てと、報告をしなきゃな」


「はい。私が馬で首都まで戻ります。ユージーン君の手当てを、お願いします」


「わかった。エミリアは、あとで俺が迎えに来る」


「……お願いします」



 ガルドゥルが、エミリアの剣を自分の腰に下げた。


 ケイが、気を失ったままのユージーンを担ぎ上げる。


 ケイの肩に乗った体は、軽かった。まだ十歳の子どもだ。


 ガルドゥルは、グレンゴルドが消えた森のほうを一度だけ見た。


 血まみれのダンジョンの前から、二人が歩き出そうとした、まさにそのとき。


 遠くの森から、爆発音が響いた。


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