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一瞬にして、巨大な大広間から全ての羽虫の羽音すら消え去ったかのような、完璧な静寂が訪れた。
何百人もの高位貴族、王族、そして精鋭の魔導士たちが、まるで時を止められた石像のように凍りついている。彼らの視線は一様に、バルコニーの最前列でカッシア様の隣に佇む私へと注がれていた。
息を呑むような感嘆。あまりの神秘的な美しさへの戦慄。そして、私の全身から溢れ出す七色のオーラ——目に見える形で空間を歪ませるほどの『起源の魔力』に対する、本能的な恐怖と崇拝。
「……あ……あ……」
広間の遥か下層、群衆の隙間から、掠れた悲鳴のような声が聞こえた。
私はゆっくりと視線を下へと向けた。そこにいたのは、青ざめた厚化粧の顔を歪め、目を限界まで見開いて私を見上げるファウスティーナと、手にしていた扇子を落とし、開いた口が塞がらない様子のトゥッリアだった。
ファウスティーナの瞳に宿っているのは、混迷と、信じられないという拒絶、そして激しい恐怖だった。
無理もないだろう。
彼女がほんの二週間前、「無価値」「底辺の平民」と蔑み、二人がかりで心と結晶を踏みにじって捨て去った女が——今、自分たちが一生かかっても届かない雲の上の領域で、この世界の頂点に立つ精霊樹の守護者・カッシア様の腰に抱かれ、至高の輝きを放っているのだから。
私は、カッシア様がそっと私の腰に回してくれた手の温もりを感じながら、背筋を真っ直ぐに伸ばした。
かつての私なら、大勢の貴族たちの視線に晒されれば、恐怖で身を縮めていたかもしれない。だが今の私には、カッシア様から与えられた圧倒的な愛と、自分自身への誇りがあった。私は静かに、ファウスティーナたちの視線を真っ向から受け止めた。
「皆のもの、顔を上げよ」
静寂を切り裂いたのは、カッシア様の低く、澄み渡ったベルベットの声だった。
広場全体に魔法で響き渡るその声には、一切の反論を許さない絶対的な威厳が宿っていた。平伏していた貴族たちが、弾かれたように顔を上げる。
「年に一度の星天祭、今宵もこうして健やかに集えたことを精霊樹に感謝する。……そして、今宵の宴を始める前に、私はこの国の全てに、我が生涯で最も重要となる発表をせねばならない」
カッシア様はそう言うと、私の腰を抱く手に少し力を込め、私を前へと促した。
広間の空気が緊張でピンと張り詰める。
「我が隣に立つこの美しい女性の名は、ヴァレリアーナ。……今宵、この場において、私は彼女を我が生涯唯一の『伴侶』であり、この精霊樹の共に立つ『守護者』として正式に迎えたことを宣言する」
「「「っ……!?」」」
広場から、地鳴りのようなざわめきが巻き起こった。
精霊樹の守護者カッシア様が、伴侶を迎えた。建国以来、数百年間にわたって誰もその隣に立つことを許されなかった絶対的な存在が、一人の女性と永遠の誓約を結んだのだ。この事実だけでも、王国を揺るがす天地開闢の大ニュースだった。
しかし、カッシア様の発表はそれだけにとどまらなかった。
「静かにせよ」
一言。それだけで、ざわめきは一瞬で収束した。カッシア様は冷徹な、しかし誇らしげな眼差しで会場を見渡した。
「諸君らは、彼女の身から放たれるこの魔力を感じているはずだ。……そう、彼女こそが、数百年の時を経てこの世に降り立った、伝説の『起源の魔力』の保持者である」
「起源の魔力……!? あの、始祖様と同じという……!?」
貴族たちの中から、震える声が漏れた。魔法体系の歴史を知る高位の魔導士たちが、あまりの衝撃に膝をガクガクと震わせている。
「この光は、無価値などではない。全ての属性を内包し、全ての命を育む極上の源泉だ。……我が伴侶ヴァレリアーナと私が授かった『命の結晶』は、すでに精霊樹の頂にて、この国のいかなる歴史にも存在しないほどの巨大な輝きを放ち、すくすくと成長しておる。彼女の起源の力なくして、この精霊樹の繁栄も、我が国の未来もあり得ぬ」
カッシア様の言葉の一つ一つが、広間に集まった貴族たちの常識を覆し、打ち砕いていく。
『無色の魔力は無価値である』という、貴族社会が勝手に作り上げていた浅はかな差別意識が、最高権威である守護者自らの口によって、完全に否定されたのだ。
「おお……なんと……なんと神々しい……!」
「私たちは、何という奇跡を目撃しているのだ……!」
貴族たちから、驚嘆と賛美の声が次々と上がった。少し前まで「平民」「無色」と蔑んでいた視線は今や、一転して至高の奇跡に対する崇拝と憧れへと変わっていた。
だが——その賞賛の渦の中で、ただ二人のみ、正気を失いかけている者たちがいた。
「う、嘘だ……嘘だ嘘だ嘘だっ!!」
静まり返っていた会場に、けたたましい叫び声が響き渡った。
ファウスティーナだった。
彼女は周囲の貴族たちを強引に押しのけ、痛みに悶え狂う身体を無理やり引きずるようにして、バルコニーの下へと躍り出た。その後ろからは、顔を真っ赤にしたトゥッリアが続いている。
「ファウスティーナ殿!? 無礼だぞ、お下がりなさい!」
近衛騎士たちが制止しようと槍を向けたが、ファウスティーナは狂気に満ちた目で私を指差し、血吐くような声を張り上げた。
「騙されるな! カッシア様、騙されないでください! その女は……そのヴァレリアーナという女は、ただの貧乏な平民です! 魔力だって貧弱で、私と誓約を結んでいた十ヶ月間、何の役にも立たなかった愚物です!! 悪魔と契りを結んでいるのです」
会場が騒然となった。
「なんだあのアホは」「元魔導騎士のファウスティーナか?」「守護者様に向かって何という非礼を……!」と、蔑みの声が交錯する。
しかし、ファウスティーナの狂走は止まらなかった。彼女は自分を失っていた。自分が追い詰められているという事実、そして自分が捨てたはずの女が自分を遥かに超える高みに上り詰めたという現実を受け入れられず、叫び続けた。
「あいつは私を呪ったのです! 自分が無価値だからと嫉妬し、私とトゥッリアの神聖な結晶を破壊し、私の魔力を忌まわしき呪術で壊した魔女です! カッシア様、どうか騙されないで! その女を捕らえ、私に引き渡してください! 私こそが……この王国一の天才魔導士である私こそが、あなたのお力によって救われるべき存在なのです!!」
醜く、見苦しい叫びだった。
かつて「高潔な騎士」と称えられていた面影は微塵もなく、そこにあるのは己の保身と欲望だけにとらわれた哀れな落ちこぼれの姿だった。
続いて、トゥッリアも進み出て、扇子を激しく振り回しながらキンキンとした声を上げた。
「そうですわ、カッシア様! 私は名門トゥッリア家の娘です! このような素性も知れぬ平民の小娘が、カッシア様の伴侶など笑止千万! 我が家の権力と財力、そして私の黄金の魔力こそが、あなた様に相応しいはずですわ! その平民の女を今すぐそこから追い出し、私たちを救いなさい!」
二人の傲慢で身勝手な言い分に、会場の貴族たちは呆れ果て、ドン引きしていた。自分たちの失敗を守護者に押し付け、身分を盾に命令するなど、正気の沙汰ではない。
私は、バルコニーの上から彼女たちを静かに見下ろしていた。
胸の中にあったのは、かつてのような恐怖や悲しみではなかった。ただただ、冷ややかな憐憫と、呆れだけだった。
(……ああ、本当に……私はどうして、こんな人を愛し、信じようとしていたんだろう)
十ヶ月間、自分の命を削ってまで支えようとしたファウスティーナ。
私の努力も、私の存在も、何一つ見てくれていなかった。ただ自分の都合の良い『道具』として私を利用し、不要になればゴミのように捨てた。そして今なお、己の過ちを認めることすらできず、私を悪者にすることでしか自分を保てない。
そんな私に、カッシア様がそっと寄り添い、耳元で優しく囁いてくださった。
「ヴァレリアーナ。あのような堕ちた者の声に、心を痛める必要はない。……だが、不快だろう? 私がお前に代わって、引導を渡してやろう」
「カッシア様……」
カッシア様は私に笑いかけると、ゆっくりと一歩前に出た。




