王子の暴走、からの婚約成立
「ジレアウト侯爵、御令嬢と二人だけで話がしたいのだが、可能だろうか」
握手が終わり互いの席に戻ってすぐ出たエリアスの唐突な申し出に、その場にいるすべての者が目を丸くし、けれどジレアウト侯爵はすぐに反応した。
「お声がけありがとうございます。しかしまだ何の関係のない殿下と娘が二人でというのは……」
「二人で話がしたい」
「あの、ですから……」
「可能か」
「エリアス」
ため息をつきながら国王がエリアスをたしなめる。だが、エリアスは頑として譲らない。
「先ほどの交流会ではほとんど交流できておりません。どう転んだとしてもジレアウト侯爵令嬢とはこの先も何かしらの付き合いがあるのでしょう。でしたら、やはりお互いもう少し話をして交流を深めたく思います」
「それはこの場では駄目なのか」
「交流会では子供同士だけでした。同じ条件にした方がよろしいかと」
公平を期する為です、と言い切られてしまえば、そういう教えを良しとしている大人達は咄嗟にうまく反論できない。
「……わかった、少し中庭に出よ。侯爵、それでも構わないか」
「……少し、娘に言い聞かせますので、お時間を頂けますか」
「許す」
国王達に一度頭を下げると、侯爵夫妻はヒルデガルトの手をしっかりと強く握りしめて小さな声で切々と語る。
「ヒルデガルト、わかっているな?」
「わかっております、猫は十匹です」
「それはもう遅いのです。今だけ魔術師ではなく貴族子女に戻りなさい」
「私は生まれながらの貴族子女です」
「さっきまでのお前のどこが貴族子女だというのだ、世の令嬢令息方に謝りなさい」
「貴族子女は陛下の言葉を遮らないし陛下に啖呵を切りません」
「で、ですが、魔術師として先ほどの件は譲れなくて……!」
「だから今だけ魔術師ではなく貴族の娘に戻れと言っているのです」
「これ以上の失礼を重ねるな、恥を晒すな、弱みを見せるな」
「……やはりこのまま倒れた方がよいのでは」
「もうその機会は失われました」
「とにかく礼儀作法を取り戻せ。お前は人間、貴族子女、王室万歳。復唱」
「わ、私は人間、貴族子女、王室万歳」
「そう、貴女は出来る子、礼儀作法の達人、忠誠は国に。復唱」
「わ、私は出来る子、礼儀作法の達人、忠誠は国に」
「よし、くれぐれも礼儀正しくあるのだぞ」
「私達も見ているから、どうしようもなくなったらこちらを見て助けを求めなさい」
「私は人間、貴族子女、王室万歳、私は出来る子、礼儀作法の達人、忠誠は国に……」
目の前で行われる小声の家族会議を、国王夫妻は何とも言えない表情で見守った。これは本当に婚約者候補は難しいかもしれない。
「お待たせいたしました。よく言い聞かせましたが……」
「殿下、まだ不出来な娘ですのでどうかご容赦くださいませ」
侯爵夫妻の事前の言い訳に、けれどエリアスは表情を動かすことなく鷹揚に頷いた。
「こちらこそ我儘を通してもらい感謝する。ではジレアウト侯爵令嬢、行こうか」
「ハイ、カシコマリマシタ」
エリアスの自然なエスコートに対し、ヒルデガルトは実にぎこちなく受けて動き出す。
ちぐはぐな動きをする二人が部屋から出ていくのを見守り、そうして大人達だけになった部屋で王は大きく息を吐きだした。
「……なんと言えばよいか、おぬしたちも大変だな」
「勿体無いお言葉で」
* * *
表情には一切出していなかったが、エリアスは期待に溢れていたし焦っていた。
エリアスは非常に賢い子供である。それは天才と言って差しさわりがない程に。
七歳という幼さをどこに置いてきたのかと疑われるほど、知識も思考も大人に近かった。元々の賢さと国一番の教育の結果だ。
だからこそ、自身の立ち位置も未来の見えなさもわかっていた。わかって、色々なものを諦めかけていた。
けれど、それがすべて覆るかもしれない可能性が目の前にある。
彼女がいれば諦めかけていたすべてを諦めなくてよくなるかもしれない。安全性? 知らない。持続性? 知らない。いや、わかる。わかるが現に今問題なく触ることが出来るではないか。彼女がいれば問題は解決するではないか。長期的な問題解決の必要性はわかるが、今すべきは彼女を捕まえる事だ。どんな形であろうと自分と結び付ける事だ。その筈だ。
―――何としても逃さない。
エリアスは非常に賢い子供である。それは天才と言って差しさわりがない程に。その優秀さを以てしても、子供特有の堪えの無さが、目の前のあまりにも大きな希望が、エリアスを常とは違う興奮状態に陥らせていた。
それゆえに、エリアスは暴走した。
「失礼する」
「え?」
中庭に出る扉の手前、大人達の目が届かないその場所で、エリアスは動き出した。
いつの間にか握っていた宝石のブローチで空中に何かを書き、小声で魔術の発動を宣言する。同時に、エリアスとブローチが輝き、その光がヒルデガルトへと襲う。
「殿下?!」
ヒルデガルトと侍従が叫ぶも、光が消える筈もない。光は白く見える縄のようなものとなり、ヒルデガルトの首と手首と足首に巻き付いた。苦痛は無い特殊な捕縛魔術。ヒルデガルトはすぐに自身が動けなくなったことと魔術を使えなくなった事を自覚する。
「申し訳ない、魔力封じと身体拘束の魔術をかけた」
「殿下、何をなさいますか!」
真っ青になったのは侍従だ。可愛らしい婚約者候補の交流だと思って案内していたのに、まさかの王族の暴挙である。しかし、そんな侍従の事など目もくれず、エリアスはヒルデガルトだけを見て話し始める。
「一応、私も魔術師の性というものをわかっている。貴方達魔術師は権力よりも研究をとる人達だ。先ほどまでの会話から考えても、侯爵家は婚約者を断る事は目に見えている。だが、それは困る」
ヒルデガルトの目が微かに泳ぐ。図星だったからだ。齢七歳にして魔術の研究開発こそが生きがい。そんなヒルデガルトにとって、この婚約は大した利点もないどころか、研究の時間が削減される恐れしかない。
「君には今日この場で私の婚約者になってもらう」
動けないヒルデガルトに、エリアスはそう宣言した。
「何を勝手な事、を……え、これ、え、嘘、すご」
一方的な言い分に強くエリアスを睨みつけたヒルデガルトだったが、すぐに別の事に気付く。別の、ヒルデガルトにとっては何よりも優先される事に。
魔力封じと身体拘束の魔術。
すぐにでも解除しようとして、けれど、そのあまりの見事さにヒルデガルトは目を輝かせ始める。
「え、これ初歩の身体拘束よね、何で? 何でこんなに強力に作動してるの? あと魔術封じ……は、え、こっちは最上級の魔術封じ? 噓でしょ、これ机上の空論じゃなかったの? え、魔力? 魔力量ですべて解決してるの? うっそ、ある意味力技? というか完全同時展開じゃないのこれ? え、何で、出力全開の完全同時展開なんて無理でしょ、いえ無理じゃない、魔力量さえ十全にあれば無理じゃない、無理じゃないけどぉ! でもぉ!!」
エリアスから目を離し、自身の手首を見ながら興奮気味に語るヒルデガルトに、侍従は軽く引き、エリアスは困惑しながら声をかける。
「ジレアウト侯爵令嬢?」
「殿下! 殿下の魔術の師はどなたです?!」
さっきまでの睨みつける視線ではない。必死に教えを乞う、縋りつくような眼でエリアスを見る。
「ゲオルク翁だが……」
「もぉぉおぉ! ゲオルク様ひどい、殿下の事隠してたのね、独り占めしてたのね、ズルいわズルいわ、私だって殿下と知り合いたかった仲良くしたかったそしてあわよくば実験したかったぁ!!」
とんでもない事を口にし始めた。
青くなっていた侍従の顔色がさらに青くなる。殿下で実験など不敬にも程がある。
「…………ジレアウト侯爵令嬢」
正気に戻ってほしい、と願いながらエリアスが声をかければ、ヒルデガルトは動けないなりに表情を引き締めてエリアスに向き合った。
「……あらやだ、失礼いたしました。突然の捕縛に取り乱してしまいましたの。殿下、いかに殿下とはいえ、突然のこの魔術はあまりにも興味深、ではなくてですね、あまりにも失礼ではないのでしょうか? いたいけな七つの子にして忠実なる臣下になんという暴挙、なんという非道、これが王家の意思ですか? 王家の貴族に対する意思ですか?! ……ですが私は受け入れますわ、ええ、泣き濡れて受け入れますとも、口も固く結びましょうとも。少しだけ私の要望を通していただければこの忠誠は永遠に、そしてこの口は石よりも固く閉ざされましょう。ええ、少し実験、ではなくて、研究……んんッ! ジレアウト領の政策にお付き合いいただければ! 本当に難しい事ではございませんから! ああ、まさか王宮で王族に捕縛されるなどという犯罪者のような扱いをされるとは……!」
エリアスの侍従の視線が忙しくエリアスとヒルデガルトを行ったり来たりする。ヒルデガルトの言う通り、これは何もしていない貴族令嬢へ非常に無礼な行動である。王家の失態と言ってもいい。だが同時に、ヒルデガルドの言い様と要求も不敬である。恐喝ともとれる内容なのだ、こちらもまた貴族として致命的な失態である。それでも最初に無礼を働いたのはエリアスで……。
侍従がどこからどう手を付ければいいのかと頭を高速で働かせている間に、エリアスは少し考えてから片眉を器用に上げた。
「もしかしたら、貴方には正攻法でお願いした方が早いのかもしれないな」
「それは、どういった事でしょう?」
エリアスはまたブローチを持つ手で宙に何かを書く。それにより捕縛魔術を解除すると、ヒルデガルトの目を見つめて言った。
「ジレアウト侯爵令嬢、私と婚約してほしい。受け入れてもらえるのなら、私は貴女の魔術研究に心身に支障の出ない範囲で協力するし、婚約者の立場よりも魔術師の立場を優先していい事を約束しよう」
「いけません! 殿下!」
真っ先に反応したのはやはり侍従だった。けれどエリアスもヒルデガルトも彼の叫びを意にも介さない。というか完全に無視した。
「殿下……それは、真で?」
「我が名とクロイセルの血と神に誓って」
ひゅ、という、引きつったような息をのむ音が出たのも侍従の喉からだ。顔色はもはや真っ白である。
名前と王室の血と神に誓うその誓い方は、公式行事にも使う王室の正式なもので、王子が易々と口にしていい誓いではない。
「喜んでお受けいたしますわ!!」
「よし、そうと決まればこの契約書にサインを」
「今すぐにでも!!」
「お待ちください殿下! 両陛下もジレアウト侯爵もいらっしゃらないところでは!」
エリアスが手にしているのは魔力による縛りが発生する魔術契約書だ。魔術契約書は正しく作られた物でなければ効力はない。子供が用意したものだ、何処か抜けがあるかもしれない。けれど、エリアスの優秀さを考えれば抜けがない可能性の方が高い。それならば、何としてでも記入させてはならない。侍従は不敬を承知でエリアスの手から魔術契約書を取り上げ、子供には手が届かないよう高く上げる。
「いれば止められるからここで契約を結ぼうとしているのではないか、大丈夫だ、子供の遊びだと思っていたで通せ、私が許す」
「殿下と御令嬢のどこに子供の遊びの要素が?!」
「早く書類にサインをさせてください」
「御令嬢もどうか冷静になってください!」
「いや、冷静にならないでくれ、そのまま走り抜けてくれ」
「殿下!!」
「私はこの上なく冷静です、興奮しているだけです、さぁ早くサインを! そして実験を!」
「興奮している時点で冷静ではありません!」
「もういい、寄越せ」
先ほどヒルデガルトを捕らえていた捕縛魔術が侍従にかけられる。動けなくなった侍従によじ登るようにして、エリアスは高く掲げられた魔術契約書を奪い返した。
「お、お返しください! 殿下!」
「内容の確認をしてくれ」
「はいはい……この一文、多少変更しても?」
「どのように? ……ああ、なるほど、いいだろう」
「修正の必要があるなら一度やめにしましょう! 殿下! 聞こえていますか?!」
「こちらはこのように。構いませんか?」
「構わない。では修正部分を含めて改めて清書する。複製魔術を使うので数秒待ってくれ。そうして他に問題がないならサインを頼む」
「喜んで」
「正式文書を複製魔術で作り出すのは禁止になりましたよね?!」
「禁止法令の施行は七日後からだ、問題ない……よし、出来た」
「ジレアウト侯爵令嬢! もう一度! もう一度よく読みましょう! 契約書にすぐにサインするのはよろしくないです!」
「ご安心を、読解魔術を展開して熟読し有利不利の確認も終わらせましたわ」
「読解魔術……文官の必須習得魔術の?! 何でそんなものを七歳の子が、あ、待って、やめ、あああああ……!」
ヒルデガルトが名前を書きこんだ瞬間、キンと空気が張り詰め、瞬時にその張り詰めた空気が波紋のように拡散した。魔力による契約が結ばれた事を知らせる魔振動。本来ならしかるべき場所で契約を結べば魔振動が広がることは無い。当事者以外に知らせることなく契約は結ばれる。だが、ここはただの廊下の一角にして中庭への出入口。そのような対策が取られていない場所。よって、恐らくは王宮内にいる者のほとんどに、何かしらの契約が結ばれたことが伝わっただろう。
従者の青年が呆然としている横で、エリアスは無表情のまま、ヒルデガルトは満面の笑みのまま向き合って力強く握手を交わした。
「貴方の決断に感謝する。ジレアウト侯爵令嬢、私の事はエリアスと呼んでくれ。今後ともよろしく頼む」
「こちらこそ素晴らしいご提案に深く感謝いたしますわ。エリアス様、私の事もどうぞヒルデガルトとお呼びください。不束ではございますがよろしくお願いいたします」
エリアスは繋がれた手をじっと見つめて少しだけ口元を緩め、そして来た道を見る。ヒルデガルトもまたそれに倣って視線を動かす。
「ではヒルデガルト嬢、早速婚約者としての共同作業といこうではないか」
「お任せください、私これでも一般的な七歳児より多少口が回りますゆえ。可愛げのない理詰めと可愛げのある感情論とどちらをお好みで?」
「出来れば王室と侯爵家の両方に利がありと納得させるもので」
「了承いたしました、可愛げのある理詰めといたしましょう」
先ほどの魔振動を感じ取った重鎮達がすぐにでもここへ来るだろう。
握手の形をやめてエスコートの形になった二人は、訪れるであろう人達を待ち構える。
「ヒルデガルト! 何をした!」
角を曲がって最初に顔を出したのは蒼褪めたジレアウト侯爵夫妻。その後から国王と王妃とミュラー伯爵が。
「冤罪だわ」
「信頼関係が築かれているようだな」
「認めたくない信頼関係ですし、実行犯に言われたくありませんわ」
「共犯の間違いだろう」
「取引と仰って」
小声でそんな会話をしながら自分達の親を出迎えた二人は、ニコリと王侯貴族らしい笑顔を作った。
そこから大人達は、子供二人からの流れるようでかつ途切れることのない説明と思いの丈と利点を懇々と聞かされることとなる。
やがて、大人達が疲れ果てた頃、国王の「……よい、許す」という絞り出すような声により、ヒルデガルトはエリアスの婚約者として正式に認められる事となった。




