3、侯爵令嬢は王子の婚約者になりえるか? <王子との出会いと家族で軟禁>
王宮の庭園で催されている祝宴は、子供達が多くいるせいか、華やかながらも気楽な雰囲気が漂っていた。
「お母様酷いわ、まだ手の甲がジンジンするもの」
「手袋で見えないから問題はないわ」
「かわいい子供をいじめて心は痛まないの?」
「お母様は今日どう過ごしなさいと言いましたか?」
「……何も問題を起こさない」
「よろしい」
「でも問題を起こさなければ多少は……!」
「ヒルデガルト」
「……猫を十匹被りますわ」
「よろしい」
まずは挨拶を、と列に並びながら会話をする。列の前後は気合が入っているのか緊張しているのか、どうにも動きが硬い。ヒルデガルトとその両親はそんな他家を少し冷めた目で見ていた。
「ヒルデガルト、大人しくしていれば何かプレゼントを買ってあげるよ」
「嫌だわお父様、私そんな餌につられるほど子供じゃないけどいいでしょう乗りましたわ欲しい本がありますの」
「それじゃあ大人しくしてなさい。ほら、もうすぐだ」
「必ずですよ、必ずですからね」
「早く猫を被りなさい」
母親に促され小声の会話は終了となる。ヒルデガルトは一度目を閉じる。猫を十匹。ごく普通の侯爵家令嬢。それを胸に刻み込んで目を開けば、ちょうど順番が回ってきたところだった。
初めて見る王家の者は、想像よりも輝かしかった。
両親が挨拶をしている間、ヒルデガルトは、こんな機会は滅多にないわ、と失礼にならない程度に王と王妃とエリアスを見つめた。
エリアスは、両親のいいところばかり集めたような子供だった。
美しい金の髪と、深い青と緑の遊色の目。王族の色は父親である王から引き継ぎ、その整った顔つきは母親である王妃にそっくりで、幼さと表情のなさもあってよくできた人形のような美しさだった。
これはますますもってお可哀そうに。
ヒルデガルトは思わず憐憫の眼差しになってしまう。本当に問題なのは魔力量だけなのだろう。それ以外は恐らく、優秀であるという情報が確かなら、ここ数世代の王族の中でもきっと大当たりの王子だ。
本来ならこんな面倒なことをしないで済んだのにね、と考えながら、ヒルデガルトは毒にも薬にもならないごく普通の挨拶をする。
「今日は楽しんでほしい」
エリアスの声は楽器のように美しい音だった。ただ、すでに何度も言ってこの後も何度も言うからなのか、そこに何の感情も見いだせなかった。表情も、微笑めばそれだけで気絶する令嬢も出てきそうなのに、ずっと無表情である。
疲れているのか、もしくは、何もかもを諦めているのか。
何事もなく挨拶が終わり、ジレアウト侯爵家はその場を辞する。そして少し離れたところ、子供達ばかりが集まっているところまで辿り着けば、両親は安堵を前面に出した笑顔でヒルデガルトを褒めた。
「よくやった! 本は二冊でも三冊でも買ってやろう!」
「貴女はやればできるのよ、ええ、お母様は信じておりましたとも」
「ただ挨拶をしただけでここまで褒められるとは思いませんでしたわ」
「貴女が客人にただの挨拶をしたことが一度でもありましたか」
「……一度くらいはある筈ですわ」
「ありません」
「うむ、なかった」
「……ミュラー伯爵と初めてお会いした時にはまっとうな挨拶をした筈ですわ!」
「貴女はミュラー伯爵の寛大な心に感謝しなければなりません」
「嘘でしょう?!」
「本当だ」
両親が言うには、どうやら挨拶自体は普通に出来たが、いかんせん部屋に入る直前までの声が丸聞こえだったらしい。ヒルデガルトは羞恥で泣きそうになる。
「ほら、あとはここで子供同士適当に遊べばそれで終わりだ。友人を作るのもいいんじゃないか?」
「なんなら婚約者候補を見つけてもいいのよ」
「それはまだ早すぎるとお父様は思うなぁ!」
「頑張りますわ」
「待ちなさいヒルデガルト、婚約者候補の方は頑張らなくてよろしい!」
親馬鹿丸出しの声を背に受けながら、ヒルデガルトは子供達の集まりの中に入っていく。
友人。いい響きだ、と思いながらヒルデガルトは少し期待する。確かに今まで友人と呼べる存在はいなかった。これはいい機会だ。もしかしたら同じ趣味の人がいるかもしれない。
ヒルデガルトは期待に胸を弾ませながら、けれど、とりあえずは飲み物を取りに行く。
どんな飲み物があるのか、ついでにどんな菓子が用意されているのかをじっくりと見て、あれとそれを食べようと心に決めて、そうして選んだ果実水を一口飲んだところで、周囲が騒めいた。
何事かと振り返れば、子供達も、そして周りで見守っていた大人達も一点を見つめている。
「少し、交ぜてもらえないだろうか」
挨拶の時と変わらぬ無表情のまま、エリアス王子が声を上げた。
ヒルデガルトは慌てて両親の姿を探す。見つけた両親は蒼褪めて口をパクパクとさせていた。読唇術など学んでいないが、何故かヒルデガルトには両親が何を言っているか読み取れた。あれはきっと「大人しくしていろ」と言っている。つまりこれは、大人達も聞いていなかった事態なのだ。
そう、大人しくしていれば、欲しい本が手に入る。
ヒルデガルトはにやりと笑う。
――大人しくはしているわ、ええ、大人しくは。
両親がヒルデガルトの顔を見てさらに青褪めたのは、あえて無視をした。
さて、エリアスに触れることは出来ない、というのは、実のところこういう場ではあまり問題ではない。何故ならそもそも王族に許可なく触れるなど不敬の極みである。エリアスが普通の魔力量の子であっても、当たり前に触れることは許されていないだろう。
貴族の子女達は親に言われた通り、臣下として一線をひきながらも交流をするだけだ。
「勿論です、殿下、どうぞこちらへ」
筆頭侯爵家の嫡男がその場を仕切り始めれば、皆笑顔でエリアスを囲み始める。
「殿下、何かお飲みになりますか?」
「殿下、こちらには菓子もありますよ」
「改めてご挨拶させてください、私は――…」
――あらあら、一斉に喋りだしたら殿下も大変でしょうに。
果実水をコクコクと飲みながらヒルデガルトは子供達をよく観察する。ここにいるのは伯爵家以上の高位貴族家で五歳から十歳の子女だ。何名か子爵家の子もいるが、それは魔力量が多いというただその一点で招かれている。遠巻きに見ているのはこの場でなくとも交流をしている公爵家の子、近づくのを恐れている魔力量の少ない子、そしてヒルデガルトのように何らかの理由で近づくなと親から強く言いつけられている子だ。
友人作りどころではなくなったけれどこれいつ終わるのかしら、と、集団の外で菓子をつまみながら考えていると、大人達の方で動きがあった。いくつかの家の者が選ばれて別室へ移動している。なるほど、実際の交流の仕方も判断材料なのか、とヒルデガルトが納得していると、エリアスもその動きを確認してから「皆ありがとう、それではそろそろ失礼するよ」と切り上げに入った。
「何名かは少し別の場所で話をしたいのだが、ついてきてくれるだろうか」
エリアスはそう言って、幾人かの子の肩にそっと触れる。
「君と、君。それから君……ああいや、やはり君はここで休んでいてくれ。すまなかった」
触れるのは数秒。それでも触れられた者はわずかに体勢を崩したり顔をしかめたりがくりと頽れて呆然としたり。恐らくはこれが最終確認。中にはグッと握りこぶしを作って表情には一切出さなかった子もいて、ヒルデガルトは思わず拍手を送りたくなった。
「それでは、他の皆は寛いでいてくれ」
エリアスは最後まで無表情だった。当然ながら、ヒルデガルトは選ばれなかった。そうでなくては困る。本が買ってもらえない。
けれど、ヒルデガルトはエリアスを驚かせたくもあった。正確には、エリアスで実験をしてみたかった。
エリアスがこの場を離れるなら、位置的にどうしてもヒルデガルトの前を通ることになる。実験をするならその時しかない。
選んだ子を引き連れながらエリアスがやってくる。ヒルデガルトは臣下らしく、淑女らしく、大人しく、道を開ける。
「――あら」
エリアスがちょうど目の前に来た時、ヒルデガルトは何かに気が付いたように小さく声を上げた。
「殿下、移動なさるならお飲み物はお預かりしますわ」
ヒルデガルトはさも親切面で可愛らしく伺った。遠くで両親が息を飲んだ気配があるが、やっぱり無視だ。
「ああ、そうか……ではお願いしようかな」
本来なら招待客である子供に給仕のような真似はさせない。けれど、エリアスはヒルデガルトが一切近づいてこなかった事を把握していたから、遅くなったとはいえこれがヒルデガルトなりの売り込みなのだろうと判断したのだ。近づくことは出来ない、だが従う気はある、という、一臣下としての。
だからエリアスは手に持っていたグラスをヒルデガルトへ差し出した。そしてヒルデガルトはそれを受け取った。
しっかりと、エリアスの手に触れながら。
「?!」
ギョッとしたエリアスが慌てて手を引き、ヒルデガルトの顔を見る。
ヒルデガルトは、何事もなかったかのように微笑んでいた。
「…………君は……」
呆然としているような、疑っているような。そんな複雑な表情になったエリアスに気付いていないかのように、ヒルデガルトはまた頭を下げて礼を取る。
「お飲み物、確かにお預かりしました」
これでヒルデガルトとの交流は終わりだ。エリアスは選んだ子供達を引き連れて進まなければならない。だが、エリアスは顔を上げようとしないヒルデガルトから目が離せない。
今、確かに触れたのに。それなのに、何事もなかった。
あまりにも短すぎた交流。もしかしたらエリアスの勘違いかもしれない。エリアスが感じ取れなかっただけで、ヒルデガルトはただ耐えていただけかもしれない。けれど、一瞬だったゆえに正確なところがわからない。ヒルデガルトも何も言わない。
「殿下?」
引き連れている子から声を掛けられてハッとする。「すまない」と言ってエリアスは歩き出す。ヒルデガルトはまだ顔を上げない。
エリアス達が遠ざかると、その場の空気が緩んでいく。人々のさざめきも戻ってきた頃、ヒルデガルトはようやく顔を上げた。
そうしていつの間にか目の前にやってきていた両親と、正確に言えば、美しくも心胆を寒からしめる母親の微笑みと疲れ切った父親の顰め面と対面した。
「……何ですか、大人しくはしていましたよ」
両親は何も言わない。表情も変わらない。
「……臣下の者として殿下の手を煩わせることが無いよう動くのは当然の事では?」
それでも両親は何も言わない。表情も変わらない。
「…………も、申し訳ございませんでした!」
ヒルデガルトは圧力に屈した。しかし、いつもならば謝った時に返ってくる、よろしい、の言葉は聞こえてこなかった。代わりに二人の長く大きい溜息が聞こえてきた。
「帰るぞ」
「そうしましょう」
二人はそう言うと、ヒルデガルトを隠すように間に挟んで歩き出す。なかなかの速足なので、ヒルデガルトは美しい姿勢でついていくのに必死になった。
「本を買ってくれるのですか?」
「買ってもらえると思っているのかお前は」
「約束したではありませんか!」
「他ならぬお前に反故されたわ!」
「挨拶はちゃんと出来た筈です! お父様もお母様も褒めてくださいました!」
「お母様は何も問題を起こさないでと言ったでしょう」
「驚きは起こしましたが問題は起こしていません!」
「驚きが問題なのだ!」
「大丈夫ですよあんな一瞬誰も気付く筈が……!」
「これはジレアウト侯爵、いかがなさいましたか」
会場の出入り口。そこにたどり着けば、何故か受付を担っていた使用人ではなく、王宮の家令が恭しく出迎えた。三人の口がピタリと閉じて顔を強張らせた。
「大変申し訳ない、娘が具合が悪いというので失礼させていただこうかと……」
「それはお困りでしょう。休憩室へご案内いたします。どうぞごゆるりとお休みください」
「いやいや、まだ会は続くのだからそんな迷惑はかけられない。我々はこれで……」
「いえいえ、お客人のお世話も出来ぬなど名折れでございます。さぁどうぞこちらへ」
「いやいや、そんな……」
「いえいえ、是非に」
ほら見た事か、と言わんばかりの母親の視線を浴びながら、ヒルデガルトは内心とても焦っていた。これは駄目だ。色々な人達から呆れられるし笑われる。そして間違いなく本は買ってもらえない。
ヒルデガルトがどうしようどうしようと頭をぐるぐるさせている間も、侯爵は必死に帰らせてくれと訴えていたが、家令はのらりくらりと躱して笑顔で滞在を進める。使用人達もやってきて案内を始めようとしている。帰す気など欠片もない、と言わんばかりに。
そうこうしているうちに、駄目押しの人物がやってきた。外務卿をも務める王弟、ウェルナー公爵その人が。
「ああ、ジレアウト侯爵、ここにいたか」
にこやかな笑みを浮かべ、だが絶対に拒否を許さない雰囲気で、彼は告げる。
「国王陛下がお呼びだ。ついてきなさい」




