受難の呪い
形容しがたい圧力が襲ってきた。
ヒルデガルトはエリアスと支え合うように寄り添っていたのに、その訳の分からない圧により手を離して崩れ落ちてしまった。
体勢を崩したのはエリアスも同じで、二人は今、ひと一人分の間をあけて倒れていた。
「殿下!!」
警護がそれぞれに駆け寄る。ヒルデガルトがくらくらする頭を押さえながら頭上を見れば、高い天井近くにクスクスと笑う女の姿が見えた。
――青いドレスを着た銀髪の美しい女。
そんな印象を持つのに、距離があるとはいえどうしてか顔の造作が頭に入ってこない。美しく魅力的な存在なのだという事が、何故か強く頭に刻み込まれる。そして、心底から楽しそうなのだという事も伝わってくる。
「頑張ったわねぇ、でも全部無駄だったわねぇ、ああ可哀想、ああ可愛らしい」
宙に浮いた美しい女が、まるでそこで椅子に腰かけているかのように足を組んで見下ろしている。
「……何をした」
自力で起き上がったエリアスは、底冷えする声で宙に浮く外魔女に問う。
「『何をした』? 言ったでしょう? 贈り物がしたいって。『受難の呪い』を授けるって。あぁそうね、みーんなにどんな呪いか教えなきゃねぇ」
どれだけ睨まれようが気にした様子もない外魔女は楽しそうに手を広げると、酩酊しそうなほど甘い声で「さぁ! 集まりなさい! お前達の王子様の事よ!」と高らかに言う。
すると、会場から出て非難していた貴族達が次第に戻ってくる。
戻り方は大まかに二通り。夢見心地な顔で足早に戻ってくる者達と、必死の形相や愕然としながらも抗えない何かに引っ張られるように戻ってくる者達。前者の多くが下位貴族で後者の多くが高位貴族なところを見るに、あらかじめ護身として精神関与や肉体関与の妨害遮断魔術をしていたかどうかなのだろう。そしてそんな魔術を展開していても、打ち破ってくる外魔女の魔法に操られていた。
ほとんど全員の貴族が戻ってきたが、唯一王族だけが戻ってこない。その事に気が付いた外魔女が、王族達が出入りする扉を見て首を傾げる。
「ちょっとぉ、自分の息子の事が気にならないのぉ? 抵抗しないでさっさと……」
口を尖らせながらそこまで言った時、轟音をとどろかせながらその扉から黒い炎が飛び出してきた。
「モルガナ!!」
黒い炎と同時に飛び出してきたゲルトルートが、一気に天井の外魔女へと迫る。
「あっは! ゲルトルート! いたのぉ?!」
モルガナと呼ばれた外魔女の体に、ゲルトルートが操る黒い炎が巻き付き燃やしていく。
「なるほどぉ、王様達はあんたが守ってたのねぇ」
「エリアスに何をした! 何の呪いをかけた!」
轟々と燃やされながらもモルガナは「だからそれを今教えてあげるって言ってるでしょお?」と笑顔で小首を傾げる。
黒い炎がモルガナを燃やす。何の抵抗もなく燃やし尽くしていく。その手ごたえの無さにゲルトルートの顔が歪む。
(くそ、残像か、もう逃げたな)
ゲルトルートが悟った答えすらも嘲笑うような、クスクスという小さな笑い声が漏れ広がる。その小さな笑い声がだんだんと大きくなり、モルガナの姿が一欠けらもなくなって黒い炎もなくなっても、それでも笑い声は大きくなり、会場中に、その場にいる者の頭の中に響く。
『王子エリアスには『受難の呪い』を授けた。聞くがいい、覚えるがいい。その内容は美しい』
声が響く。甘い甘い声が、その場のすべての人間の頭に刻まれるように。
『今はまだ出会っていない真実の愛と結ばれればかつてない栄華が、それ以外と結ばれればかつてない不幸が訪れる』
吐き気がするほどの甘い声がまたクスクスと笑いだし、そしてやがてこらえきれないとばかりにけたたましく笑う。
『さぁ人間達! 王子エリアスの為に真実の愛を探し出すがいい!!』
まるで遊戯か戦闘の開始でも告げるかのような宣言を最後に、外魔女の声は消え、その気配もすべてが消えうせた。
会場が静まり返る。誰もが今起きた事を理解しきれない。
それでも、言われた事が頭から離れない。
「……まずは全員の無事を確かめよ」
険しい顔をして現れた王の指示は、大きな声でないのに沈黙の会場の端までよく響いた。配下の者達がその声で我に返って動き出す。同時に、呆然としていた貴族達も何が起きたのかと騒めきだす。
「二人ともすぐに奥へ移動しろ。私と宮廷医とで状態を調べる」
「お師様」
天井近くにいたゲルトルートが降りてきてヒルデガルトとエリアスに声をかける。常に余裕の表情を浮かべているゲルトルートの顔が厳しい。それだけでヒルデガルトはごくりと息を飲んだ。
「わかりました。少なくとも現状体に痛みはなく何の支障もなく動きます。ヒルデガルトは?」
エリアスがゲルトルートに報告しながらヒルデガルトに手を伸ばす。いつもの動作にヒルデガルトもまた何も考えず手を伸ばしながらゲルトルートへと答える。
「ええ、私も特に問題はなく……」
バチン! と、何かが破裂するような拒絶音が響いた。
ヒルデガルトが、エリアスが、ゲルトルートが、そして会場中の人間がその音の発生場所に目を向ける。ざわめきがまた消えていく。静まり返る。注目していく。
ヒルデガルトとエリアスの、その間へ。
「ヒルデガルト……?」
エリアスは伸ばした手をそのまま、ヒルデガルトの顔を見る。ヒルデガルトは何かに弾かれた痛みすらある自分の手をまじまじと見て、それからゆっくりとエリアスを見る。
心臓が嫌な音を立てる。喉が詰まりそうになる。
いつもと同じ当たり前の動きだった。何事もない動きだった。それなのに。
目の前に延ばされたエリアスの手に触れたいのに、急激に触れる事が怖くなる。痛みが怖いのではない。触れようとして、それが叶わなかったその時が怖い。
それでもヒルデガルトは改めてエリアスに手を伸ばす。
けれど触れる寸前、やはり先程と同じように、何かにバチン! と音を立てて弾かれる。
手が痛い。ジンジンとする。
けれどそんな痛みよりも、胸が、血の気が。
「……これが、呪い……?」
誰かのつぶやきが、静まり返った広間に染み入るように響いた。
呪い。
「……ッふざけるな!!」
叫んだのはエリアスだった。
ヒルデガルトに触れようと手を伸ばして、その度に先ほどのヒルデガルトのように弾かれる。それを何度も繰り返す。何としてでもヒルデガルトに触れようとして。
「エリアス……」
震える声で名前を呼べば、周囲の人間も慌ててエリアスの行動を止めようと声をかけ、ゲルトルートがエリアスを羽交い絞めする。その拘束も制止の声も無視して、エリアスはヒルデガルトへと手を伸ばす。
「ヒルデガルト! 手を出せ! 私の手を離すことは許さない!」
初めて聞く感情的な声に、ヒルデガルトは胸を握り潰されたような苦しさを覚えた。
「エリアス様!!」
喘ぐように叫ぶ。裏返る一歩手前の強い声。ヒルデガルトのその声で、エリアスは瞬時に頭を冷やす。伸ばされた手がゆるゆると下げられる。
「……これは、呪いです。魔女の呪いです。すぐにでも調査し、解呪しなければなりません。その前に何度も効力を試されるのは、よろしくありません」
ヒルデガルトは胸の前で強く手を握る。強く強く。震えるほど。そうしなければ倒れそうだった。
「…………わかった」
長い沈黙の後、エリアスは俯いて一言呟き、そして姿勢を正す。その様子を見て拘束を解いたゲルトルートが、改めて二人を会場から逃がすように先導して退出される。
残された貴族達はまた騒めきだす。今見たものについてを隣り合う者達と小声で語りだす。
エリアス・ヴァルベルツ・クロイセルが人前で取り乱したのは、生涯を通して後にも先にもこの時だけであった。




