襲撃
夜会が始まってからずっと、多くの人たちが今日の主役であるエリアスに挨拶をしてきた。それらをエリアスとヒルデガルトはそつなく返していき、気が付けば一通りの挨拶は終えていた。
「ヒルデガルト、疲れていないか?」
「いいえ、大丈夫ですわ。エリアスは大丈夫?」
「問題ない。まぁさっきのでとりあえず必要な挨拶は終えたし、少し休もうか」
「そういう事でしたら喜んで」
ヒルデガルトは微笑み、エリアスのエスコートを受けながら座るところへ移動を始める。
挨拶は終わったとはいえ今日の主役で王子と王子の婚約者の二人だ。移動するわずかな間にも人々が来てはお近づきになれないかと会話を求める。それらの対応をしていると、不意に周囲がざわついた。
何事かとざわめきの方に顔を向ければ、そこには人波をかき分けてエリアス達の前へ這い出てきた少女がいた。
艶やかな茶色の髪は綺麗に結われているのに何処かくすんで見えて、宝石の緑を宿した瞳は煌めかず淀み、そばかすの散った頬は薄い化粧では隠せない程赤く染まっている。着ているドレスは流行の形によくある配色。どこにでもいる貴族の娘といった風情で、しかしその顔は抑えきれない興奮で口端が引き攣って歪んだ笑顔という、貴族にあるまじき表情になっていた。
「ごきげんよう、王子様!」
感極まったようなはきはきとした声に、周囲の貴族達は眉根を寄せる。あからさまなマナー違反。礼儀知らずの言動。一体どこの娘かとその顔を誰もがまじまじと見れば「イングリット!」と慌てた声が娘の背後から飛んでくる。
「何をやっているんだ、急にどうしたんだ、下がりなさい、失礼だろう」
その娘の父親らしき男が冷や汗をかきながら娘の肩を掴むが、娘は一瞥もせず振り払う。歪んだ笑顔のまま、何故か目の端に涙が溜まっていく。
「ああ王子様、私、ずっと貴方に会いたかったの、とても素敵ね、素晴らしいわ」
「イングリット! やめなさい!」
父親が声をあげて腕を掴んでも娘は止まらない。興奮したままエリアスへ近づこうとする。歪んだ笑顔で、涙を流しながら。
「――衛兵」
様子のおかしい娘に何かを感じ取ったエリアスが短く呼べば、すぐに衛兵たちが動き出し娘を囲む。しかし娘は怯まない。歪んだ引き攣った笑顔で、ボロボロと涙を流しながら、少しでもエリアスに近づこうと身じろぎする。
「私が今まで見た中で一番素敵よ、たす、本当に素敵! たすけて、ねぇ王子様、私貴方に贈り物がしたいの、おとうさま、受け取ってもらえるかしらたすけて、たす、たすけ」
「い、イングリット……?!」
ボロボロと流れる涙がじわりと赤く染まっていく。それでも顔は笑顔で。その体ががくがくと震えだす。足はエリアスの方へ進もうとしているのに、手は自分の腕を掴んでいる父親の手にしがみ付くように握りしめている。
「殿下! お下がりを!」
警護の一人が叫ぶのと同時にエリアスは身を引き、ヒルデガルトがそれを庇うようにエリアスと娘の間に立つ。そしてそれすらも庇うように衛兵達が二人の前に立ち、捕縛の魔術を展開する。衛兵達の抜刀された剣の柄飾りが光り、そこから光の縄が娘へと伸びてその体を拘束していく。
「ああもう! ……ひ……ッ! きゃあぁぁぁあぁぁ!!」
一瞬の苛立ちの声に、純粋なる悲鳴。四方八方から伸びてきた光の縄でがんじがらめになった娘は床に倒れ伏し、巻き込まれるように父親も膝をつく。
「イングリット! だ、大丈夫か?!」
「あ、あ、あ……」
短い呼吸と共に息を吐きだす娘の顔にもう笑顔はない。ただただ恐怖に染まった顔で真っ直ぐとエリアスがいる方向を見る。いや、その先を。そして叫ぶ。
「――ッ殿下! お逃げください!!」
娘、イングリットの叫びに、ヒルデガルトは即座に自分達の背後を顧みる。
まるで周囲の者が気を遣ったかのように、何故か人が割れて道が出来ていた。走ればすぐにでも辿りつける距離に立つのは、金糸で縁取られた純白のフードを被り顔を隠している人物。
――外魔女。
旅装でもあるフード付きローブは、けれど美しく飾られている場合は別の意味を持つ。それは世間や国から外れた存在となった魔女、外魔女が正装として着るもの。
「何者か!」
ヒルデガルトの突きつけるような誰何に、口元だけ見えているその人物の口端があがる。それを見たヒルデガルトは首飾りを握る。物理障壁魔術が埋め込まれているそれを握る事で、いつでも展開出来るように。
謎の人物が走り出す。ヒルデガルト、いや、エリアスへと向かって。同時にヒルデガルトが物理障壁魔術展開して自分達とその人物の間に見えない壁を作り出す。魔術の展開に気付かないのかその人物は真っ直ぐに向かってきて、壁に頭を打ち付けてのけぞった。のけぞり、そして、フードが外れる。
「確保!!」
警護責任者の力強い声に応じ、衛兵達が一斉にその人物に飛び掛かり抑え込む。
ヒルデガルトとエリアスはそれを呆然と見ていた。
「何故……」
美しく飾られたフード付きローブは外魔女の正装。それはこの国だけでなく世界的に知られている事実。
しかし、外れたフードから見えた顔は、男性の顔。
「ベナット?!」
さらけ出された顔を見て、周囲にいた貴族の一人が自分の息子の名前を叫ぶ。混乱の思いそのままに。
何が起きているのか。誰も何もわからない、その中。
「――この私が王子エリアスに『受難の呪い』を授けましょう」
声は、上から降ってきた。
「頭を下げよ!!」
ゲオルクの叫び声が会場に響き、エリアスとヒルデガルト含めその場の皆が一斉にしゃがみこむ。会場全体を覆うように、特にエリアスの頭上に厚く魔力障壁が一気に五重に作り上げられる。けれどすぐに一番上の魔力障壁が砕かれた音が響く。ヒルデガルトが咄嗟にエリアスに覆いかぶさり、すぐに二枚目の魔力障壁が、三枚目の魔力障壁が砕かれる音が響く。
何かが迫ってくる。
恐ろしい何かが。
エリアスは回復復元魔術が埋め込まれた袖口のボタンを引きちぎり、急ぎヒルデガルトをどかし抱きかかえながら五枚目の魔力障壁に触れる。四枚目の魔力障壁が砕かれる。残るは最後の五枚目。
「展開!」
五枚目の魔力障壁が砕かれ、けれどすぐに元に戻る。エリアスの膨大な魔力を使って、破壊と再生を何度も繰り返す。
「全魔術使いは殿下に続け! 他の者は避難誘導を!」
警護責任者が再び叫ぶ。エリアスと同じような魔術を準備していた者が同じように最後の魔力障壁を再生強化する中、数多の叫び声が飛び交いながらも避難が始まる。
ほとんどの者が会場を抜け出し、残されたのはエリアスとヒルデガルトと衛兵達と魔術使い達。そこでエリアスの魔力が限界を迎え尽きようとしていた。
「……ッヒルデガルト! 逃げろ!」
「いいえ!」
最後の魔力障壁が砕かれる。同時に、この短時間で書いた守護の魔術をヒルデガルトがエリアスに展開する。
それでも。
最後の最後の守り、ヒルデガルトが展開した守護魔術も硬質な音を立てて砕かれ。
「ぐッ……ぅ……!」
すべての守りを貫いた魔女の妄執が、『受難の呪い』が、エリアスの体にぶつかり落ちてきた。




