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ヒルデガルトは魔女の呪いに打ち勝つか?  作者: 柳瀬あさと
5、魔女は王子と国の未来を祝福するのか?

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23/29

二人だけの夕焼けと平和な日々

「少し付き合ってくれないか?」


 魔術庁の自分の部屋から王宮の自分の部屋へと戻ってきたヒルデガルトを訪ねてきたのは、何処か落ち着いた柔らかい雰囲気を纏ったエリアスだった。


「ええ、構いませんわ」


 今日はもうこの後の予定はないので、素直に頷いてエリアスと手を繋ぎ王宮の中を歩いていく。


「何処へ行くのですか?」

「そういえばまだヒルデガルトと一緒に行ったことは無かったと思ってな」


 何処へ行くかとはっきり言われないまま階段を上らされていく。ここまでくれば来たことが無いヒルデガルトにもわかった。物見塔、その頂上へ向かっているのだ。


「うわぁ……!」


 辿り着けば心地いい風がヒルデガルトとエリアスを優しく撫でた。この王宮で一番高い場所。見渡せる王都は夕焼けに染まっていた。家々がひしめき遠くまで埋まっている。無数の人々が住まうここは、間違いなく国で一番発展している場所だ。


「どうしてここへ?」

「ゲルトルート殿にヒルデガルトは高い場所が好きだと聞いて。屋根に登らせることは出来ないがここなら下手な屋根より高いだろう」

「あの別に屋根に登りたい願望があるわけでは……いえまぁ、高い場所は好きですが」

「ジレアウトでは登っていたと聞いたが」

「もう! お師様は!」


 両親だけではなくエリアスにも色々と暴露されている。今度会ったら文句を言ってやろうと心に決めたところで、繋いでいた手に少し力がこもった。

 風に髪を煽られながらエリアスを見れば、エリアスは真っ直ぐに街並みを見つめていた。


「母上が懐妊した」


 独り言のようにポツリと、だが風に負けないはっきりと聞こえる声で言った。


「ええ、うかがいました」


 橙に染まっている横顔を見ながら返す。


「勿論まだ生まれてもいないのだから確約はされていないが、それでも、性別がどちらであろうと、これできっと血は繋げられる」


 間違いなく慶事であるそれは、同時にエリアスの立場を脅かすかもしれないものだった。

 そこまで聞いたヒルデガルトは、今度は自分が繋いでいる手に力を込めた。


「ヒルデガルト、私は王太子になる」


 エリアスが前を見たまま言う。その先にあるのはきっと未来だった。

 その横顔の硬質さにヒルデガルトは一瞬喘ぐように微かに口を開き、けれどすぐにキュッと閉じて続きを待った。


「母の懐妊を知って、最初に訪れたのは安堵だ。その次に来たのが庇護欲。そこで私は覚悟を決めた。状況が私をそう駆り立てているだけなのではと思った事もあったが、違った」


 近い未来を、そして遠い未来を見据えて語っている。子供の視点ではない。王族の、多くを従え導く者の視点だ。


「私は王族として生まれ、王族としてのやるべきことを理解し、そしてその事に誇りを持っている」


 光煌めいている様に見える遊色の目に、迷いのようなものは欠片もない。それがヒルデガルトにも伝わったがゆえに、ヒルデガルトもまた隣で背筋を伸ばして受け止める。


「ほんの少しでも妬心や焦りが出るのならば、きっと私は王の器は持っていないと判断できた。だが、自分でも驚くほど新しい命を守らなければ、導かなければ、この子が歩む世界が幸福であるように整えなければ、という気持ちばかりが湧き出てきてな」


 そこまで言って、少しだけ表情を緩める。力が抜けたような微かな微笑みになって、そうして改めてヒルデガルトの方へと向き直る。


「それならば、そうあるべきなのだろう」


 一度目を伏せ、そして再び開いた時には笑みは消えていた。真面目なその顔はいっそ敬虔な教徒のようで、その身を捧げる殉教者のようだ。そう見えた事がヒルデガルトの胸を締め付けた。王の子なのだ。ここにいるのは、間違いなく。王となる少年なのだ。


「私は王太子となる。そしていずれは王となる。ヒルデガルトにもその覚悟を持って欲しい。私の横に立つのはヒルデガルトしかいないし、ヒルデガルト以外は欲しくない。魔術師であることをやめろとは言わない」


 エリアスが両手でヒルデガルトの両手を包む。祈るように乞うように。


「だがヒルデガルト、覚悟をしてくれ。国の頂点に並び立ち多くの臣下を従え数多の民を導く重責を共に背負う覚悟を」


 その両手の熱が、王の子の中にある一人の少年の弱さにも我儘の様にも思えて、ヒルデガルトは少しだけ目が熱くなった。


「……馬鹿ね、エリアス」


 あまりにも重く強い言葉に、けれどヒルデガルトは不敵に笑う。力強く。


「貴方との婚約を披露した時に、とっくに覚悟してるわ」


 あの婚約披露の夜会。広間に入る前に心の中で誓ったのだ。どのような形であろうとこの手を離さないと。支えるのだと。エリアスの憂いをはらうのだと。


「……ヒルデガルト……」


 当然のように言われたエリアスが一瞬目を見開く。見開いて、そして。


「婚約を結んだ時ではないのか」

「いえほらあの時はその多分に欲が前のめりでしてそこまで深く考えていなかったと申しますか……」


 思わずというように確認されたので、ヒルデガルトはそっと目を逸らした。


「ふ……」

「わ、笑わないでちょうだい!」


 風に紛れるような笑い声をヒルデガルトはしっかりと聞き取っていた。逸らした目を元に戻せば、そこには珍しく年相応な少年の笑顔があった。


「そうか、とっくにか」


 今まで、王族としてもっと作られた微笑も、とんでもない破壊力を放った美しい笑顔も見てきた。二年の間に色々な顔を見てきたけれど、この笑顔が一番いい顔だと思えた。肩の力が抜けたような軽やかな笑顔の先にあるのは、きっと未来だ。


「ええ、とっくによ」


 そうして二人で微笑みあい、また改めて眼下に広がる人の営みを見渡す。暖かな光に包まれた世界を、この先守っていく世界を、手を取り合ったまま暫く眺めていた。

 多分この光景を忘れない気がする。そんな事を思いながら。




 五か月後、王都に祝砲が鳴り響く。

 ヴァルベルツに王女が生まれた事を祝う祝砲が。



 そして、そこから数年の月日が流れ――……。




 * * *




 思い違いかもしれないからずっと口に出せなかったが、この数年、ヒルデガルトはちょっとした変化が発生しているような気がしている。


 ――エリアスがなんかいつも近い。


 王宮に来たばかりの頃は一緒のソファーに座っていても、もう少し離れていた気がする。身じろぎするだけで触れ合うほど近かっただろうか。エアリスが不意にヒルデガルトの手を握るのは昔からの癖だったが、それでももっとあっさりとした繋ぎ方だった気がする。指を絡めるような繋ぎ方だっただろうか。


「気のせいかしら」

「気のせいだと思っているの?」

「やめてくださいよ、両方とも鈍感とか周囲に迷惑なだけですよ」


 アデリナとシュテファンの呆れを含んだ目と声に、ヒルデガルトは扇子で隠してから口を尖らせた。

 今は王宮の庭園でお馴染みとなったお茶会の最中だ。

 チラリと問題のエリアスの方を見る。お茶を楽しんでいるヒルデガルト達三人とは少し離れたところで、ティーロとヴィクトルとままごとをしている小さな淑女を優しい目で見守っていた。


 最近、子供達のお茶会にもう一人参加する事が増えた。二歳になったエリアスの妹、カロリーネ・ヴァルベルツ・クロイセルだ。


「てぃーろさま、さぁ、りゅうをたいじちましゅよ!」

「は、姫君! 参りましょう!」

「ふはははは! よくぞ来たな! 全員燃やしてやるぞ!」

「ちあいます! びくとるさまはりゅうなの! おしゃべりちないの!」

「あ、失礼しました。えーと……ガオー!」

「そう! それれす!」

「リーネ、私は何をすればいいんだ?」

「おにいさまはりゅうのまもってるたからもの!」


 意気揚々と教育係が使う指示棒を振り回す幼児と、その幼児に振り回されている年長者二人と兄。その誰もが笑顔なので、他の子供達も周りにいる大人達も微笑ましく見守っている。


「はぁ、もうすぐ学園よね。カロリーネ様ともなかなか会えなくなると思うと寂しいわ」

「話を逸らしたわね」

「逸らして無いわ、終わらせたのよ」


 王立学園。

 ヴァルベルツが他国より優れている要因の一つは魔術庁だが、この王立学園とその仕組みもその一つだった。

 実のところ、この国の始まりはとても小さく弱かった。ゆえに優秀な才能をもつ者を獲得するためには裾野を広げざるを得なく。そんな国の始まりを引き継ぐように、才能さえあればどんな身分の者の前にも開かれる、学術の頂点にして完全なる実力主義の場所として作られたのが王立学園。

 第一位魔術師のゲオルクのような平民から伯爵まで登ったのは本当に特例だが、それでも王立学園を卒業した平民の中には、ただ才能のみで王宮の役職に付いたり男爵位を任せられたりという者も珍しくもない。

 ただし、貴族の子女に関しては少し事情が変わる。

 貴族子女はかつて国内情勢が安定していない時代には人質の意味で、今は帰属意識を高める事と交流を持つ事を目的として、王立学園に入学するのは義務となっている。

 そして卒業をもってデビュタントとみなす。そう、学園を卒業しなければどれだけ尊い血を持とうがどれだけ功績を積もうが、決して一人前の貴族と認めて貰えないのだ。


「あそこの竜と姫の騎士が学生やっているなんて信じられないわね」


 アデリナが笑い含みで言えば、ヒルデガルトとシュテファンも小さく笑う。貴族子女が入学する年齢は厳密に決まっていないが、それでもデビュタントを考えれば大体十四歳前後。ティーロとヴィクトルはエリアスが入った時に問題が無いよう先に入学しているのだ。


「我々は四人一斉に入学ですが、さてどうなることやら」

「私達は学業に関してはもう何も必要が無い状態だもの、人脈作りが中心でしょう」

「あら、私は学園にあるっていう魔女の為の魔法についての書物が目的よ」

「ヒルデ、貴方って子は本当にもう……」


 アデリナとシュテファンの溜息にヒルデガルトがホホと笑う。

 澄み渡る青空の下、「やられたー」というヴィクトルの棒読みの悲鳴とカロリーネの弾けたような笑い声が響いた。

 子供達の教育はほとんど終わっている。エリアスの為の魔術研究も着々と進んでいる。

 何もかもが上手くいっていて、希望に満ち溢れていた。そんな日々がこれからも続き、輝かしい未来が待っていると思っていた。



 ……誰もが、そう思って信じていたのだ。


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