魔術の成功
「……酷い顔ね」
久しぶりのお茶会でともすれば悪口に聞こえそうなことを真っ先に言ったのはアデリナだった。
「昨日はちょっと遅くまで作業をしていて……」
言われたヒルデガルトは化粧等で誤魔化しきれない浮腫みや隈がわかっているゆえに、素直に頷くしかない。
ヒルデガルトの教育が一時中断されてから数か月が経つ。ヒルデガルトとエリアス達の交流も最低限となり、持てる時間のほとんどを魔術研究に費やし、今日この日は本当に久しぶりの参加だったのだ。
「いつも、の間違いじゃないの?」
「あら情報通。それはそうだけど、昨日は本当に特別だったの」
探るように話し始めれば、会えていなかった時間を埋めるようにどんどんとお互いの事を聞き出していく。
ヒルデガルトが抜けたとしても、エリアスを始め子供達への教育は変わらず行われてきた。とはいえ、先を急ごうとするヒルデガルトがいなければエリアスも少し緩めて進み方は大分落ち着いた。
もともと異様に進み過ぎていたのだ。余裕が出ればそれぞれがやりたい事や特に力を入れたい事も決まりだし、出来過ぎるほど出来ている子供達に特例を与えてもいいのではと考えだす。
結果として、エリアスは王の執務室で見学させてもらったし、アデリナは社交界を覗かせてもらったし、シュテファンは王宮のそれぞれの部署を回らせてもらったし、ティーロは魔術庁で魔術使いとしての技を磨かせてもらい、ヴィクトルは騎士としての教育も受けさせてもらった。
「あくまで一時的な短時間の見学や参加だが、かなり有意義だった」
「面白かったわよ。流行の作り方とかもだけど派閥関係なしに認められている夫人がいるとか人間関係もわかって」
エリアスとアデリナの発言に他の三人も頷く。その顔は皆同じように充実していた。
「それでヒルデ、貴方は何をどこまで進めたのかしら?」
その顔はどうやって作られたの? と扇子を広げて貴婦人のように微笑むアデリナに、ヒルデガルトはすっかり忘れていた淑女の笑みを作って、けれど隠しきれない興奮で「んっふふ、ふ!」と変な声を出してしまい、久方ぶりの教育係の咳払いを聞いた。
「本当は正式には明日、魔術庁から陛下へのご報告となる筈ですが、ですが! 他ならぬエリアス様がいらっしゃるのですもの、ここだけの秘密をお伝えしましょう」
もったいぶった言い回しに、子供達の注目が集まる。ヒルデガルトの言い方からも表情からも悪い報告ではない。こくり、と子供達の小さな喉が上下する。それならば、もしや。
「エリアス様、お待たせいたしました。まずは第一段階の魔術。魔術庁内での実証実験が無事成功いたしましたので、近いうちにエリアス様にご協力を願う事になると思います」
* * *
まず何よりも優先させたのは魔術差を無いものとする肝心の部分の術式。その確立と検証。
魔力とはその強弱はあってもすべての生きとし生けるものが持っている力。湧き出ているのが肉体からなのか精神からなのかはまだわかっていないが、その個体から湧き出ているもの。それが何故魔力量の差異で命の危険になるかと言えば、弱い方が押し負けてしまい魔力を湧き出させることが出来なくなってしまうからだ。
多少の差異ならば押されることはあってもすべて押されてしまうことは無いし、まして魔力が湧き出るのを塞がれる事など無い。しかし差が大きければそうなってしまう。
では魔女は何故問題なく触れるのかと言えば、魔術の徒ならばただ湧き出るばかりの魔力が、魔女には湧き出てさらに身の回りを流れるのだという。流れているから相手の魔力を押すこともなく触れられるのだ。
要は普通なら接触する相手同士の魔力はぶつかり合い力比べとなるが、魔女はぶつかり合わず受け流すのでぶつかり合う事も力比べになる事もない、という事だ。
ヒルデガルトにかけられている術はぶつかり合うのでも受け流すのでもない。
「魔力の衝突と同時の放散、これが今回エリアス殿下に試していただく魔術となります」
ミュラーの説明にエリアスと実験相手となる侍従と、そして強く参加する意思を示した王が魔術庁の実験室の中で聞き入った。ゲオルクとヒルデガルトはすべてを記録するために既に部屋の片隅で待ち構えている。
魔力が衝突する瞬間に衝突した魔力を放散し、衝突そのものを無かった事とする。それこそがヒルデガルトの術の要。
今まで何度も条件を変え繰り返された魔術師同士での実験では、一度たりとも問題はなかった。そうなれば後は当事者であるエリアスで試すのみだ。
「現在は場所固定の魔術としてこの部屋に設置しております。今回はあくまでエリアス殿下の魔力量でも問題ないかの確認です。それゆえに耐久性持久性はあまり考慮されておりませんので、その点はご了承ください」
慎重に説明され、全員の了承を得られれば実験となる。
「それでは始めます――『展開』」
その言葉に、実験相手の侍従と万が一の時に備えての護衛達と宮廷医師が緊張する。
部屋の中が先ほどまでとは違う空気で染まる。何かが動き出した。それが部屋にいる誰もが分かった。
エリアスが侍従へと手を伸ばす。真剣な眼差しの侍従が背筋を伸ばす。エリアスの手が、侍従の肩へと置かれる。
……エリアスの近くに配置されるだけあり、この侍従は魔力量が比較的多く、健康過ぎるほど健康で、更に健全な精神で安定した心を持っている。だからこそ意識していればエリアスが多少触れても耐えられる。かつてエリアスがヒルデガルトとの婚約を迫った時によじ登られても無事だったのは、魔術で拘束されていたから倒れる事が無かったことに加えて彼だからこそだった。
だがそれでも、ずっと触れられればとても耐えきれない。そもそも耐えているだけで影響は間違いなくあるのだ。
「…………何も、感じません」
その侍従が、目を見開き、口を震わせて語る。常に傍にいて、それでも触れる事などほとんどなかった主をじっと見ながら。肩にある手の重さとぬくもりを感じながら。
「何も……ッ体調の不良もなく、魔力が押される感覚もありません! 殿下、大丈夫です! 大丈夫です!」
大丈夫だと、心の底から言う事が出来なかった言葉を、今全力で訴える。その侍従の言葉に、エリアスがグッと口を強く結び、王が強く拳を握り締めた。
「ミュラー伯、実験相手を代わりたい」
「陛下、それは……!」
いくら安全に考慮しているとはいえ、万が一を考えれば王を実験相手とすることは出来ない。
「命令だ」
万が一がある。そう周りから言われて、自身の立場故のそれを理解するからこそ、ずっと一度たりとも触れる事が叶わなかった。自分の息子に。たった一人の息子に。
「……はい」
それを知っているミュラーは一度目を閉じて覚悟をし決断する。すぐに侍従がその場から退き、王がエリアスの前に立つ。
「……触れるぞ」
「……はい」
王の手がエリアスの頭へ伸び、そしてそっと触れる。エリアスの艶やかな金の髪の感触を確かめるように、ゆっくりと、ゆっくりと撫でる。
何事もない。
誰にも何事もない。その事実を、部屋にいる全員が噛みしめる。
「ああ、お前の髪はこんなにも柔らかだったのだな……」
王が、フランツが目を細める。
「……ッ父上……!」
王家特有の深い青と緑の遊色の目。宝石のような二対の目が、どちらも柔らかく潤んでいた。




