父の歓迎
「ジレアウトは無事生まれたか」
国王であるフランツは改めての正式な報告に対し、執務室で落胆にも安堵にも見える息を吐いた。
「まぁ仕方なしですね。今は縁戚で良しとしましょう。いずれという事で」
宰相のヨハンが縁が出来ればどうとでも出来ます、と言うが、フランツは嫌そうに顔をしかめる。
「ゲルトルートがそれを許すと思うか?」
「ゲルトルート様も永遠ではございません」
「そうなったらただの田舎の領だ」
返されて、ヨハンはお手上げとばかりに苦笑する。
エリアスの婚約者であるヒルデガルトはジレアウト侯爵の一人娘だった。女にも継承権があるこの国ではヒルデガルトは間違いなくジレアウト侯爵の後継者で、このままエリアスと婚姻となれば王家が何の問題もなく正当にジレアウトを手に入れる事が出来る筈だったが、そこは相手も侯爵位を問題なく維持し続けた貴族。ヒルデガルトの王宮入りと同時にしっかりと子作りを始め、この度無事に出産し、後継者の変更となったのだった。
「夕餉の席ではエリアス殿下とご一緒なのでしょう? せいぜい善良な大人の仮面をお被りになってジレアウトを祝福してあげてください」
「エリアスもわかっているとは思うが……」
王として君臨するならば、地盤はどれだけ固めてもさらに固めるべきだし、重要な場所は確保したいし、取れるものを取りにいかないのは阿呆だ。王太子となるべく教育をされているエリアスならば、その辺りはしっかりと理解しているだろうと考えるフランツだったが、ヨハンは楽しそうに喉を震わせる。
「おや、ご存じない? 殿下は大分純粋にヒルデガルト嬢に惹かれていると王宮内でも噂が出ておりますよ」
「……やはりかぁ」
くしゃりと笑みを作る。それは苦笑に近いが何処か面映ゆさがあった。
本人からは報告も相談もない。それでもふと二人を見る時には手を繋いでいることが多く、なかなかに円満な様子だとは思っていたが、親の欲目も多分にあると考えていた。それが第三者から見てもそう見えるのならば、きっとそうなのだろう。
「持参金がどう変わろうと快く受け入れねばならんな」
「陛下も人の親ですね」
私が厳しく見ますよ、と返すヨハンに王は小さく笑った。
* * *
森に囲まれた街道を抜ければ急に視界が開ける。王都からジレアウト領に入る時に本当はお勧めは秋だ。金に染まる麦畑が来訪者を迎えるのだ。
「帰ってきたわー!」
馬車の窓を開けたヒルデガルトは、今はただ茶色いだけの空の畑を見て叫ぶ。味気ないその風景もヒルデガルトにとっては懐かしさの塊だ。
「ん? もう着いたか?」
叫び声で目を覚ましたのはゲルトルートだ。
「お師様寝すぎですわ! 懐かしいとかありませんの?」
「私にとっては三日前までいたところだしなぁ」
あくびをしながら伸びをするゲルトルートに、ヒルデガルトは「魔女というかお師様はズルいわぁ」と口を尖らせる。ゲルトルートは知っている場所のみ自由に移動が出来るという魔法を使える。けれどそれは誰かと一緒には使えないので、三日前にジレアウトから王宮へとヒルデガルトを迎えに来て、そこから一緒に馬車の旅をしていたのだ。
馬車の中には二人しかいない。本来なら乗る筈の侍女もゲルトルートが「道中魔術の研究をするから邪魔だ」とどかしてしまったのだ。ちなみにジレアウト領からずっとヒルデガルトに付き添っている侍女は胸を撫で下ろし喜んで荷物を入れた馬車に乗り込んだ。この二人の魔術研究に過去付き合わされて髪の色が変わった事があるからだ。ただしそれがきっかけで今の恋人が出来たので何とも言えない。
「あぁ、家に帰ったら絶対にパイ菓子を食べるわ。昔と同じように手づかみで齧り付くの。王宮だと出来ない事を沢山沢山やるんだから! 朝から晩まで魔術研究とか!」
「王宮でも一度やっただろう」
「その後の先生とアデリナのお説教ときたらもう! 王宮では二度とパイの手づかみも一日中の魔術研究もしないと誓いましたわ! あと王宮のパイは繊細過ぎて! もっとこう、分厚い感じの! わかりますお師様?!」
「たまにジレアウトのパイを差し入れしてるじゃないか」
「そうですけどナイフとフォークで食べると味気ないんですの!」
やはり手づかみで直接! と力説するヒルデガルトにゲルトルートは喉を震わせて笑う。
「カールとディディが泣くぞ、成長してないって」
「お母様の前ではしないようにしますわ」
「カールの前では?」
「ここぞとばかりに甘えますわ」
「計算高い小娘め」
「あらいやだ、公私の区別がつけられる淑女なだけです」
ヒルデガルトが堂々と胸を張れば、ゲルトルートは声に出して笑った。
ジレアウト侯爵邸まであと少し。
ヒルデガルトは久々の家と家族と初めての家族に心を弾ませていた。
「ヒルデガルト・ノル・パシュケルト、只今戻りました」
出迎えた父カールは、楚々と馬車から降り淑女の微笑みを携え完璧な礼を取る娘に対し、まず目を見開き、そしてじわじわと涙ぐみ口元を手で覆った。
「ひ、人の子になってる……ッ」
「第一声がそれですの?」
淑女の微笑みが秒で消えた。
「お前の事だから、家に帰ってきたらこっちのものと挨拶もせずに厨房へ押しかけ『パイ菓子を頂戴!』と料理人たちにせびるかさっさと自室に閉じこもって魔術研究を開始するものかと……ッ」
「おおお父様は娘を何だと思っているのかしらぁ?!」
絶妙な線を言い当てられたヒルデガルトは父親からさっと視線を外した。お師様そこ笑わないで! と内心訴えながら。
「……ふぅ、まぁいい。おかえり、ヒルデガルト」
カールは優しく微笑む。その笑みにヒルデガルトの胸が熱くなる。
王宮で両親に会える事はあった。それでもその時は人の目もあったし、もっと他人行儀にならざるを得なかった。
けれど今は違うのだ。
ここはジレアウト領で、生まれ育った家で、王宮の人はついてきてはいるけれど、それでも父はただヒルデガルトを心から歓迎してくれている。
帰ってきた。
「ええ、お父様! さぁ、お母様と弟に会わせてくださいな!」
「まずは少し休みなさい。パイ菓子は作らせてあるよ」
「お父様大好き!」
「流石にもう手づかみは卒業しただろう?」
「も、もちろんですわぁ?!」
ゲルトルートの盛大な笑い声に押されるように、ヒルデガルト達は館へと入っていった。




