恋よりも愛よりも先の約束
魔術の研究が出来ない。
ヒルデガルトはこのところお披露目会の準備と教育で雁字搦めだった。
結局考えていた余興は未発表のものは駄目だと言われてしまい、だったらエリアスの魔力も借りて既知の魔術を最上級に仕上げてやるわと燃えに燃えた。その余興の準備の時だけは楽しかったが、他の準備の時は心が死んでいた。
「エリアス様は落ち着いていらっしゃいますね」
婚約お披露目の夜会が始まった。とはいえ中心となるのは大人で、二人は紹介されるその時まで控室で向かい合うようにして座って待っている。隣の控室では同じく遊び相手で側近候補としてお披露目されるアデリナ達もいるだろう。
「まぁ、王族としていずれやるものと思っていたからな」
「始まりが違いますのねー」
嫌になりますわ、と大きくため息をついて体勢を崩すと、部屋の隅で控えている教育係がコホンと一つ咳払いをする。それを聞いたヒルデガルトは、やれやれといった様子で背筋を伸ばし微笑みを作り上げる。まったく王宮とは狭苦しい。
「ジレアウト侯爵夫妻が『ただの獣から知恵ある獣になったようなもの』と言っていたが、無事に人間になれたように見えるな」
「最初から人間でしてよ」
「あのダンスでか?」
「お黙りになって」
お互い無表情と心にもない微笑みという、一見すると仲が悪そうな様子で会話を続ける。教育係や従者や侍女や護衛やいる以上ここさえも教育の場の一つの筈だ。それでもこの表情でのこの会話を止められないという事は、これ位の愚痴は許されているのだろう。
「もう少しだけ待ってくれ」
エリアスの声にヒルデガルトが小首を傾げる。
「お披露目さえ終われば一段落だ。そうしたら約束通り魔術研究に力を貸そう」
それを聞けばヒルデガルトの形ばかりの微笑みが本物になる。
「覚えていてくださったのですね」
「当然だろう」
「確認しておきたいのですが、心身に支障の出ない、というのはどれくらいまでの事を指します? 血の採取は可能です? 翌日まで寝込む位は?」
教育係が先ほどよりも大きく鋭い咳をした。許される範囲を超えたらしい。
「個人的には問題ないが駄目のようだ」
「もしかして私騙されたのではなくて? あれもこれも駄目と言われてしまうのでは?」
「言われる前に実行してしまえばいいだろう」
教育係だけでなく従者も強く咳払いをした。王子の許される範囲も超えたらしい。
「……今更ですが、王族とは多くに支えられた立場ですね」
僅かに目を伏せながら呟く。不自由だ、とは口に出さない。それ位はヒルデガルトも学習した。そんな声にエリアスは特に表情を崩すこともない。
「生まれた時からこの立場だから当然の事だと思っていたが、まぁそうだな。ヒルデガルトにはまだ馴染まないか」
「ええ、まだ王宮に来て二月ほどですから」
「まだ二月ほどか」
ここでエリアスは虚を突かれたように目を瞬かせた。
エリアスにとってヒルデガルトが来てから、いや、ヒルデガルトと出会ってから全てが一気に動き出して日々忙しくなっていたので、もっと長いような気がしていたのだ。
本当にすべてが動き出したのだ。
今日のこの日も大した価値のない披露目になると予想されていた。アデリナとの婚約となっていたら正式には言わなくとも中継ぎの立場と宣言するようなものだっただろう。そうとしかなれないのなら仕方がないと思っていた。それがどうだ。
ヒルデガルトという奇跡の存在。
正式な王太子へとなる道が開けた。今までだって国の為に身を捧げるべきなのだろうと思っていたが、意味合いが違う。覚悟が違う。
身の引き締まる思いと同時に、神に感謝を捧げたくなるほどの安堵もある。
それはただ自身が王太子となれるかもしれないという喜びとは違う。
自分の存在が国に傷をつけずに済んだという安堵。国を繋げることが出来るという安堵。
真面目さゆえに、賢さゆえに、そして罪悪感ゆえに、エリアスは無意識ながらも既に国士としてあった。
「……ありがとう」
だからその言葉は口から自然とこぼれた。自身の為に、ではなく、国の為にありがとう、と。
そして今度はその言葉を受けたヒルデガルトが目を瞬かせる。ヒルデガルトにとっては感謝されるようなことはやった自覚がない。自覚はないが、すぐに理解する。なにせヒルデガルトを知ってすぐに暴走してでも婚約を結んだエリアスだ。
エリアスは王族としての責任感が強い。
それはこの二月ほどの交流で嫌でもわかった。例えば、教育係への質問の質が違うのだ。ヒルデガルトは事実を知る為の確認と追及が多く、エリアスは国への利益不利益になるかを知る為の確認と追及が多い。アデリナ達から見たら違う次元にいる二人だが、その二人もまたお互いが違う次元にいると思っている。
ヒルデガルトはその違いを好ましく思っていた。
(単純に尊敬するのよねぇ。だって国よ? それを背負う覚悟をこの年で持つなんて凄すぎるわ)
そう、実のところ好意よりも先にきたのは尊敬だ。尊敬からくる忠誠に似た何かだ。だからこそ何の支障もない状態になってほしいと祈ってしまうし、その為にも魔術の研究を進めねばと強く思う。
「時間です」
ありがとうに対する返事をする前に呼ばれて席を立つ。エリアスが当たり前のようにエスコートの為に手を出し、ヒルデガルトがその手を取る。
その触れる一瞬、エリアスの頬が強張ってそして柔らかい自然の笑みが僅かにこぼれる。
触れ合う度に見せるその表情の移り変わりを、哀れにも可愛らしくも思うようになったのはいつ頃だったか。
「ありがとうはまだ早いですわ」
広間の扉の前へ移動しながらヒルデガルトは言う。広間の扉の前には既にアデリナ達が待っている。
「私と触れ合えるからなんだというのです。そうではありません。目指すべきはそうではないのです。はっきりとエリアス様に伝えた事がありませんでしたのでいま改めてお約束します」
約束する、と言われてエリアスは横目でヒルデガルトを見る。けれどヒルデガルトはエリアスを見ていない。真っ直ぐと前を、広間への扉を、その先を見据えている。
「必ず魔力差を無きものとする魔術を正しく完成させます。このヒルデガルトがエリアス様の憂いをはらってみせましょう。ですからそれまではただの共犯者に感謝はいりませんわ」
意志の強さで煌めく瞳に、エリアスは一瞬見とれ、そして自身も前を向く。触れ合う時と同じように、自然と顔が淡い笑みの形を作っていく。
「心強い共犯者だ」
「ご協力はお願いしますね」
「しかもしっかりしている」
「当然です」
そうして扉は開かれる。
広間には国中から集まった貴族達がいて、彼らの様々な思いを込められた視線が突き刺さる。ヒルデガルトは初めての体験に少し怯みそうになるも、エリアスが繋いでいる手に少し力を込めた事で支えられた。
この視線を当たり前のものとして受け入れて、傷つけられて、それでも応えようとしている存在をもう知っている。
魔術師として生きる事は変わらない。それでも、今繋いでいるこの手を離すことはしない。それがどのような形になっても、婚約者であろうとなかろうと、エリアスを支える事はきっともう変わらない。
必ずエリアスの為の魔術を完成させる。
心の中で強く誓いながら、ヒルデガルトは広間へと踏み入れた。
婚約披露の夜会は無事、大成功のうちに終わる。
中でもエリアスとヒルデガルトがダンスの最中に見せた花と貴石の幻影が振り撒かれる魔術は、二人と国の未来を祝福するにふさわしい余興として多くの貴族が笑顔と拍手でもって迎え入れた。




