臆病な者。進む者。
レナはゴクアの屋敷で、恐らく最後になるであろう、業務報告を行っていた。ゴクアの目を見つめて思う。相変わらず冷たく淀んだ目だ。元々ゴクアのような人物は人の上に立つ裁量が無かったのではないだろうか。もしもゴクアが貴族の家に産まれなかったのなら、どんな人生を歩んでいたのだろう。ふと、そんなことが心に浮かび、すぐにどうでもいいことだと考える事をやめる。
「今回の報告は以上です。ゴクア様。」
レナはゴクアに頭を下げると、ミラージュの方に近づき、ミラージュの額に手を当てる・・ふりをして、ゴクアからの死角になる位置から、手元にある子瓶の中身をミラージュの顔や手など肌の露出した部分に塗り付けた。
「あなた、最近変なものを食べた事無い?それか、このあたりの井戸水を飲んだとか?」
ミラージュはレナの言っている意味が理解出来ず、キョトンとした顔をしている。
「そんなこと無いと思うけど・・、あ、でも井戸水なら少し水浴びに使ったかも。」
レナはミラージュの発言に大げさに驚いてみせた後、ゴクアに緊急報告と言った面持ちで、ミラージュの様態について告げる。
「ゴクア様、差し出がましいようですが、ミラージュ様は疫病にかかっている恐れがあります。このままでは、ゴクア様をはじめとし、ここにいる皆様まで伝染する可能性がありますので、一旦隔離された方が宜しいかと思うのですが、いかがいたしましょう。」
ゴクアはレナの話にピクリと眉を動かした後、ミラージュの方を見つめる。ミラージュの体中に赤い斑点が現れている。額からは汗が大量にでていて、顔色も悪そうだ。
「どうした、ミラージュよ?」
ゴクアが問いかけると、ミラージュはゴクアの方にうつろな目を向ける。
「いえ、その・・ちょっと気分が優れなくて・・」
ミラージュはそこまで言うと、そのまま地面に倒れた。すかさずレナがミラージュを肩に担ぐ。
「ゴクア様。ひとまずミラージュ様を風当たりの良い場所で休ませておこうと思うのですが、宜しいでしょうか?」
レナは内心緊張しながら、ゴクアにミラージュを外に連れ出す事の許可を申し出る。先ほどの子瓶にはランシアが実験室で作成した薬品が入っていた。薬品には即効性で皮膚を一時的にただれさせ、血行を極端に悪くし、強烈な発汗を促す効用と、睡眠誘発剤が含まれている。効果は一時間程でなくなるが、ゴクアの目を欺くには十分な時間であろう。
ゴクアの許可を受けたレナは、ミラージュを担いで、そのまま屋敷の庭の隅にでる。ゴクアの部下達の視線に注意しながら、念話でランシアに連絡をとると、程なくしてランシアがリッチマンを伴って、レナとミラージュの前に姿を現した。
リッチマンは素早く周囲のゴクアの私兵たちを眠らせた後、いつものように小型化の魔法をレナとミラージュにかけ、道具袋にしまう。続いてランシアが、リッチマンの肩に手を回して抱きかかえる形で瞬間転移魔法を使い、カシワたちの元に戻る。この間、約一分弱だ。他の場所を担当していたゴクアの部下達が異変にときには、辺りには誰もいなくなり、静寂だけがゴクアの屋敷を包んでいた。
ミラージュをゴクアの元から連れ出すことに成功したレナたちは、待機していたカシワたちと合流して再びタイタンの所へ向かった。タイタンがミラージュの姿を見て、大きく目を見開く。金色の美しい髪。吸い込まれそうな緑の瞳。少し幼さが残るものの、知的で整った顔立ちは間違いなくミラージュだ。
ミラージュもまた、タイタンの姿をじっと見つめる。ランシアの薬の効果はまだ残っているものの、もう既に意識ははっきりしており、瞳に捕えたタイタンの姿を前にして、呆然としている。ゴクアの目がない場所で、タイタンに向かい合う事が出来たのは、もう何年ぶりになるだろうか。タイタンはミラージュを見つめながら、カシワたちに呟く。
「ミラージュ・・、本当にゴクアの元から連れてくる事が出来るとはな・・それも、こんな短時間で。・・悪いが、少しミラージュと二人にさせてくれないか?」
タイタンの部下やカシワたちが全員部屋を出ると、タイタンはミラージュを優しく抱きしめた。ミラージュの温もりが伝わってくる。ミラージュもまた、タイタンを抱きしめ返し、タイタンの胸に顔を埋めた。
「・・変わってないのね、タイタン。なんだか、こうしているとすごく落ち着く。腕周りがさらに大きくなったみたいだけど、ずっと鍛えていたの?ちゃんとご飯食べてた?」
「ああ。おまえの方こそどうなんだ?ゴクアの元じゃ、生活にも色々不便があっただろう?」
「食事とかは問題なかったけどね・・でも、ゴクアは毎晩のように、私を蹂躙し続けたわ。タイタン・・私は、もうあなたの知ってるミラージュじゃないの。私は汚れた女よ。だからもう、優しくしないで。」
「何言ってるんだ?おまえは全然汚れてなんかいないし、変わってもいない。綺麗で、優しくて、賢い。俺の自慢の女だ。愛してる、ミラージュ。」
「・・タイタン・・いいの、私なんか受け入れたら、苦労するわよ?」
「構やしないさ。おまえのための苦労ならな。」
「・・ありがとう、タイタン。私も愛してるわ。」
タイタンとミラージュは互いに見つめ合い、そっと唇を近づけた。結局、その日はタイタンとミラージュは二人で過ごす事になった。タイタンはゴクアに代わる貴族として立候補を了承し、ゴクアの部下であることを辞めることをカシワたちに宣言した。残っていたゴクアの私兵団のうち、タイタンの部下だった者も皆タイタンについていくこととなった。
ゴクアも翌日にはタイタンやレナの異変に気づいたが、まだ王都の役人達の目が光っている事もあり、すぐに手を出してくるようなことはしなかった。元来慎重な性格のゴクアは、リスクがあるときには行動を控える傾向がある。しばらくの間、ゴクアとタイタンは、水面下での画策はともかくとして、少なくとも表面上は膠着状態が続いていた。
そして一週間後。
「ご苦労だったな、ノルヴェ村の住人達よ。これで釈放だ。もう村に帰っていいぞ。」
村人達が王都の取調べから解放されるときが来た。だが、その言葉に喜ぶ者は一人もいない。村に帰るなら、牢獄の中での生活の方が何倍もましだ。いや、もしかしたら村に帰ればすぐにゴクアに処刑されるかもしれない。村人達もゴクアが村を焼き討ちしようとしていたことは既に把握していた。
故に村に帰ろうとする者は誰もおらず、役場から出てこれからどうしようかと相談し合っていると、男が一人近づいてきた。
かなり顔立ちの整った男で、村人の女性陣は思わず、男の方に振り返る。男は優しい笑みを浮かべて、村人に朗らかに語りかけた。
「ノルヴェ村の皆様、初めまして。私はリッチマンというものです。今、皆様は非常に不安を抱いている事かと思います。このまま村に帰っていいものかどうか。ですがどうか、ご安心ください。皆様の身の安全は私の仲間や、フランの近衛兵の方々が保証してくださいます。もうゴクアの圧政に怯える事はありません。」
リッチマンの言葉に耳を傾けてはみたものの、信じる者は誰もいない。どうせこいつもゴクアの部下の一人で自分たちを騙して村に連れ帰るだけなのだろう。誰もがそう思いはじめた頃、さらに二人の女性が村人達の前に姿を現した。村人達は二人の姿を目に捉えて驚く。二人は村から逃げ出したはずのライラとリニアだった。
「おまえら、無事だったのか。だが、なんでここにいるんだ?」
「心配してたのよ。でも生きていてくれて良かった・・」
「あの後、大変だったんだぞ。逃亡者が現れたってことで、さらに私兵団の連中の虐めが酷くなってな。いや、お前らを責めてるわけじゃないんだが・・」
村人達は喜びや不平を言い合いながらも、二人が無事である事に安堵し、ライラとリニアの周囲を取り囲んだ。リニアは先頭に立って村人達に告げる。
「皆、心配かけてごめん。でもこちらのリッチマンの言う事は本当よ。もう私達はゴクアなんかの脅威に怯えなくていいの。それに、タイタンなんだけどね・・」
タイタンの名を聞くと、村人達の表情が一変して険しいものになる。タイタンもまたゴクアに並ぶ圧政者の一人だ。これまで受けた仕打ちを思い出し、拳を握りしめ怒りをあらわにするものも多い。
「まさか、タイタンになにかされたのか?ちくしょう、俺たちにもっと力があれば、あんなやつ、絶対に許しちゃおかないんだが。」
「もう、放っておきましょうよ。やっぱり村に戻る事なんか無いわ。タイタンがいる場所なんか行っても不幸にしかならないもの。」
すると今度はライラが皆の発言に苦笑しながら答える。
「やっぱり皆そう思うよね。うん、ボクも同じ事考えてた。前まではね。でも聞いて。タイタンは今、村の復興事業を行ってるんだよ。」
「おいおい、冗談きついぜ。そんなはずないだろ?あのタイタンが。」
「それが冗談じゃないの。タイタンも私達と同じように、ゴクアに無理矢理従わされてるだけだったの。今、タイタンはゴクアを倒すために協力してくれてるわ。」
「何言ってるんだ、ライラ?夢でも見てるのか?」
「信じられないのは無理ないと思う。今まで散々、酷い目に遭わされてきたものね。でもよく思い出してみて。タイタン自身が私達の命を直接奪った事ってある?」
「そりゃ、直接は無いだろうが、同じ事だろう。今まで何度も命令を・・」
村人の一人が言いかけて、はっと気づく。そういえば、タイタンは命を奪う命令をしたことはない。いや、しかし・・
「確かに命は奪ってないかもしれないが、あいつは俺たちの貴重な蓄えを奪い続け、女達を犯していたじゃないか。確かお前も被害に遭ったんだよな、シーラ?」
シーラと呼ばれた女性は、頷こうとし、思い直して首を横に振る。
「それが、実はね。タイタンは私に手をかけなかったの。タイタンの部屋に連れて行かれて、もうダメなんだって思ってたら、タイタンはしばらくこの部屋にいろって言って、そのままソファーに座り続けてたわ。一時間程たったら、犯された振りだけしてろって告げて、解放してくれたの。」
シーラがタイタンに連れて行かれたときの様子を答えると、別の村人の女性が驚いてシーラを見る。
「シーラ、あなたもだったの?私も同じだった。何もされなかったから、かえって裏があるんじゃないかって疑ったんだけど、結局何もなかったし、もしかしたら、タイタンの気まぐれで私だけ助かったんじゃないかって思って、被害に遭った振りだけしてた。」
すると、他の村の女性達も口々に自分も同じだったと告げる。結局タイタンは女性達には誰一人として手にかけてはいなかった。全員が被害に遭った振りをしていただけだった。もっとも金品の強奪の方は、実際にやっていたのだが。
村人達が騒ぎだすのを見て、リッチマンが今、ノルヴェ村では皆で協力して復興にあたり、近隣の町村や港町ハーバーや王都フランなどを招待に加えた大規模な祭りを計画している事を説明した。準備は順調に進んでいるものの、人手が足りないため、協力をして欲しいと頼み込む。そして祭りの間、ゴクアが手を出す事は無いだろうと。
「だが、仮にあんたの言う事が本当だったとしても、祭りが終わったら結局ゴクアの私兵団がまたやってくるんだろう?」
「だよな。それじゃ結局同じことじゃないか。」
村人達は女性陣の発言には驚いたものの、やはり村に戻ることには反対のようだ。リッチマンもこれ以上はどうやって説得したらよいか考えあぐねていた。無理もない。村人にとって、ノルヴェ村は既に人の住むような場所ではないという認識がある。仮にタイタンが女性を強姦してなかったのだとしても、ゴクアの私兵団が蹂躙しつづけていた事実は変わらないのだから。
村人達がやはり帰るのはやめて、ここに残ろうと言いだし、そのまま解散しようとしたとき、再びライラが皆の前に立って、ライラにしては精一杯の威厳をこめて言い放った。
「臆病者!!」
村人達が一斉にライラを見る。ライラは皆の視線など気にせず、話を続ける。
「皆、悔しくないの?ボク達の村が、こんな酷い目に遭わされ続けて、ゴクアに反撃してやろうって気概のある人は一人もいないの?大の大人が揃って、みっともない。いい?ボク達を助けてくれたのは、ノルヴェ村とは何の縁も無い只の観光に来てた人たちだった。
彼らはボク達を助けて、タイタンを味方につけて、今巨大な権力を持つゴクアに真っ向から戦ってくれている。それなのにボク達は、このまま何もせず指をくわえて黙ってみてるだけ?いつか何とかなるだろうなんて考えてる?それとも神様にでもお願いしてる?あなたたちが何もしないんならもういいわ。このまま死ぬまでゴクアに怯えてなさいよ。もう行きましょ、姉さん、リッチマン。」
ライラの突然の叫びに驚いたリニアとリッチマンだったが、ライラが去って行くのを見てついていく。リッチマンは途中何度もライラと村人達を交互に見比べていたが、村人達の気持ちも分かる。ずっと自分たちを蹂躙し続けていた権力者に立ち向かうなんて、やっぱりきついだろう。
村人達は、しばらくの間その場にずっと立ち続けていた。誰も何も言い出せない。ライラはそんな村人達を振り返りもせず、どんどん前に向かって歩いて行く。目的地などはない。ただ、このままこれ以上、村人達と一緒にいるのが嫌だった。様子を見ていた王都の兵士達も本当は村人についていき、ノルヴェ村まで同行して、護衛する任務を請け負っていたが、こうなっては仕方ないとそれぞれの持ち場に戻っていった。
カシワたちと合流したリッチマンは、事の顛末を皆に告げる。カシワは頭を抱える。ゴクアを倒すためには村人達の協力が不可欠だったはず。だが、村人達の心情を把握してなかったのは自分たちの落ち度だ。
「なぁ、ランシアどうする?こうなったら、俺たちだけでゴクアと戦うか?」
だがランシアは笑っていた。お茶に口をつけ、ゆっくりと飲み干す。
「お疲れさま、皆。私達は一足先にノルヴェ村に戻るわよ。村人達なら心配しなくても大丈夫。それより、そろそろ今後の事を考えなくちゃね。」
更新が遅くなりまして、すみません。
私生活の方で色々ありまして、毎日の更新は少しきついため、今後は少しゆっくり目の更新とさせてください。
少なくとも週に一度はあげれると思います。
申し訳ありませんが、宜しくお願いします。




