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「――お初にお目にかかります、皇太后様。コルネリア公爵家が娘、ポンポニアにございます」
「……帝国監察庁長官、ウァレリウス・フラウィウスにございます」
ポンポニア様とウァレリウスが洗練された礼を執る。
そして、二人の一歩後ろで、私はこれ以上ないほど深々と、地面に頭がつきそうなほどの最敬礼を行った。
「男爵家が娘、ウアルバナ・セルウィリアと申します。皇太后様のお目もじがかない、身に余る光栄にございます」
静寂。
数十秒もの間、重苦しい沈黙が広間を支配した。
ルキッラ皇太后は、手にした杖でコン、コン、と床を叩いた。その音が静寂に冷たく響く。
「……面を上げよ、浅ましい狐め」
氷のように冷たく、濁った声が響いた。
私がゆっくりと顔を上げると、ルキッラ皇太后の爛々と光る瞳と視線がぶつかった。
「ポンポニアよ、ウァレリウスよ。立ち去れ。わらわが用があるのは、そこにいる男爵家の小娘一人だ」
「皇太后様」ポンポニア様がすかさず前に出た。「ウアルバナ様は現在、我がコルネリア公爵家の参謀として――」
「黙れ、公爵家の娘!」
ルキッラ皇太后が激怒して杖を床に叩きつけた。
バンッ!
「わらわを誰だと思っている! ドミティウスは我が最愛の孫! そのドミティウスを甘言で惑わし、正妻の座を狙って醜く立ち回り、挙句の果てに夜会でドミティウスを裏切って廃嫡へと追い込んだ……! この性悪な毒婦めが! 貴様の仕業であることなど、全てお見通しなのだぞ!」
(毒親ならぬ『毒祖母』の理不尽な責任転嫁!!)
私の脳内で、前世の社畜時代に叩き込まれた「理不尽クレーマー対応マニュアル」が爆速で起動する。
怒り狂う相手に反論しても火に油だ。
だが、全面肯定すればこちらの負けになる。
必要なのは「相手の感情を逆なでしない謙遜のフリをした、客観的スケールによる論理的圧殺」だ!
「……皇太后様」
私は哀れみと申し訳なさを限界まで込めた「儚げな悲劇のヒロイン風の顔」を作り、涙ぐむような声で口を開いた。
「恐れながら……お言葉を返させていただきます」
「なに……? 弁明のつもりか! 打ち首にされたくなくば、黙って罪を認めよ!」
「いいえ、罪など滅相もございません!」
私は毅然と、しかしどこまでも謙虚に胸を張った。
「皇太后様。陛下はドミティウス殿下を『愛しいお孫様』とお呼びになられました。……ですが、本当にお孫様のお姿を、そのお心をご覧になっておられましたでしょうか?」
「何だと?」
ルキッラ皇太后の顔が怒りで赤く染まる。侍女たちが「不敬だぞ!」と叫びかけるが、私はそれを手で制するように一歩前へ出た。
「ドミティウス殿下は、あまりにもお優しく、そして……あまりにも『純粋すぎるお方』でございました!」
(よし、バカ王子を「純粋」という言葉でオブラートに千重包みにしてやったわ!)
「殿下は、私のような貧乏男爵家の娘の拙いお世辞すら真に受けられ、『自分が世界で一番素晴らしい』と信じ込んでしまわれたのです! それはなぜか? ……皇太后様をはじめとする周囲の大人たちが、殿下に一度も『正しき喝』を入れず、ただただ甘やかし、殿下の浅はかな自己愛を肥大化させてしまったからではございませんか!?」
「……」
ルキッラ皇太后が絶句した。
まさか、一端の男爵令嬢から「お前らの育児放棄と過保護のせいだ」と面と向かって突きつけられるとは思っていなかったのだろう。
ポンポニア様が扇子で口元を隠し、肩を小さく震わせている。笑いを必死に耐えているのだ。
ウァレリウスに至っては、目を見開いて私を凝視している。
私は勢いを緩めない。前世の炎上謝罪会見のノウハウをフル活用する!
「ドミティウス殿下は、あの夜会で『冤罪』をでっち上げ、ポンポニア様を糾弾しようとされました。もし……もし私があのまま殿下に調子を合わせ、ポンポニア様を陥れていたらどうなっていたでしょうか!?」
私は両手を広げ、悲痛な叫びを上げた。
「コルネリア公爵家が黙っているはずがございません! 帝国を揺るがす大内乱となり、王家は失脚、ドミティウス殿下は『暴君』として歴史に名を刻み、最期は処刑台に送られていたことでしょう! 私は……私はそれだけはお止めしたかったのです!」
「なに……?」
「私が夜会で殿下のハシゴを外し、罪を露わにしていただくことで、被害を『ドミティウス殿下一人の廃嫡』にとどめたのです! これこそが、王家を、そして皇太后様のお立場をお守りするための、私の命がけの『愛』でございます!!」
大嘘である。
ただ自分が助かりたかっただけだ。自分が鉱山に売られたくなかっただけだ!
だが、どうだ。
「愚かな愛人を装い、あえて悪者になって王子を自爆させることで、王家全体の大炎上(内乱)を防いだ命がけの忠臣」というストーリーにすり替えてやったのだ!
広場に、完全な静寂が訪れた。
侍女たちも、ルキッラ皇太后も、開いた口が塞がらない様子で私を見つめている。
「…………」
ルキッラ皇太后は怒りで震え、顔を真っ赤にしながら杖を握りしめた。
「貴様……どこまで口の減らない女だ! そのような詭弁、誰が信じるか! 誰か、この不敬者を捕らえ――」
「そこまでだ、皇太后様」
静かな、しかし絶対的な威圧感を持つ声が割り込んだ。
ウァレリウスだ。
彼はゆっくりと前に出ると、私の前に立つようにしてルキッラ皇太后を遮った。
「監察庁長官として言わせていただく。ウアルバナ・セルウィリアの証言は、すでに監察庁および国王陛下の尋問によって『正当な事実』と認定されている。ドミティウス前王子の件はすでに決着がついた事案。これ以上、個人的な感情で彼女を咎めることは、国王陛下の決定に対する異議申し立て――すなわち『不敬』にあたりますぞ」
「ウァレリウス……! 貴様、我がアルビヌス王家に逆らう気か!?」
「私は王家にではなく、『帝国の法』に仕えております」
ウァレリウスの氷灰色の瞳が、冷たくルキッラ皇太后を射抜いた。
「それに……皇太后様。アキリウス侯爵の謀叛事件の捜査の過程で、皇太后様の側近である数名の貴族が、アキリウス侯爵から多額の『裏金』を受け取っていた証拠が上がっております。……今、この場でその件について取り調べを始めてもよろしいですかな?」
「ッ……!?」
ルキッラ皇太后の顔から、一瞬で血の気が引いた。
(すごっ……! ウァレリウス様、もう皇太后派の弱みまで握ってたの!? さすが帝国の死神、手際がエグい!!)
完全に詰んだ。
ルキッラ皇太后は、もはや私を罰するどころか、自分たちの保身すら危うくなったのだ。
彼女は悔しそうに歯噛みをし、ガタガタと震える手で杖を突くと、力なく背もたれに倒れ込んだ。
「……去れ……ッ! 今すぐわらわの目の前から去れッ!!」
「失礼いたします、皇太后様」
ポンポニア様が優雅に一礼し、私もウァレリウスの陰に隠れるようにして、すそを引いて退室した。
─
紫苑宮を出て、王城の長い回廊を歩く三人。
青空の下に出た瞬間、私は「はあぁぁぁぁぁぁっ!!」と深々と溜息を吐き出し、その場にへたり込みそうになった。
「生き延びたぁぁぁぁっ! 緊張で胃が捻じ切れるかと思ったわよ!!」
「ふふ、見事でしたわウアルバナ様」
ポンポニア様が愉悦に満ちた笑みを浮かべて私の肩を叩いた。
「まさか『ドミティウスを自爆させたのは王家を守るための愛だ』なんて出任せを、あんな堂々と言ってのけるなんて。前言撤回ですわ、貴女は『参謀』というより、最高の『詐欺師』ね♡」
「褒められてる気がしませんポンポニア様! でも命が助かったならなんだっていいです!」
私がハハハと引きつった笑いを浮かべていると、隣に立っていたウァレリウスが、フッと鼻で笑った。
「……まったく。呆れた女だ」
彼が私を見下ろす。その瞳には、先ほどの冷酷さはなく、どこか呆れつつも温かい光が宿っていた。
「だが……よくやった。お前のそのしぶとさだけは、評価してやる」
ウァレリウスの手が伸びてきて、私の頭の上にポンと置かれた。
そして、前世の社畜時代にも一度もされたことがないような、優しく、愛おしむような手つきで、私の頭を撫でた。
「……っ!?」
私の顔が一気に沸騰する。
(な、ななな何してんのこの男!? 頭撫でてきた!? あの『帝国の氷の天秤』が、私なんかの頭を撫でてるの!?)
「な……なにをするんですかウァレリウス様! 子供扱いしないでください!」
私が赤くなった顔を隠すように跳ね退くと、ウァレリウスはフッと楽しそうに口角を上げた。
「子供扱いではない。……頑張った『私の参謀』への、ささやかな褒美だ」
「なっ……! 『私の参謀』って……!」
「あらあら……♡」
隣でポンポニア様が、扇子で顔を隠しながら、ウキウキとした様子で私たちを見比べている。
「ウァレリウス、貴方、いつの間にウアルバナ様を『自分のもの』みたいに言うようになったのかしら? 私の参謀ですのよ?」
「……公爵家の参謀であると同時に、監察庁の『監視対象』だ。……そして、私の特別な『毒』だ。誰にも渡さん」
ウァレリウスがさらりと、恐ろしいほどの独占欲を孕んだセリフを言い放つ。
(ひええええええええっ!? ど、どうなってるのこれ!?『性悪な愛人ポジ』だったはずの私が、なんで最強の監察官から重すぎる執着を向けられてるのよぉぉぉぉっ!?)
王子のハシゴを外し、悪徳侯爵を自爆させ、皇太后のクレーマー攻撃すら退けた私。
だが、一番の難敵は、どうやら目の前にいるこの「甘く危険な氷の男」のようだった。
私の波乱万丈な異世界社畜ライフと、予期せぬ超ハードモードな恋愛劇は、まだまだ終わりそうにない――!




