6
前世の社畜時代、コンプライアンス違反の役員が自慢気に行ったゴルフ場での密談を、録音ボイスレコーダーでバッチリ押さえて全社メールで誤送信させた悪夢(※社内伝説)を私は知っている。
自滅させるなら、本人が一番調子に乗っている瞬間を叩くのが鉄則なのだ!
「ウアルバナ。具体的になにをするつもりだ?」
ウァレリウスが怪訝そうに尋ねる。
「簡単ですわ、ウァレリウス様。今夜の集会に、私と……ウァレリウス様が『変装』して潜入いたします」
「なっ……!? 私が変装だと!?」
ウァレリウスが素で驚いた声を上げた。あの氷の監察官が、初めて表情を崩した瞬間だ。
「ええ! 私は『失脚したドミティウスに見切りをつけ、次の勝ち馬に乗ろうとする欲深い性悪女』として。そしてウァレリウス様は……そうですね、私を金で買い叩いて護衛として従わせている『成金の道楽貴族』として潜入します!」
「ふ……ふふふ……! あははははっ!」
沈黙を破ったのは、ポンポニア様の爆笑だった。
彼女は腹を抱えて可憐に笑い転げている。
「面白い! 最高ですわウアルバナ様! あの『帝国の氷の天秤』と恐れられるウァレリウスに、成金の道楽貴族の変装をさせるなんて! 採用ですわ! 全面許可いたします!」
「ポンポニア! 正気か!? 私は監察庁の長官だぞ! そんなふざけたマネ――」
「ウァレリウス様」
私はウァレリウスの目の前に歩み寄り、ぐっと顔を近づけた。
「私のことを『裏切り者の危険な毒』だと仰いましたわね? ならば、その毒が本当に効くかどうか、一番近くで特等席で見届けてくださいませ。……それとも、氷の監察官様は、私のような女と現場に出るのが『怖い』のですか?」
挑発。
あからさまな、煽りだ。
ウァレリウスの氷灰色の瞳が、メラリと青い炎を燃やした。
「……いいだろう。その減らず口、現場で後悔させてやる。お前が少しでも怪しい動きを見せたら、その瞬間に私の手で首を撥ねるからな」
「ふふ、お手柔らかにお願いしますわね、旦那様♡」
「……気安く呼ぶな、寒気がする」
こうして、私とウァレリウスの「最悪の潜入タッグ」が結成されたのだった。
◇
同日深夜。王都郊外、テレンティウス侯爵の別邸。
重厚なオーク材の扉の奥では、豪奢なシャンデリアの下、三十人ほどの貴族たちが集まり、酒杯を交わしていた。
集まっているのは、ドミティウス失脚によって将来の行き場を失い、不安と焦燥に駆られている若い貴族たちだ。
その壇上に立っているのは、白い髭を綺麗に整えた、温厚そうな老貴族――テレンティウス・アキリウス侯爵である。
「皆の者、よくぞ集まってくれた。愚かなドミティウス殿下の失脚により、我が国の未来は、あの傲慢なるポンポニア・コルネリアと公爵家に支配されようとしている。……だが、絶望する必要はない! 我らにはまだ、第二王子クイントゥス殿下がおられる!」
「「「おおお……っ!!」」」
貴族たちから歓声が上がる。テレンティウス侯爵は満足そうに頷き、言葉を続けた。
「クイントゥス殿下はまだ幼少。我がアキリウス侯爵家が後見人となり、我が手で正しく導く! そしてしかるべき時に、コルネリア公爵家に『反逆の罪』を着せ、あの一族を根絶やしにするのだ! 諸君らの協力には、将来の絶大な権力と富を約束しよう!」
「さすがテレンティウス侯爵様だ!」
「これで我らの未来も安泰だ!」
熱狂する会場。
己の巧みな演説によって若い貴族たちが完全に心心酔したのを見て、テレンティウス侯爵は暗い悦悦に浸っていた。
(くくく……単純なバカどもめ。ドミティウスの次はクイントゥスか。どちらでもよいのだ。王家の血を引く飾り物さえいれば、我がアキリウス家がこの帝国の真の支配者となるのだからな……!)
彼が心の中で高笑いを浮かべた、その時だった。
パチ、パチ、パチ。
広間の入口付近から、静かな、しかし異様に通りやすい拍手の音が響いた。
「見事な演説ですわ、テレンティウス侯爵様。ドミティウス殿下以上のバカたちを集めて、新たな泥船を出航させる手腕……感服いたしましたわ」
騒然となる会場。
貴族たちが一斉に振り返る。
そこに立っていたのは、胸元が大きく開いた艶やかな赤いドレスを身に纏い、扇子で口元を隠しながら可憐に微笑む私――ウアルバナ・セルウィリアであった。
そして、私のすぐ後ろには。
深緑の豪奢なシルクのコートを着込み、怪しい仮面で顔の上半身を隠した、背の高い男が控えている。
仮面越しでも伝わってくるその男の圧倒的な威圧感と凛とした佇まいに、会場の誰もが息を呑んだ。
「ウ……ウアルバナ!? なぜお前がここに!?」
テレンティウスの側近のバカ息子が叫ぶ。
テレンティウス侯爵は眉をひそめ、警戒心を露わにして私を睨みつけた。
「ほう……ドミティウス殿下を土壇場で裏切り、ポンポニア公爵令嬢に寝返ったと噂の小娘か。何の用だ? ここは貴様のような身軽な女が来てよい場所ではないぞ」
「あらぁ、ひどいですわ侯爵様」
私はしなやかな足取りで中央通路を歩み出た。
前世で培った「悪女の演技」をフルスロットルで展開する。
「私、ドミティウス殿下が見込み違いのポンコツだと分かったから捨てただけですの。だって、私を一番幸せにしてくれる強くて賢い男人につくのが、女の賢い生き方でしょう? だから……今夜は侯爵様に『私を売り込み』に来ましたの♡」
私は上目遣いで、テレンティウス侯爵をじっと見つめた。
「侯爵様。私、ドミティウス殿下の側近たちの秘密も、彼らがどこに裏金を隠しているかも、全部知っていますのよ? 私を侯爵様の『愛人』にしてくだされば、その情報を全部差し上げますわ♡」
「な……っ!?」
会場の貴族たちがざわめく。
テレンティウス侯爵は、一瞬呆気にとられたものの、すぐにニヤリと醜い醜悪な笑みを浮かべた。
「ハハハ! なるほど、どこまでも欲望に忠実な性悪女め! ドミティウスが狂わされたのも納得の毒婦よな! ……だが、面白い。貴様の持っている情報は使い道がある。いいだろう、私の配下になれ。ただし愛人などという大層な立場ではなく、私の『犬』としてな!」
テレンティウス侯爵は勝ち誇ったように胸を張った。
「見よ、諸君! これが勝利者の特権だ! コルネリア公爵家も、あの生意気なポンポニアも、この私には勝てん! 近いうちに、国王に毒を盛り、第二王子を即位させ、この国を我がアキリウス家の思い通りにしてやるわ!!」
絶頂に達したテレンティウス侯爵は、自ら重大な「謀叛の計画」と「国王暗殺の意図」を、大声で宣言してしまったのだ。大勢の証人たちの前で。
(はい、撮れた――じゃなかった、バッチリ証言いただきましたー!!)
私は心の中でガッツポーズを決めた。
「……なるほど。『国王に毒を盛り、第二王子を即位させる』か。明確な大逆罪だな」
私の背後にいた、仮面の男――ウァレリウスが、冷徹な声で呟いた。
「な、なんだ貴様は!? 私の屋敷で不吉な口をきくな!」テレンティウスが叫ぶ。
ウァレリウスはゆっくりと手にしていた仮面を外した。
その下に現れたのは、夜の闇よりも冷たい氷灰色の瞳。そして、帝国貴族なら誰もが恐怖で震え上がる、あの美貌。
「ひっ……! 監……監察庁長官……! ウァレリウス・フラウィウス伯爵……!?」
テレンティウス侯爵の顔から、一瞬で血の気が引いた。周囲の貴族たちも、まるで死神を見たかのようにガタガタと震え始める。
ウァレリウスは胸元から、公爵家の紋章と帝国監察庁の金印が押された「緊急逮捕状」を突きつけた。
「テレンティウス・アキリウス侯爵。並びにそこにいる謀叛の同調者たち。大逆罪、国王暗殺未遂の企て、および違法な兵力集結の容疑で、全員身柄を拘束する」
「な……騙したな! 騙したなウアルバナ!!」
テレンティウス侯爵が激昂し、私を指差して叫んだ。
「おのれ性悪女! 最初から私を嵌めるために……っ!」
私は扇子をパチンと閉じ、冷ややかな、しかし極上の笑みを彼に向けた。
「あらぁ、何を仰いますの侯爵様? 『自慢話』を披露されたのは侯爵様ご自身ですわよ? 私はただ、聞かれたことに答えて、最高の舞台をお膳立てしただけ。……ハシゴを外されたお気持ちは、いかがかしら?」
「ぐ、ぐああああっ!!」
ドババババッ!!
次の瞬間、別邸の窓ガラスや扉が破られ、ウァレリウスが手配していた監察庁の精鋭騎士たちが一斉になだれ込んできた!
「全員動くな! 抵抗する者は即刻切り捨てる!」
悲鳴と怒号が飛び交う中、テレンティウス侯爵とその配下たちは、次々と取り押さえられていく。まさに一網打尽。完全なる「ざまあ」の瞬間であった。
騒乱の中、ウァレリウスは私の隣に歩み寄ると、静かに私を見下ろした。
「……見事な手際だったな、ウアルバナ」
「あら、ウァレリウス様。私の『毒』はお気に召しましたかしら?」
私がニヤリと笑うと、ウァレリウスはフッと、今日一番の(そして今までで最も危険で魅力的な)微かな笑みを浮かべた。
「ああ、非常に効き目の早い毒だ。……どうやら私は、お前という毒を少し甘く見すぎていたらしい」
彼の手が伸びてきて、私の頬に触れた。
冷たいグローブ越しのはずなのに、なぜかその熱が肌に伝わってくるような錯覚。
「前言を撤回しよう。お前はただの裏切り者ではない。……私の側で、永遠にその毒を振りまくべき『最高の参謀』だ」
「……え?」
氷の監察官の瞳に宿る、捉えどころのない熱い光。
前世のOL時代の直感が警報を鳴らす。
(待って……これ、もしかして恋愛フラグ……!? いやいやいや! 相手はあの冷酷無比な死神よ!? 演技されて勘違いしていたら命がいくつあっても足りないわ!!)
「さあ、帰るぞウアルバナ。ポンポニアが最高の酒を用意して待っている」
ウァレリウスは私の手首をキュッと掴むと、拒否を許さない力強さで引き寄せて歩き出した。
王子のハシゴを外し、悪徳侯爵を自爆させ、無事に生き残った私。
だが、どうやら私の周りに集まる人間たちは、バカ王子よりも遥かに危険で、遥かに一筋縄ではいかない怪物ばかりのようだった――!




