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色相異譚 ――静かな終末短編集――  作者: 月城玉菜
第七色 ゴールドラッシュ―― Gold Rush――
14/20

episode 2

 街が静かになっていた。


 静かというより、抜けた、という感じに近い。歯が一本なくなったときの、舌が空洞を探るような感覚に似ている。何かがあるべき場所に、何もない。


 数年前、この通りには子供向けの広告があった。アニメのキャラクター、カラフルな文字、歯ブラシや菓子のポスター。今は違う広告が貼ってある。投資、保険、警備会社。子供の顔が一枚もない。


 学校の前を通った。鉄格子の向こう、校庭の遊具が錆びていた。滑り台の塗装が剥げ、ブランコが風で微かに揺れていた。誰もいない。閉鎖されてから何年経つか、もう数えていない。


 地下診療所へ向かう途中、妊婦を見かけた。

 最初、何を見ているかわからなかった。黒い装甲車が二台、前後を挟むように走っていた。歩道に武装した男が四人。その中央を、分厚いコートの女が歩いていた。腹を両手で庇うように抱えながら。

 妊婦だと気づくまで、少し時間がかかった。

 昔は珍しくなかった。今は違う。


 地下に降りて、コートを脱いだ。

 蛍光灯が相変わらずチラついていた。一本を交換したが、別の一本がまたダメになっていた。


 俺の仕事は変わっていた。いや、変わったというより、沈んだ。

 最初は歯の確認だけ。

 次に抜歯の補助になった。

 今は違う。

 金化した骨の回収と死体処理。採掘なんて名前で呼ばれている。

 まだ生きている子どもから掘り出す作業もある。

 自分でも医者とは思っていない。解体業だと思っている。そっちの方が正確だ。


 やめようと思ったことがないわけじゃない。でも今さら綺麗な場所には戻れない。そういう判断をしながら、今日も地下に来ている。


 鉱山の金はもう残っていなかった。採った瞬間に鉛へ変わる。

 今、街で流通している金のほとんどは、人間から掘り出されたものだ

 幼児ほど純度が高い。胎児はさらに高い。市場はそれを織り込んで動いている。


 夕方、少女が運ばれてきた。

 十二か十三歳くらい。靴が片方なかった。口の中に処置の跡があった。乱暴に抜いた跡で、縫合もされていない。左腕の骨にも採掘痕があった。皮膚を切開して骨に直接アクセスした跡だ。

 処置しながら話を聞いた。最初は黙っていたが、麻酔が効いてきたころに口を開いた。


「妹を置いてきた」


 少女はぼそりと言った。思わず手が止まった。


「いくつだ」

「八つ」


 俺は縫合を続けた。少女の顔を見なかった。


 妹は施設に入れられたと少女は言った。「保護区域」という名前の場所だった。善意みたいな名前がついている。実態は全員知っている。知っていて、誰も言わない。

 少女を処置室に寝かせて、俺は廊下に出た。


 街から若い女が減っていた。

 地下鉄に乗ると、以前と客層が違う。二十代の女がほとんどいない。代わりに、窓のない移送車両が地下通路を走っている。

 壁には「未来を守ろう」という広告が貼られていた。出産施設、保護区域、登録制度。

 どれも柔らかい言葉ばかりだった誰も強制なんかしていない、という顔をしている。


 でも移送車両には警備がついていて、乗っている女たちは窓のない箱の中にいる。

 誰もそれを大声では言わない。言う人間が減った……という方が正確かもしれない。


 仕事中、手が止まったのは一度だけだ。

 解体対象が運ばれてきた。手術台に置いた。小さかった。

 道具を並べた。止まった。見たことのある顔だった。

 けれど、そのまま続けた。慣れている、と自分に言い聞かせた。慣れていた。それが一番まずいと思いながら、手を動かした。


 翌日、引き出しの奥から古いカルテが出てきた。

 整理していたわけじゃない。別のものを探していて、たまたま手に触れた。

 開いた。数年前の記録だった。

 子供の名前があった。女の子で、六歳のときに来た。母親が連れてきた。乳歯を一本抜いた。泣いていた。その子だとわかった。

 次のページに別の記録があった。同じ名前で、別の日付。別の場所からのデータが転送されていた。

 死亡。採掘後感染。カルテを閉じた。


 しばらく机を見ていた。

 俺が最初に抜いた。あの一本が最初だった。その後、別の誰かが続きをやった。感染した。死んだ。

 因果の線がある。見えていなかっただけで、最初からそこにあった。


「掘っていた」という言葉が頭の中に出てきた。

 鉱山が鉛に変わって、人間を掘り始めた。俺は最初からその側にいた。

 道具を片付けた。カルテをしまった。次の仕事の準備をした。それしかできなかった。


 街の人口が減り続けていた。

 閉鎖区域が増えた。放棄されたマンションのエントランスに、古い郵便物が溜まっていた。無人の小学校が何棟かあって、窓が割れたまま放置されていた。

 ニュースが出生率の過去最低を報じた。アナウンサーが淡々と数字を読んだ。誰も驚かない。驚く顔をする人間が減った。


 深夜、外に出た。

 雪が降っていた。音がない雪で、積もりながら街を静かにしていった。

 公園を通った。遊具が風で揺れていた。ブランコが一往復して、止まった。子供の声がしなかった。昼間でも声がしないが、夜はさらに別の静けさがある。


 ベンチに何か小さなものがあった。

 近づいた。

 乳歯だった。小さな乳歯が一本、雪の上に置いてあった。誰かが落としたのか、置いたのか、捨てたのかわからない。 

 拾った。


 手の中で、静かに光った。

 遠くで救急車のサイレンが鳴った。近づいてこないまま、遠くで消えた。


 最後に普通の子供を見たのはいつだったか、ふと考えた。

 思い出せなかった。

 街を歩いているとき、子供の声がした気がして振り返ることが、以前はあった。

 それもいつからかなくなっていた。気にしなくなったのか、実際に声がなくなったのか、もうわからない。


 歩き出した。

 雪が積もっていた。大人の足跡が続いていた。犬の足跡もあった。

 子供の足跡だけがなかった。

 乳歯を手の中で握ったまま、俺は歩き続けた。雪は降り続けていた。


 行く先に明かりが見えた。

 俺はそこに向かって歩き始めた。

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