83.いつの日も共に
煙に襲われ、目を閉じた。
炎は勢いを増して足をぢりぢりと焼き、吸っても吸っても苦しいまま意識が遠のいていく。
“リリー……”
最後の時、浮かんでくるのはあの人の声。
好きだった横顔、さらり流れる銀髪に鼻筋の通った輪郭、長い睫毛に……滅多に人に見せることのなかったブルーの瞳。
涼しげで、凛として、それでいて強い志を秘めていた……いつも。
どうかこれからも変わる事なく……幸せに。
(バッカス……様……)
耳まで赤く染めてぎこちなく、名を呼んでくれた。長い前髪で隠していた瞳を、隠すことなく見つめてくれた。
胸の高鳴りも……ぬくもりも決して、忘れたりしない。死んで地獄に堕ちたとしても。
「愛して…います……」
最期の言葉は声にならぬまま、深い眠りに身を委ねた。
炎に飲まれていくリリー。
「やったぞ!! 遂にあの生意気で小賢しい女が死んだ!! 気に入らん奴はぶっ殺してやる、これからは俺達の世だ!! 」
ゲイクが吠えるように勝ち鬨を挙げると、カメリアも隠しきれず歓喜を滲ませる。
「見るのだ王妃、お前を焼く炎が近づいていく様を!! 叫び、泣きわめくがいい」
興奮気味に酒を煽るザイエン、傍ではカメリアとゲイクがにやついて──生きたまま人が燃やされる──興味本位で集まり情に流されて泣いていた民も、この異様な景色を前にしてやっと我に返る。
燃え盛る炎は音を立てて勢いを増し、煙が辺りに充満していく。
「間違っている」
やがて、人だかりの中から一人の声が上がった。
「なぜ腕に傷を負わせただけで死刑なんだ。裁きは公平に与えるべきだ」
「そ、そうだそうだ!! 」
「人を殺して喜ぶなんておかしいわ!! 」
「この、人殺し!! 」
「人殺し!! 」
「人殺し!! 人殺し!! 」
声は大きくなり、拳を突き上げた大合唱に。圧政に苦しんできた民は皆、カメリアやザイエンを非難し、軽蔑の眼差しを向けている。
「うるさいわね、自業自得でしょ」
「黙れ! てめぇら、ぶっ殺すぞ」
「身の程知らずな奴等め。おい」
「待て」
ザイエンの兵が民に銃を向けた。バッカスが即座に、凄みを利かせてそれを止める。
「我が民を傷つければお前の命はない」
「何を偉そうに、女ひとり守れぬくせに」
バッカスは言い返さなかった。
「この方達にも罰を!! 」
「王族は滅びろ!! 」
「同じ目に遭わせろ!! 」
その間も民衆の声は増し、抑えきれぬほど膨らんでいく。
「お、おい、黙らせろよ!! 」
たまらずゲイクがバッカスに怒鳴るけれど。
「これが世の声だ。お前達が聞きたくて集めたのだろう」
バッカスはただ頬杖をつき、それ以上何もしようとはしない。深く沈む瞳は虚ろに民衆の方を眺めたまま。
「無駄よ、どうせ金で雇ってやらせてるんでしょう。貴方も汚いやり方をするようになったものね」
「お前達ほどではない」
瞳だけでなく声も、深く沈んでいた。
「無実とわかっていながら……守ってやれなかったのだからな」
「まだ言うのね。フン……なら証拠を見せてあげる。貴方が絶望するような証拠を」
カメリアは勝ち誇った笑みでいつもと変わらぬ余裕を纏い、玉座へと歩いていく。
「この鞭を奪おうと掴みかかってきたの。ほら、ここに跡が付いているでしょう、見比べてみなさいよ」
鞭をバッカスに向けて放り投げ、そして手首に巻かれた包帯を自ら解いた。
「大事にしていたならあの日の妻の爪の色ぐらい知っているはずよ」
バッカスは鞭を手に取り、無言のまま柄についた薄桃色を確かめ指で撫でる。
愛おしそうに……もう永遠に感じることのできなくなってしまった温もりを確かめるように。
「……これは…何だ……」
柄を包む革の端がめくれていた。
少し力を入れただけでするすると剥がれ、空洞になっていた筒の中から茶褐色の粉が、こぼれ落ちる。
「王様、まさかそれは……」
傍にいた衛兵が驚きの声を上げて粉を手に取る。その時、脇から軍服姿の兵士が封書を持って玉座の傍らに。
耳打ちされた瞬間、バッカスの表情が険しくなる。
「領主ザイエン、そして妃カメリアを捕縛しろ」
王バッカスの命令が地に轟いた。
瞬く間に兵が罪人を取り囲み、ザイエン、カメリア、そしてゲイクに縄が回る。
「気が触れたか、バッカス!! 」
「離しなさいよ!! 」
捕縛されても尚、叫び声を上げ抵抗する罪人のもとにバッカスが降り立つ。
「先王暗殺の罪だ。証拠は先王暗殺計画について記されたお前達の密書と、この柄に隠されていた粉……先王の事もリリーの事も、私はお前達の罪を決して赦さぬ……厳罰を覚悟しておけ」
それが、腹違いの兄と義姉に向けた最後の言葉だった。
「知らないわよ、そんな薬!! 」
「罠だ、わしらは罠にはめられたんだ、この小癪な王のせいで!! 」
大勢の兵と共に声は遠くなり、そして消えていった。
いつの間にか炎も消され、広場には王と民だけが残る。
静寂の中、虚しく砂煙が舞う。
「恥を晒したな……あの者達の罪を暴くため王妃に鞭の回収を命じた、全ては私の責任だ」
頭こそ下げなかったが、それは王の、民に向けた謝罪だった。
誰も何も言えず、ただ沈黙するのみ。
王は再び背を向けると玉座へと歩き出す。
「安心してくれ……王妃は無事に、生還した」
その声には安堵が、滲んでいた。




