81.志を抱いて
兵の報せを受けたバッカスは何も言わず、立ち上がった。
険しい表情、放つ殺気に味方の衛兵さえ恐れをなして言葉を失うその中で、エランだけが動く。
「こちらをお持ちください」
差し出したのは放浪の日々を共に歩んできたバッカスの剣。
「行く先は戦場、綺麗事は通用しません」
ちらりと二人の視線が通う。
「お持ちください。こんな所で貴方に死なれるわけにはいかないのです」
生きて必ず戻るようにと、眼差しでエランが釘を刺す。けれどバッカスは視線をそらし、受け取る事なく部屋を出ていく。
その腰元に王剣を携えて。
王は何人たりとも民を傷つけず──あらかじめ刃を潰した重い剣一本で、自らの首を狙う幾千の兵と対峙しようとしている。
そしてリリーはカメリアの率いる兵に捕らわれ、地下牢で拷問を受けていた。
「こんな事をして……何になると言うの」
既に一日、木刀で殴られ続けて髪は乱れ、衣服は破れて血に染まり、顔は醜く腫れ上がっている……けれど。
「鞭も暴力も…必要ないものよ……間違っているわ…」
瞳に強い志を宿し、命が危機にさらされても尚、負けじと訴え続けている。
「こんなこと……そうね、確かに無駄かもしれないわ」
カメリアが片手を軽く上げると拷問が止んだ。
「どちらにしろ、処刑されるの」
企みをヒールの音を響かせてカメリアは一歩ずつ、リリーへと近づいていく。
「嫉妬に狂って暴行を働き、王族の権威を失墜させた罪……自供なんて必要ないわ」
桶いっぱいの水を投げつけるように浴びせて、濡れた頬を鋭い爪でなぞると、その顎をぐいと力任せに持ち上げる。
そして、逃げられないほどに顔を近付けて。
「貴女がいけないのよ、王妃になんてなるから」
そっと、囁いた。
乱暴に顎を揺すって放ると黒い革の鞭を取り出して何度も何度も打ちつける。
「キャッハハハハ……いい気味ね」
露の滴る石造りの地下に、狂ったような笑い声。それは地上で闘うバッカスには届かない。
「そんなに欲しいならくれてやるわ、欲しかったんでしょ、これが」
最後には鞭をリリーの腹に投げつけて。
「痛めつけなさい。殺さなければ何をしてもいいわ」
笑みを残してカメリアは去り、再びリリーを木刀の嵐が襲う。
王宮を二分する争い──剣や斧、棍棒を武器に立ち向かってくる兵達はゲイク軍の証である赤の鎧姿。反逆者ゲイクとカメリアの父ザイエンの姿はない。
一歩ずつ、燃え盛る殺気を背負いバッカスは、王宮殿へと歩みを進める。
「殺せ、王バッカスを!! 」
待ち構えていた兵達は一斉に、バッカスに斬りかかる。
打たれ続けたリリーは既にぐったりと力無く、縄を解かれると椅子から崩れ落ちる。
「私を……殺しても変わらないわ…王様の意志は……」
「しつこいわね。まさか、未だに助けが来ると思っているの? おめでたい人ね」
男達が地上で剣をぶつけ合う間も、戻ってきたカメリアは、リリーを嘲笑い続ける。
「来るわけないでしょ」
一段低く、カメリアが声でリリーを殴る。
「まさか……バッカス様に何を」
「別に何も? ただ教えてあげただけよ、貴女は王妃に相応しい女ではないこと……そして、目を覚まさせてあげたの」
「無事……なんでしょうね」
反響する笑い声の中、カメリアを睨みつけるリリーの表情にも怒りが。
「あ~ら、怖い怖い。さすが、人を殺めた人は違うわね」
嘘で作り上げられた罪、その中に紛れるほんの一匙の真実に、リリーの心は打ちのめされた。
地上で闘うバッカス。頬に腕に傷を負い血を流しながらも、瞳に強く冷たい怒りの炎を燃えたぎらせて。
部屋という部屋を探し、扉を開けてはまた斬りかかってくる兵士と剣を合わせる。
隙一つない、研ぎ澄まされた剣術。
ある者はバッカスの剣にいなされ、またある者は力に弾き飛ばされて……そうしてバッカスは、とうとうゲイクとザイエンの元に辿り着いた。
一斉に、兵が剣を抜きバッカスを囲む。
「よくここまで来たな、褒めてやるよ」
醜悪で下品な笑いが響くその場所は、またしても王宮殿議場。
かつてバッカスとリリーが初めて出逢い結婚を命じられ、そして宿命を受け入れる覚悟を決め帰ってきた、幾度も運命を交差させてきた場所。
「お前も俺と一緒だ、バッカス。お前はよく俺を欲深い獣と馬鹿にしたがお前も今日、自分が王でいたいが為にエスペランサの兵を殺した。それも大量にな」
何も言わないバッカスの持つ王剣から、滴る血を見て嘲笑うゲイク。
「鍛錬の一環だ、あの程度で死ぬ者はいない」
「フッ……まぁ、いい。お前はいつも綺麗事ばかりだからな、これから現実を教えてやるよ」
大袈裟に指を鳴らすと兵が退く。
現れたのは、磔にされたリリーだった。




