80.覚醒
思えば、あの頃の私は殴られるのが当たり前になっていたのかもしれない。
自分の役割や居場所のようなものだとされるがまま抵抗もせずに。抜け出したいと思う余地すらいつしか奪われ、思考を止めて。
行き過ぎていく無表情の侍女達に、ぐるぐると暗い記憶が巡ってくる。
つらかった……幼い頃はまだ泣けて泣けて仕方なくて、うるさいと叱られてもどれだけでも涙が溢れて止まらなくて。
いい子になります、次叱られたら出ていきます……泣きながら、どれだけの誓いを立てただろう。私が悪い子だから、私さえいなければ家族は幸せに暮らせる。
兄のいたずらも、父が消し忘れた電気も……すべて私のせい。
そういうことにしておけば、すべて丸く収まる。
心凍らせては夜になるとひとり、部屋の片隅で布団に丸まって、声を潜めて泣いたりもした。気持ち悪い、兄が眠れなくてかわいそうだと叱られて、それもできなくなってからは、少しずつ何も感じなくなって当たり前に。
そう……サラも、鞭打たれていた侍女も、昔の私と同じかもしれない。身分や環境のせいにして……きっと、当たり前になってしまっている。
耐えきっていつか虐げられた者が上に立てば、また下の者に……私はここまで上り詰めたんだと快楽さえ感じるかもしれない。
そうして連鎖していく、下の者がどれだけ勇敢に叫んだ所で変わりはしない。人を貴賤で理不尽に分ける、この宮廷の中では、特に。
(どうしたら終わらせることが……)
前を歩くカメリア様の背を眺め、考える。
月華殿を出てから、長く歩き続けてきた。いくつもの建物を通り過ぎて人気のない宮廷の奥地へ。行く先には、宮廷と外の砂漠とを隔てる防砂林が見えてきている。
(確か……無断で外へ出るのは禁じられているはず……)
「カメリア様、どちらへ行かれるのですか」
聞いても答えは返ってこない。足は砂を踏み、林の中へと進んでいく。
「カメリア様、これより先は……」
すっと黒い髪がなびいて、細い輪郭がこちらを向いた。
見下すような視線は一瞬だけ林の向こうにそれた気がしたけれど、またすぐに私を睨みつける。
「カメリア様、お話が」
開いた口を遮るように懐から黒い鞭を取り出し、高く──。
(見える……)
鞭が降りてくるより前に掴み、受け止める。
「っ……!! 」
両手で手首を掴んで、降ろされる寸前で……揉み合いになる、体勢が苦しい。
「くっ……」
「離しなさいよ」
ギリギリと歯噛みして悔しそうに、このまま力比べを続ければ負けてしまう。力も強く背の高い相手と組み合って勝てるわけがない。
それでも、負けたくない。
サラに、月華殿にいる者達を守る為に。
せめて暴力を、宮廷から葬る為に。
「くっ……んんっ!! 」
身体中、持てる力のすべてを振り絞って、何とか片手でカメリア様の細い腕を掴んだ。そうしてもう片方の手が鞭の柄に到達する。
「痛い!! 痛いわ、誰か助けて!! 」
カメリア様が、大きく叫んで力を抜いて、鞭ごと体が投げ出される。
勢い余って地面に投げ出された私は派手に転び、起き上がった時には。
「暴行罪よ!! この者を捕まえなさい」
腕を押さえ、なぜか血を流すカメリア様と私の周りをぐるりと兵が取り囲んでいた。
そして、リリーが消えてから一日。
「王様、火急の報せにございます」
リリーを助けるべく月華殿に籠もっていたバッカスの元へ伝令がやってきた。
「何事だ」
「セナ山にて土砂の崩落が起きました。山体が崩れるほど規模が大きく、付近の集落で多数生き埋めが発生しているとのこと」
「土砂の崩落だと? 原因は」
「はい、まだわかっておりませんが先日の豪雨のせいかと」
「セナ山……ですか」
エランの小さな呟きが重く響く。
領地の遥か東端に位置するセナ山はここから行っても4.5日かかる。
「……姑息な」
バッカスは一言だけ、拳を強く握りしめ怒りをあらわに。
「ザイエン殿に、支援をお願いするしかありません。あの辺りからだとザイエン殿の領地が最も近く、半日かけずに大量の兵を救助に向かわせる事ができます」
「……揉めている場合ではない、か」
カメリアの父ザイエンはバッカスの亡き父に戦で負け配下に下ったものの、その地位に未だ満足せず虎視眈々と、カメリアやゲイクを使ってこの国を狙っている。
バッカスを王と認めておらず、頼んだ所で協力するかはわからない……それでも。
「民の生命が最優先だ」
「わかりました、では」
「王様!! 大変にございます!! 」
その時、もう一人の兵が息を切らせ飛び込んできた。
「何事だ、騒々しい」
「王宮殿が!! 王宮殿が占拠されました!! 処刑が…誰かが見せしめに処刑されるようです!! 」
それは、宮廷を二分する内紛の始まりだった。




