77.魂の記憶
サラとの時間を過ごした後、エランと視察に出掛けた。
月華殿に始まり、それぞれの宮殿に赴いて侍女の仕事場や部屋を見て回る。
「ここに8人も……」
「えぇ、侍女の分際で眠れるだけありがたいぐらいですから」
フンと鼻を鳴らす侍女長……彼女の部屋は装飾もあり、広々としていたのに他の侍女の暮らしは硬い床の上に薄い布団だけの、心がえぐられるようなものだった。
(眠る時間さえ……奪われているのね……)
もう一度部屋を見回してみれば、泣き声さえ聞こえてきそうな重苦しい部屋。
何処からかヒステリックな怒号と鞭を打つ音、お赦しをと泣き叫ぶ声が聞こえてくる。
「もう、よろしいでしょうか」
わざとらしく咳払いを一つして、侍女長は私を部屋の外へと促した。
気まずそうに、目線をさりげなくそらして……ここで私が帰れば次はきっと、どこかの部屋で今まさに鞭を振るっているその侍女が、侍女長から鞭で打たれるのだろう。
「ここは王妃様がおいでになるような場所ではございません。どうか私達の世界に口を挟まず、お部屋へとお戻りください」
「そうね……一度、戻ることにするわ」
「王妃様、ご予定が」
エランが割って入るけれど。
「エラン、紙とペンを用意して。今から書く書状を王様に届けて欲しいの。それから侍女長、あなたはこの宮殿にいる女性達を皆集めて」
「女性達を皆……にございますか」
「えぇ、カメリア様とアザミ様のお時間まで頂戴する必要はないわ。妾と侍女、神殿の女官と下働きの者すべてよ。場所は……そうね、王宮殿前の広場にするわ」
「かしこまりました」
侍女長が出ていき、しばらくすると怒鳴り声は止んだ。
政治より先に、どうしても変えたい事がある。
“ごめんなさい……ごめんなさ“
“ごめんで済んだら警察いらねぇんだよ!! ”
今も胸に残る魂の記憶。飛んで来た湯呑みや灰皿の痛みも全て、怒鳴られ続けた幼い日の、あの感覚が忘れられない。
恐怖で、恫喝で人を支配してはいけない。
心を、殺してはいけない。
「大丈夫ですか」
「えぇ……大丈夫よ」
「お顔の色が優れませんが……」
「大丈夫よ。紙とペンは? 」
「こちらに。ですがリリー様、一体何をされるおつもりで」
「人が人を支配するなんて、あってはならないことよ。本来は人に貴賤などない……世界が違えば価値観も変わる。そんなもの簡単に崩れ去るの」
思いを込めた書状をエランに託す。
一人、月華殿へ戻る道すがら、目に映る侍女達の姿は皆、疲れ果て目が死んでいた。
「これで、本当に全部ね」
大小、素材も様々な鞭が並ぶ光景は圧巻と言えるほどに、敷物から溢れるように並んでいる。
「鞭は全て没収するわ。今日この時より、人を鞭で打つ行為も鞭を隠し持つ事も禁止し、破った者は国法において平等に罰します」
もう何度、このざわめきを聞いただろう。
怒る者、不満をありありと顔に出す者、そして後ろの方で縮こまる若い侍女や女官達。
誰一人として、まだ信じてはいないだろう……この悪しき慣習が終わるなんて。
「誰がチクったのよ」
「さぁ…」
「いいじゃない、鞭がなければ蝋でも」
虐げる快楽を忘れられない者もいる……けれど。
「鞭だけではありません。どのような方法であっても、人に暴力を振るえば国法に従って厳しく裁きます」
これだけは譲れない、必ず終わらせてみせる。
「火を」
「はっ」
衛兵が鞭を取り囲み、一斉に火をつける。
燃え盛る炎に悲鳴が上がる。どよめき、高かったのにと嘆く声達。
混乱の中、侍女長が鋭い眼差しを向けている。
「貴方達の暮らしを良くする、その為の第一歩よ。これからの王宮には怒号も、悲鳴も必要ないわ」
「その通りだ」
驚き、振り返るとそこに。
「我等の描く未来には怒号も悲鳴もいらぬ」
多忙なはずのバッカス様が、そこにいて共に闘ってくれていた。
「大したものだ、まさか焼き払うとは」
「そんなに笑わないでください……」
互いの仕事を終えた夜、ベッドで語らう優しいひととき。バッカス様の笑顔に心がほぐれていく。
もう、あのような事にはならない。
愛しい人が傍にいて、あの恐怖を味わう事は二度とないと安心させてくれる。
「それでエランがこ──んっ…」
言葉の途中、ふいに唇を塞がれる。
髪が頬に触れ、唇が離れ、見つめ合う眼差しはいつもより力強くて。
「こんな時に、他の男の名など口にするな」
エランが部屋に来るかもしれない、そう言おうとしたのだけれど。
何も言えぬまま、再び唇が触れ合って……逞しい背に腕を回して。
息もできぬほどの愛に溺れていった。




