73.夢
まるで、呪いのような夢だった。
目の前でバッカス様が何人もの兵士に斬られて、血飛沫が舞った。掴もうと伸ばした手は届かないまま次の瞬間、今度は自分が磔にされている。
「前国王をたぶらかし、親族と結託して国を乗っ取った悪魔だ、死ね」
玉座からゲイク皇子が叫んでいる。迫る炎……悪魔め、死ねと群衆の声。
「王妃になれば、バッカスは死ぬ」
次に聞こえてきたのは亡き国王様の声。重く、胸に迫るように響いてくる。
「王妃になれば、バッカスは死ぬ」
薄暗い部屋の奥にある玉座から、でもその顔は見えない。
「頼むと言ったはずだ」
亡き国王様が怒っている。そして目の前に血まみれの、バッカス様の……亡骸。
「リリー様」
エランの声で悪夢から現実に戻ってこられた。具合が悪くて見ただけの悪夢……それがいつまでも、血の匂いまで鮮明にこびりついている。
「どうされましたか。どこか痛む所でも」
「いいえ、違うの……」
殺風景にはなったけれど、住み慣れた部屋でエランや侍女の皆も傍にいてくれて目の前には温かいスープとパン。
磔になんてされていない。バッカス様も……確かにここにはいないけれど、生きて王宮殿に。
ただの悪夢……あんな事に、なるわけがない。
忘れようと唱えて平然を装うけれど、手の震えが止まらない。
「リリー様、横になりましょう。顔色が良くありません」
「大丈夫、休んでいる暇はないもの……皆の働いている所を見て回りたいの。妾と呼ばれる人達の暮らしぶりや侍女の選定方法について知りたいし、妃達をまとめる組織と長について過去の文献からも」
「いけません、リリー様」
だめです、そんな風にエランが首を横に振る。
「具合の悪い時に何をしてもいい方向には進みませんよ……どうぞ」
エランに連れられ、ベッドに横たわると優しく布団を掛けてくれる。
「エラン……」
「傍におります。貴女がお眠りになるまで」
その言葉といつもより柔らかな声色に心が落ち着いていく。
(そうだ…エランに聞きたいことが……)
思いながらも意識は眠りへと落ちていった。
「ようやく会っていただけましたか」
「リリーは……治るのだろうな」
「私に出来る範囲の事は、致しました」
「それは、どういう意味だ」
王宮殿、謁見の間にてエランはバッカスと対峙していた。
「現状を打開する秘策を、持ってまいりました……お人払いを」
決意を秘めた強い眼差し、手には先王の側近から受け継いだあの日誌を携えている。
あの後……すっかり眠ってしまって目覚めれば世界は暗く夜の底。
静けさが怖くて庭へ出てみる。
星ひとつ、見つけられない重い空。
雲は厚く、ぬるい夜風が髪を攫って吹き抜けていく。
どんな景色も切なく、物悲しく見えるのは別れの気配を感じるからだろうか……別れずに済む方法を探せば探すほど、自分という存在を消して、息を潜めているしかなくなる。
(王様の影となって……私に…何ができるだろう……)
その時、向こうの草むらが揺れた……気がした。
「誰……」
息を潜めて注意深く見るとまた揺れる。
(エラン……? )
長い髪に白衣姿……こちらに向かって歩いてくる。
違う、あれは……
「バッカス様……」
そんなはずない……そんなはずは……けれど身長も、広い肩幅も。
「よくわかったな」
抱きしめて、包みこんでくれる……温もりも大きな手も、すべてが愛しいその人で。
重く湿り気のある夜を、世界を美しく変えていく。
(どうして……)
声にならず、腕を回して胸に顔を埋めれば確かに感じられる鼓動。
胸の中にいたざわめきが消えて、心が緩やかに凪いでいく。
「やっと……会えたな」
声に何度も頷いて、溢れる涙が止まらなかった。




