70.愛のために
「今はお会いになれません」
覚悟を決めて華蝶殿に来たものの門前で、追い返されてしまった。
「それでは、いつお伺いすればよろしいでしょうか」
「さぁ」
無視されて仕方なく石段を降りる。
規則正しく一定の距離を空けて立つ黒髪の侍女達は視線鋭く、優雅な身のこなしながら常に警戒を怠らない立ち姿は兵士さながら。
けれど、後には引けない。
「それでは、こちらで待たせていただきます」
背筋を張り、あの花のように凛と立つ。
どれだけの時間が要るかわからない。これが正しい方法なのかも……けれど、他に出来ることがない以上、立ち向かわないわけにはいかなかった。
「リリー様、一度お戻りに……」
「いいの。あなた達は先に帰っていて」
「ですが……」
声を潜めて侍女達を帰す。
何時間、何日かかるかわからないからこそ誰も、道連れには出来なかった。
その一方──エランは王宮殿の扉の前で待たされていた。
「来客中です。伝言を」
「では“リリー様が危険”だと、そうお伝えください。お取次ぎいただくまで、こちらで待たせていただきます」
リリーと同じ手で、しかしこちらの方が容易いだろう。相手はバッカスなのだからリリーの名を出せば必ず……エランはそう考えていた。
長い時間──ただ立つと言うのは時の流れを彷徨わせ分からない状態にさせる行いだ。
太陽や影が動いて、遠くを兵や侍女達が通ろうと、自分の身はその思考の内にある。
重く閉ざされた扉の向こう、バッカスは座り、誰かと密談しているのだ。
兵の数からして使節や貴賓など取り返しのつかなくなる相手ではない。
エランは決意した。
大股で歩いていって兵の静止も聞かずドアに手を──
「もう用済みでしょう、リリー様は」
そして聞こえてきた言葉に、声も動きも止められる。
誰の声かはわかる、けれど今はそんな事よりも。バッカスがどう答えるのかが重要だ。
けれど、普段から決して大きくないその声が聞こえてくる事はなく、動きを止めている間に内側から扉が開く。
「おや……」
姿を現したのはあの亡き国王についていた側近だった。
その日、リリーは夜通し立ち続け、衛兵達の脅しも聞かず侍女が夕食の時刻だと迎えに行っても、カメリア様にお会いできぬのに夕食など悠長にとっている場合ではないのだと一歩も引かなかった。
そして、エランは書斎に籠り頭を抱えて悩みに耽る。
あの後、彼は王となったバッカスに初めて会った。
ニナリスでの報告も、サラを連れ帰った事もどこか心ここにあらずといった様子で聴いていたバッカスに耐えきれず、エランは怒りをぶちまけ……そして交わされた。
「既に手の者は回している」
「手の者……心配ではないのですか。なぜリリー様がそこまでしたとお思いに? あなたが」
「今は政務が山積している、行ってやれぬ」
王という座は、こんなにも重く人を変えるのか。
同じ疑問を抱き、父に反発していた息子さえも変えてしまうほど……用済み、その言葉が返ってくる。
異国出身の、後ろ盾を持たぬ妃。
いくら生き神様だと祀り上げられようとも王として、確固たる地位を築かねば大臣達は納得しない。
この国に貴族は存在しなくとも上流階級と呼べる者達がこの世を握っているのは事実。
王が政務で結果を出せば出すほどに、彼等は王を取り込む為に策を巡らせ、世継ぎ問題を持ち出して……行き着く先、リリーは格好の標的であり、国王バッカスの弱点となる。
あれほど一途にバッカスを想い、今も闘っていると言うのに。
共に生きる、明るい未来は描けそうにない。
その夜、エランの思考は止まらなかった。
「考えておけ」
本来、考えるべき事は別にある。
エランの手元にはバッカスが託された物より厚く古ぼけた、辞典のような書物。
「後は頼みましたぞ」
「どういう事です。この書物は……」
「あの御方には大きな弱点が。乗り越えなければ破滅すると心得よ」
亡き国王の側近は、その座をエランに託し宮殿を去った。国王バッカスの側近となるかこのままリリーの家臣でいるか、選択を迫られている。
そして事態は動かぬまま日々が過ぎていく。
「リリー様、大丈夫かしら」
「元々、お弱いのに……お身体を壊されなければいいのだけれど」
月華殿では、戻らない主を気遣う侍女達のやり取りを掃除に励むサラが聞いている。
華蝶殿の前で、変わらず立ち続けるリリー。
砂埃に汚れ、頬はやつれて容赦ない日差しのせいで身体じゅう渇ききっている……けれど前を見据える眼差しは強く、とうに感覚がないはずの足もふらつく事はない。
細く、か弱く見えるリリー。
しかし前世より磨かれてきた魂は底知れぬ強さを秘めており、それはまだ誰にも知られてはいない。
「無礼な人ね」
そうしてカメリアが姿を現したのは、五日目の事だった。




