71.冷たい瞳
「無礼な人ね」
冷たい声と瞳。
ぼんやりと霞む視界の中で、赤い衣がふわりと揺れた。
「それで何」
「実は……国王様より勅書を遣わされました」
いつもより低い声、有無を言わせぬ貫禄に気圧されながら何とか言葉を紡ぎ出す。
「私に妃達をまとめる長を任せたいと……ですが、宮廷の作法には不慣れなものでどのようなお仕事なのか、カメリア様にお伺いしたく……」
やっと入れてもらえた部屋の隅、精一杯絞り出した声が消えていく。
堂々と渡り合うつもりだったのに、立ち続けて声はかすれ、頭も重く働いてくれない。
薄暗い部屋、カメリア様は黙ったまま部屋の奥へ進み、ゆったりと流れるようにソファーへと身を沈める。
返事を待つ沈黙が……重い。
「そんな事、わざわざ聞きに来たの」
「はい……」
「ずいぶんと、暇なのね」
「え……」
「知らないわ」
「え……あ、あの……」
「知らない、と言っているでしょう」
「そう……ですか……」
「用が済んだなら早く帰って。頭が痛いの」
何も、できなかった。
意識が飛ぶほど立ち続けて何も……無力感がひたすらに襲ってくる。
何より余裕あるいつもの笑みが、カメリア様になかった。
(本気で…怒らせてしまったかも……)
もはやこれ以上、ここにいる意味はなかった。
「いつまでいるの」
「申し訳……ございません」
ゆっくりと、踵を返す。
諦めてはだめだと叫んでいる声と、最初からこんな事すべきでなかったという声と。
「何もする必要はないわ」
背中にカメリア様の声。
「王妃にできない妃を宮殿に置くための、王の情けよ。新たな王を娶るまでの……わかったらおとなしくしていることね」
最後だけ微かに……いつもの笑みが、私を嘲笑っていた。
リリーはふらふらした足取りで月華殿に帰り着くと、侍女達の顔を見るなり崩れ落ちた。
「リリー様!! 」
守るようにエランに抱き留められ、頭を打たずに済んだリリーは処置を受け、寝所へと運ばれる。
身体は渇き、熱を発している。
このままでは……。
「点滴があれば……」
「エラン様? 」
「いや、何でもない」
「リリー様は……」
「重篤だと……至急、王宮殿に使いを」
「じ、重篤……」
「大丈夫、手は尽くします。水を……水を通さない袋はありませんか。とにかく清潔な物を、それから柔軟性があり強靭な筒になるような物もいります。急いで」
「はい!! 」
鬼気迫るエランの表情に侍女達は急いで外へ散っていく。
「リリー様は……」
庭の掃除を任されていたサラが遅れて部屋へ入ってくる。
「サラさん……」
「リリー様に何が」
「大丈夫です。必ず」
「リリー様は直に追い出される……噂で聞きました。なぜ、なぜリリー様がこんな目に遭っているのです」
サラの声は、涙で震えていた。
「バッカス様はリリー様の事を誰より大切に想われている……それは嘘だったのですか」
「決して嘘ではありませんよ」
「それならなぜ、バッカス様は一度もこちらにいらっしゃらないのです。こんなの……こんなのあんまりです!! 」
リリーに迷惑を掛けたくない、その一心で苦しい生活に耐えていたサラ。リリーの傍にいられなくても……その想いは爆ぜるように溢れ出る。
「私が……私がリリー様を幸せにします」
「サラさん、落ち着いて。今は治療に専念しましょう。サラさんは厨房に湯を沸かすよう伝えてきてください」
「……わかりました。ですがエラン様にも一つお願いが」
「何ですか」
「私を、リリー様の傍にいられるようにしてください。今度こそ……傍でお護りしたいのです」
返事を待たず、素直な気持ちをぶつけて、サラは出ていく。
彼女の後悔の理由も、よくわかっていた。
塔で幽閉されていた日々。
まだバッカスに出逢う前の、何者でもなかったリリー……国を追われ、サラとも別れ、谷底から突き落とされたような絶望を味わっていた。
あの時、命を懸けて守ると決めた……それなのに、彼女は何度でも手から零れ落ちていこうとする。
バッカスの為に。
ただ見ているしかない……己の無力さを痛感している。そして同じ思いをサラも……そう思うと軽々しい返事はできなかった。
どうして私が……と苦しみながらここまで歩いてきた。寝たきりの状態からリリーが積み重ねてきた努力の日々を、思い出さずにはいられない。
汗を拭き、脈を確かめ、あの頃のように介抱する。
やがて侍女達が集めてきた材料で点滴を作り、容態が安定した後もずっと……エランはリリーの傍を離れなかった。
夜が更けて、世界中が寝静まっても傍に……扉を開け、部屋に入れぬまま見つめるバッカスに、エランは気付かない。




