67.沈黙の十日間
「こちらを……」
亡骸を見つめたままのバッカス様に、側近が何かの鍵を差し出す。
「王位を継ぐ御方だけが知る物にございます。先程、お休みになられる前にバッカス様に渡すよう仰せつかりました」
その鍵を受け取って導かれるまま側近と共に、彼は部屋の奥へ消えていってしまう。
お義父様と二人きり。
(何をお伝えに……なりたかったのかしら……)
喉元を抑え、必死に……。
思い出そうと見つめていると、わりと早く、荷物を抱え二人が戻ってきた。
「バッカス様……」
沈み込む表情に、声を掛けずにはいられない。
「お待たせして申し訳ございません。王妃様にもお伝えを。こちらは代々王家に伝わるマントと印章、そして」
「王の日誌だ。父が遺した物らしい」
バッカス様は、抱える荷物に視線を落とす。使い古され、時代を感じるそれらの品の重みは……どれだけのものだろう。
「そのマントを羽織り、玉座にお就きください。それが即位の印となります」
「……わかった。至急、王族と大臣を集めてくれ。国葬を執り行う」
「かしこまりました」
迫力を保った声で側近に命じると、彼等は会釈して部屋を出ていった。
(やっと二人きりに……でも……)
「バッカス様……」
迷いに迷って出来たのは名を呼ぶ事だけ。
「大丈夫だ……突然の事に驚いたが。戸惑わせて済まない」
「いえ……」
大丈夫と、強がる瞳は国王様の亡骸を見つめている。
遠く、昔を懐かしむような横顔。
「恨んでいた……ずっと。女好きで傲慢で、母を苦しめておきながら子供ごと捨てた。偉大な王でいるために……」
憂いに深く沈む瞳、救いになる言葉さえ見つけられなくて、せめて……と半歩だけ身を寄せて心に添う。
「リリーにとっても、人生を狂わせた憎き王であろう。だが一つだけ、感謝している事がある」
見つめると視線が通い合い、受け入れられた心持ちに。
「初めて会った夜を……覚えているか」
「はい……今夜のように、静かな夜更けの事でしたね」
「そうだな……あの時は腹を立てていたが今となっては、感謝している。リリーと出逢わせてくれた事に」
見つめあった瞳は、悲しみに濡れながらも優しく微笑んで見えて。
「失礼致します」
互いの手が求めあった時、扉の外から側近の声が。
「羽織らせてくれるか」
「はい」
触れ合う代わりにバッカス様の手からマントを受け取り、肩に掛けた。
血で染め上げたような、深紅のマント。
羽織った瞬間、バッカス様の表情が厳しいものに変わる。
「しばらく傍に居られぬが、迎えに行くまで耐えてくれ」
「はい」
短い言葉で覚悟を交わして、王となったバッカス様は私と、お義父様の亡骸に背を向けて部屋を出ていった。
「お送りします」
侍女に連れられ月華殿へ一人帰る。
会えない時をどれだけ耐えれば、ここでまた……安らぎの時を過ごせるだろう。
一度、あのマントを羽織ってしまえば最後、王として片時も心休める瞬間などないのかもしれない。
ニナリスで、心を決めたあの時から。
広いベッドに身を横たえて眠れない夜に……夜中、彼の事を考えていた。
「……連合国の大使を招いて国葬の儀を執り行う事とする。また王族は慣習に則り拝礼の儀の十日間、沈黙し深く祈り、亡き者に哀悼の意を捧げよ」
翌朝、皆の前で話すバッカス様は王の威厳と貫禄を放っていた。
迷いも悲しみも一切を感じさせず、堂々と。
そしてその発表によれば今日から十日間、拝礼と沈黙を……その間、話す事は一切、許されない。
沈黙し、深く己の思考に入り込んで、夫婦が共にいる時も互いに言葉を交わす事はなく……そうして過ごす十日の後、それぞれにどんな感情が生まれるのだろう。
このままあの人達が静かにしているわけはない……それも、もちろん怖いけれど。
(胸騒ぎがする……あの時、生贄になる前と同じような……)
共に歩む為なら、バッカス様の為なら何でもする。そう決めたのはいいけれど、果たして私に何が出来るだろう。
(二人で生きると……決めたはずなのに)
色々な事を、乗り越えてきたはずだった。
何度も命を失いかけて、でもその度に起き上がって……少しは強くなれたと思ったのに。
沈黙の中、向き合う私はとても弱い。
そんな夜を何日も越えて──明日で拝礼の儀を終える深夜。
扉が開いて彼が入ってきた。
「バッカス様」
思わず声を上げる私に黙ったまま駆け寄ってきつく、抱きしめられる。
何も言えない、扉一枚隔てた先には侍女も衛兵もいるのだから。
そっと……背中に腕を回し抱きしめ返す。
喪失も、孤独も不安もすべて包み込むように。
伝えたい想いは溢れて止めどなく──あなたといるから強くなれる事、あなたと同じ気持ちで同じ感謝を胸に抱いて生きている事。
この沈黙が解けたら真っ先に伝えよう、何を置いても。
言葉のない夜、温もりに想いを込めて──そっと更けていく。




