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66.誰より帰りを待っていた人


 そうして、王位はバッカス様に引き継がれた。


「リリー様はこちらへ」


 バッカス様は王宮殿の奥へ案内されていき、私は月華殿(げっかでん)へ。


「お帰りなさいませ」


 留守を守ってくれていた皆の出迎えを受けて、帰ってきた実感が湧く。


 湯浴みを済ませ着替えると、あの家で過ごした日々まで泡となり、流れて消えてしまったような気がした。


「ゆっくりお休みください」


「ありがとう」


 部屋を出ていく侍女を見送り、一人。


 広いベッドに横になると様々な光景が浮かんでくる。


 陽の光の下、土で顔を汚しながら思いきり笑う姿……覚悟を決めた眼差し、ただ帰る場所だけを見据え必死に馬を走らせる姿。


 きっと、素晴らしい君主になられる……バッカス様なら。


 想像するうち疲れも手伝って、いつの間にか深い眠りへ。




「お妃様!! 大変です!! 」


 緊迫した声に驚いて眠りから覚めた。


「どうしたの、バッカス様に何か」

「国王様です。あ、もうバッカス様が国王様で……ではなく、お父様です。バッカス様のお父様が!! 」


 それは、偉大なる威厳を見せた先の国王様の、危篤の(しら)せだった。



「よくぞお越しくださいました」


 王宮殿に着くと、待っていたようにあの側近が出迎えてくれる。


「皆様にお知らせしたのですが、他の方は誰も……」


「バッカス様は……」


「はい。お打ち合わせの後、湯浴みの最中でしたので急いでこちらへ向かっているかと思われます」


 早足で迷路のような曲がりくねった回廊を、話しながらも徐々に速度は速まり、彼の表情にも焦りの色が。


 それだけ、状況は差し迫っているのかもしれない。


「どうぞ、こちらでございます」


 そして、通されたのは巨大な書庫の奥の奥、隠し部屋のように造られた狭い部屋。


 まだ、バッカス様は来ていないらしい。


「あの……肉親でもない私が先に会ってしまって、よろしいのでしょうか」


「もちろんで御座います。貴女様がこの国にいらした時から、その身をとても案じておられましたから……」


 少し、驚いてしまった。


 促されて部屋に入ると、木枠だけの粗末なベッドの上にその御姿が。


 苦しいのか、時折眉を歪めては小さなうめき声を上げ、医官の看病を受けている。


「お……」


 お前は、と言いたいのかもしれない。


「私です、リリーにございます」


 (かたわ)らに(ひざまず)き、手を取って……薄っすらとしか、もう開いていない瞼、白く濁った虚ろな瞳。


 もう、私が誰かさえ……分かってもらえていないかもしれない。

 

「国王様に、命を救っていただきました……バッカス様と引き合わせていただいた事も、心から感謝しております」


 こんな機会でもなければ伝えられなかっただろう。


 あまりの威厳とその迫力に(おそ)れてばかりで、人の時は有限だと忘れていたのかもしれない。


「たの……たのむ………ッカス…を……」


 力強く握り返される手。


「あ…あ……」


「どうか……されたのですか」


 瞳が、一瞬強く、何かを訴える。


 私の様子に医官がこちらに目を向けると国王様は私の手を離し、手を上に上げると空中で彷徨わせてから喉に。


「何か伝えたい事があるのでしょう。お耳を」


 医官に促され、口元に耳を寄せる。


 最後の力を振り絞るように、口を動かして何かを……それでも、もう声は出ず、ただ空気が抜ける音のようで、何を言っているのか聞く事はできない。


「あ…ざ……」


「こちらでございます、早く……」


 音て聞くのをやめ、唇の動きを読もうと……その時、側近の声と足音が、背中の方から響いてバッカス様が入ってきた。


 何も言わず私の隣に、まだ少し濡れた髪の隙間から深く沈んだ瞳が見える。


「バッカス様に御座いますよ、お分かりになりますか」


 医官が大きな声で起こすように声を掛ける。


 だんだんと意識は遠のいて……もう、あちらとこちらを彷徨っているのかもしれない。


 バッカス様は何も言わず、ただ横たわる姿を眺めて立ち尽くす。


 私は、何も知らなかった。


 死別の哀しみも、どんな言葉を掛けるべきかも……二人がどんな親子だったのかも。


 ただ胸が詰まる。


 瞬きのない瞳を見つめる事さえ出来なくて。


 バッカス様の手を取って、お父様の手にそっと重ねる。


 言葉や、表情ではもう伝えられないかもしれない……けれど温もりならまだ。


 大きく見開かれた水色の瞳が美しく、いつになく哀しく揺れている。



 そうして──安心したように目を閉じて、お父様は静かに生涯を終えられた。


 初めてバッカス様に会った夜と同じ頃、皆が寝静まる夜更けの事だった。

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