61.願わくばこのまま
「三日のうちに……御心をお決めください」
側近はそう言い残し、帰っていった。
宮殿に戻り、父の意思を継いで王となるか、それとも名を棄て農夫として生きるか。
王は初めて、その決断をバッカスに委ねた。
死んだと思われている今なら、名を棄て自由に暮らせるであろう。もう二度と、命を狙われる事もない。
“お前が生きたい道を選べ。王でなく父として……尊重しよう”
父からの手紙を、バッカスは凝視する。
間もなく、父の時代が終わる。
その事実に、静かに目を伏せるしかない。
王の四男として宮殿の外で育ち、継承とは関わりなく生きるはずだった。
今も、地位に興味はない。
しかし、二人の兄達が王になれば間違いなく国は滅び、欲と血にまみれた争いの時代がやってくるだろう。
庭に目をやれば青い空の下、サラと笑い合うリリーの姿が──陽に照らされている。
「リリーには言うな。私から話す」
「はい」
願わくばこのまま……葛藤を胸に秘め、バッカスは手紙を懐に収めた。
リリーにも、その揺らぎは伝わっていた。
村人達が催してくれた歓迎の宴の場で、酒を飲み熱く語らっていても、子供達と腕相撲をして盛り上がっている時も……どこか心ここにあらずなバッカスの様子に、そしてそれを心配そうに見守るエランの眼差しにも。
「とてもお優しい御方ですわね」
「そうね……」
(そう……優しい御方だからこそ……)
「きっと、リリー様を幸せにしてくださいます」
「私は……もう幸せよ。愛する夫がいて、こうしてサラにも、また会えたんだもの」
サラは嬉しそうに顔をほころばせ、リリーも微笑みを返す。
「何より、サラが幸せでいてくれてよかった……」
安堵を込め、人の輪の中心で揺らめく炎を見つめ。
紅茶と薔薇の香る社交界、石造りの塔と露骨な闘志を隠さない大国の宮殿、そして貧しいながらも干渉されない自由を手にした山あいの村……様々な世界を見つめてきたその瞳は今、何を思うのか。
夜更け──バッカスはリリーを抱きしめ、静寂に浸っていた。
「明日、イモの種を植える。育てやすく、主食にできて万能らしい。三月もすれば白く小さな花を咲かせ……風に揺れる姿がとても可愛いのだと言っていた」
「ふふ……楽しみですわね」
「あぁ、暑くなれば近くの川で水浴びをし、秋には作物の収穫と祭りがある。その時にはまたあいつらと腕相撲をすると約束をした。それまでに鍛えて絶対に勝つと、意気込んでおった」
「それはまた……バッカス様も鍛えないといけませんわね」
「まだ5歳だぞ、負けるわけがない。かわいいものだ……」
まだ酔いと興奮が残っているのか笑いを交え……バッカスの言葉はそこで止まった。
落ち着いていく鼓動を感じる。
寝てしまったかも……そんな息遣いに紛らわせ、リリーは呟く。
「子供……お好きなのですね」
「そうだな、いてもいい……女でも…男でも……リリーに似て優しくかわいければ……すぅ……すぅ……」
ゆっくりと、寝ぼけながらの言葉はやがて寝息に変わり、溶けていく。
「かわいいでしょうね……あなたに似た子ならきっと……」
願わくばこのまま……気づかない振りして幸せだけを見つめていれば、いつか叶う日が来るかもしれない。
青い空の下、花咲く庭で駆け回る幼子と、土で顔を汚しながらも笑みに満ちている自分達の姿を瞼に浮かべ……リリーもそっと、目を閉じる。
「リリー様!! バッカス様!! ご無事ですか!? 」
夢と現実の境、鬼気迫る叫びに二人は目覚めさせられた。




