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56.絶望の淵で


 ガキンッッッ!!


 ぶつかり合う剣の音と共に立ちはだかる大きい背中。


「くっ……」


「バッカス……様…… !? 」


 まさに今、私に向けて振り下ろされた(やいば)を剣で受け止めてくれている。


「リリー……無事か」

「はい」


 睨み合う彼は、私の返事を聞くと声を上げて剣を跳ね返し、次々斬りかかってくる兵士を素早い動きで交わしていく。


 (私も一緒に……)


 弱る身体、熱があって戦う体力なんて残っていないはず。


 それなのに……。


 (落ちている剣を拾えば私も……)


 縄を(ほど)こうとするけれど、きつく結ばれていて(ほど)けず、自由に動く余裕さえ生まれない。


「待ってろ、今」


 話す間もなく襲ってくる剣。


「大丈夫ですから…私の事は……」

「今、切ってやる」

「いえ、自分で」

 

「危ないっっ!! 」


 ギンッッ!!


 耳元で凄まじい音が響いた。


「ご無事ですか!! 」

「エラン、遅いぞ!! 」

「すみません、ですがお叱りは後ほど」


 兵士はどこからともなく増えて私達を追い詰める。


 話す間もないほど……


「お逃げください」


 縄を解きながらエランが囁く。


「でも……」


 目の前では、バッカス様の剣が兵士達を次々に斬り伏せていく。でも一向に減る気配はなくて。


 (エラン一人置いてくなんて……危険すぎる)


 それでも。


「バッカス様を、お願いします」


「……わかった」


 覚悟を決めたエランの瞳に、私は頷いた。


 (どちらか……なんて選べないけれど……)


 “エランのみだ……我等が信じられるのは”


 その言葉を信じ、立ち上がる。


「バッカス様」

「あぁ」


 今度は自分から、バッカス様の手を握って。


 (もう離れない……二人とも……失ったりしない)

 

「エラン、また後でね」

「えぇ……必ず」


「逃げるぞ!! 追え!! 」


 怒号を背に、走り出した。




 はぁ……はぁ…はぁ……


 木々を掻き分けて走って、追ってくる兵と時折、剣で戦いながら。


 どれだけ逃げてきたのか見当もつかないくらい。


「もう少しだ……エランが用意した小屋がある」

「はい……」


 息を切らしながら、そのうちに追って来る兵はほぼいなくなった。


 燃えるように熱い手……きっとまだ熱があるのだろう。


 はぁ……はぁ…


 苦しそうな息遣い、額から噴き出る汗、手はわずかに震えている。


「バッカス様、大丈夫ですか」

「あぁ……」


 絶え間なく進み続けてきた足が、止まってしまった。


「少し、休みましょう」


 その瞬間。


 手が離れ、身体がどさりと目の前で──崩れ落ちた。


「バッカス様」


「逃げろ……お前……だけでも…」


 お腹を抑えるようにうずくまる姿。手元からは血が。


「お待ちください」


「早く……逃げろ…」

「大丈夫ですから」


 衣の布を引きちぎって患部に……みるみる血に染まっていく。


 (足りない……)


 生ぬるい血が私の手に広がる。


 (落ち着け……落ち着け……)


 どこで刺されたか、このままでは。


「押さえていてください」


 動揺で、震える声を必死に抑える。


 決して清潔ではない布、本来なら水も欲しい……けれどそんな事を言っている場合ではない。


 (止血だけして小屋へ逃げ込めば……)


 そしてエランに診てもらえば…、頭の中で助かる方法をいくつも考えて。


 もう一度、今度は衣の大部分を引きちぎって、きつくバッカス様の胴に巻く。


「清潔な物でなくてすみません」


「手際が……いいのだな……」


 薬草は、兵に捕まった時点で手放してしまった。


「申し訳ありません……私が不甲斐ないばかりに」


「いいから二度と……傍を離れないでくれ」


 求められた手を取ったその時。


「うしろ……」


 バッカス様の背後、木の上から兵士が。


 (動けない……)


 佇まいだけでわかる、喉の奥がぐっと詰まるような威圧感。今までの兵士達と違うと、一目でわかった。


「何者だ……」


 バッカス様も、それに気づいたかのように仮面で面を隠す兵士に睨みを利かせる。


 何も言わない兵士。


 睨み合いが続いた後、互いに切りかかった。


「逃げろリリー!! お前だけでも」


 最後の力を振り絞るような声、でも覚悟は決めている。


 (これが最期なら尚更……)


 つかない決着、次第に力を削られたバッカス様の動きが鈍くなり、膝をついてしまった。


 カランカラン……


 剣の落ちる、その音がやけに大きく頭に響く。


 (間に合って……)


 バッカス様の首元に……突きつけられるその瞬間。


 生の肉体を突き刺す、鈍い感触。


 (私……人を……)


 音が消えた。


 バッカス様の落とした剣で、私は兵士の身を貫き、そして──どさりと崩れ落ちた。

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