55.あの時、手を離さなければ……
「リリー……」
薄暗い闇の中、バッカスは気付く。
リリーがいない。
「くっ……」
苦痛に顔をゆがめながら身体を起こすと、立ち上がった。
「どこだ……リリー……」
ふらつき倒れそうになってもまた起き上がって、リリーを探す。
あの時──バッカスは、崩れゆく祭壇と共に崖から落下。包み込むようにリリーを抱きしめ、そして地に打ち付けられた。
「リリー……リリー……」
どれだけ呼んでも返事はない。
陽の射す方へ進み……そして、洞窟を出た所で兵士に見つかった。
「いたぞ、皇太子だ!! 」
兵士は大声で仲間を呼ぶと剣を抜き、バッカスを睨み狙いを定める。
丸腰で満身創痍のバッカスに……立ち向かう術はない。
「皇太子様が見つかりました」
「どこだ」
「ここより東に進んだ先の洞窟です。ゲイク様の手の者が見つけたようで……」
「ちっ、やられたか。それで……死んだんだろうな」
「えぇ、兵に囲まれ成す術もなく。遺体は奴等に回収されたものと思われます」
「……最後まで手こずらせやがって」
声は、うなだれるリリーにも聞こえていた。
山の西端、バッカスとは離れた所にある洞窟で、椅子に縛り付けられていた。どれだけ石を積まれてもバッカスの居場所を答えようとせず、鞭で打たれては気絶してを繰り返している。
(バッカス様……)
うっすらと、戻りかけていた意識の中で知らされるバッカスの死。
(守れなかった……)
居場所を言わなければ、ここで耐えて時間を稼いでいればきっと……すがりついた希望はあっさりと、打ち砕かれてしまった。
(すべて……無駄…だった)
どれだけ呼んでも、声はもう届かない。
傍にいればよかった、助けられなくても……せめて一緒に。
「なら、もう用済みだな。こいつも殺して引き揚げるか」
「承知しました」
「……待てよ」
「ラド様、どうかされましたか」
「情報の出処は」
「尾行の者が遠巻きに見ていたようですが……それが何か」
「……確かめる。今まで何度、偽情報を掴まされたか。いいか、戻るまでは殺すな」
「ですが、尾行の兵士は我等の手の者」
「誰一人信じるな。これがその証拠だろう、50送ったはずの兵が13……47も寝返った。お前のせいで俺は……本来なら皆殺しにしたいほど腸が煮えくり返っているのだ」
「申し訳ございません……」
「わかったら、口答えするな。戻ってくるまで誰の指示も受けるなよ。いいな!! 」
「はっ!! 」
ラドの声が消えて、足音が遠ざかっていく。
(バッカス様……まさか…そんなはず……)
疲れた笑顔と声が浮かぶ。
“リリー……”
かすれた声で名を呼んで、髪を撫でて……生きている事を喜んでくれた。
痛みに苦しみ、熱にうなされても……私を責めるどころか、このくらい何でもないと笑ってくれた。
(あの笑顔が……最後になるなんて……)
あの時、手を離さなければ……責める言葉と現実は拷問よりも苦しくて、息ができなくなるほどに全身を痛めつける。
(私の…せいで……)
最後の最後まで、私は無力だった。
(バッカス様……)
もう一度、手を握り……名を呼べたなら。
そんな願いは、もう叶わない。
時が経ち、戻ってきたラドは“情報は真だ”と告げると、先に王都へと帰っていった。
“殺して首を持ち帰れ”
そんな命令にも取り乱す事はなく、リリーはただ虚ろな目をして、うなだれている。
「首だけでいいなら、何してもいいよなぁ」
兵士達から狂気の眼差しで鬱憤晴らしに使われても──何一つ反応を見せず。
「つまんねぇなぁ」
「何とか言えよ、おらぁっ!! 」
バッカスの死という悲報は、リリーを生ける屍に変えた。
「恨むなよ。これも大事な仕事だ」
そうして再び椅子に、リリーは縛り付けられる。
「……バッカス……様……」
動かない唇から漏れる声は、剣を抜く音に紛れ、消えていく。
静寂と、緊張の中──
剣が──振り下ろされる。




