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54.信じられるのは……


 息を潜め、できるだけゆっくり歩いた。


 来た場所とは反対の方向へ……少しでも遠くまで兵士を誘導して、バッカス様の元へ戻る。


 (でもどうやって……)


 隣には、ぴたり張り付くようについてくる兵士。


 味方じゃない……それは目を見ればよくわかった。


 (この人……私を殺そうと……)


 獲物を狙う眼、守る者の眼ではなく血に……飢えてさえいる。


 バッカス様の言う通り、私達を探しに来るのは味方でなく敵だった。この機に乗じて私達を亡き者に……バッカス様の元に連れていけば間違いなく、二人とも殺されてしまう。


 “エランのみだ……我等が信じられるのは”


 例え月華殿(げっかでん)にいた見知った兵だとしても、誰の息がかかっているかわからない。


 恐怖と緊張で震えが……全身が凍るように冷えていく。


「皇太子妃様……」


 疑う声。


 もう……限界。


 振り返るふりをして右へ。一瞬の隙をついて勢いよく、走り出す。


「おい、待て!! 」


 追ってくる。


 速かった。


 このままではすぐに追いつかれてしまう。


 右へ、左へ……時折、木陰に身を隠しては気付かれて、山を登っていく。


 とにかく上へ。


 バッカス様のいる洞窟から、とにかく少しでも離れた所へ。


 (バッカス様……)


 熱にうなされ朦朧(もうろう)と……見つかれば、殺されてしまう。


 ぐっと、速度を上げた。


 “行くな……”


 バッカス様の声が、聞こえてくるような気がする。


 (必ず、帰ります……でも…今は)


 頬を、足を枝が鞭打(むちう)つ。


 (もっと……もっと速く……)


 痛い、苦しい……心臓が速さについてきてくれない。喉に血の味が込み上げてくる。


「うっ……」


 足が。


 視界がぐらりと揺れて、地面に叩きつけられる。


 枝につまずいて……。


「そこか」


 鋭い、刃先が首元に。


 (やめて……)


 声が出ない。


 兵士は何も言わず剣を振り下ろす。


 (終わった……)


 舞う血飛沫(ちしぶき)



「え…………」



 どさりと音がして、兵士の身体が崩れていく。


「ご無事でしたか」


 それと同時に見えてきたのは、また別の鎧を身に着けた……黒い柄の剣を持つ兵士二人。


「お怪我はございませんか」


「えぇ……」


 腰が抜けて立ち上がれない。


「お手を、失礼致します」


 とっさに身構えてしまったけれど、丁寧な所作で手を取り、立ち上がらせてくれる。


「ありがとう……ございます」


「皇太子妃様、私共に敬語は不要でございます。お怪我がなければ安全な所で少しお話を」


 怪しい所は微塵(みじん)も、感じられなかった。だからこそ躊躇(ためら)ってしまう。


 (何よりこの人は……)


 私を守る為に一人、殺している。


「これは、失礼致しました」


 未だ血の(したた)る剣を眺めていると、視線に気がついたその人が剣をしまった。


「ここは危険です。一度、私共の基地にご案内致します」


 もし、


 (帰らなきゃ……でも……)


 信じられない。でももし疑って……救われる手段を自ら手放してしまったら。


「はい……」


 それに、王様の救いの手を跳ね除ける権利は私にはない。バッカス様ならともかく……そう思うと、さっきの兵士のような対応はできず、ついていく事にした。


 と言っても、まだ足が震えていてしっかり歩く事ができず、よたよたと。


「大丈夫ですか」

 

「はい……すみません……」


 少しずつ、山を下っていく。


 (バッカス様……)


 解熱の為に薬草を、早く煎じないと熱は更に意識を奪うかもしれない。


 “リリー……”


 危機の中で、初めて名を呼んでもらえた。


 (話したい事がたくさんある……だから……今度は私が……)


「少し、休みましょう」


 息切れを気遣われたのか、わずかに開けた所で兵士の足が止まる。


「水を汲んでまいります」


 そうして一人がいなくなり、もう一人が剣を外し、腰掛けた。


 (少し……休もう……)


 震える心を落ち着かせて、ふぅとひとつ息を吐く。


 丁寧な対応と所作、何より殺意は感じられない。


 (信じても……いいのかもしれない)


「戻りました」


「早かったな」


「はい、近くに沢が」


 (近くに……沢なんて……)


「皇太子妃様、どうぞ」


 水を差し出す兵士の剣、黒い柄の隙間から見えた、紫の柄。


 (……むら……さき……? )


「薬草……ですか」


「え、えぇ……」


 もう一人が、ずいと私の前に水を。


「どうぞ、お飲みください」


 (飲んだら……命はないかもしれない)


 気づけば、かなり下まで山を下りてきていて、恐らく私達のいた洞窟は近いはずだ。


「まさか……私の汲んだ水はお飲みになれないと……」


 (逃げないと……!! )


 立ち上がると、兵士達の表情が変わった。


「無駄な抵抗はおやめください、皇太子妃様」


 蛇のような目に捕らわれ、腕をつかまれて。


「逃げ場など、どこにもありませんよ」


 周囲を兵に、囲まれていた。

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