49.会えない時間と揺らぐ心
「申し訳ございません」
「どういう事だ。まさか、会わせられぬような事をしているのではあるまいな」
「とんでもございません。リリー様ご自身が、今はお会いしたくないと……」
「会いたくない……そんなはずは……」
巫女の冷たい瞳に、思わず言い淀んでしまう。
深夜、約束通りバッカスはリリーの元へ足を運んだ。
しかし、会う事はできず拒絶されてしまった。
浄めの儀式がない深夜のわずかな時間であれば、面会自体は認められている。
「会いたくない……か……」
本心かわからない、その言葉だけを噛み締めて、自分の寝所へと……帰るしかなかった。
その頃、リリーは。
「リリー様、もうお止めに」
「いいえ、まだ……」
声を震わせながらも立ち上がると、大きな甕に並々と水が注がれる。
リリーはそれを高々と、天に掲げた。
「また揺れたわ」
カメリアがそう言うと、侍女がリリーに鞭を打つ。
声も上げず歯を食いしばって、リリーはそれに耐え続ける。
湯浴みを終え聖衣に変えてからもう8時間……何度も失敗しては繰り返し、カメリア主導で儀式の練習をしていた。
「また……」
ビシンッッ!!
鞭がリリーのふくらはぎを打ち、聖衣は血に染まっている。
これが会えない理由……リリーはもう、何時間経ったかさえわかっていない。
ただ重い水甕を細い腕で揺らさないよう持ち続ける。寸分の揺らぎも許されない……カメリアは部屋の隅で椅子に座り、リリーを監視している。
「揺れたわ」
ビシィィンッッ!!
「うっっ……」
痛烈な一撃に耐えきれず、リリーが大きく体勢を崩す。甕は何とか受け止めたものの、水を被り転んでしまった。
「はぁ……」
「申し訳ございません。もう一度」
「もう止めなさいな、時間の無駄よ」
立ち上がるカメリア。満身創痍のリリーに冷たい言葉を上から浴びせる。
「貴女のような無能に付き合うほど、私達は暇ではないの」
リリー付きの巫女に見張っておくように告げると、カメリアは他の巫女達を連れて部屋を出ていった。
もう一度……立ち上がり甕に水を張るリリー。
くすくすと、去り際に響く笑い声も無視して、ただ無の表情で甕を持ち上げ、天に掲げる。
リリーは知らなかった。
これはカメリアの嫌がらせ……わざとリリーだけ重い土器の水甕を使わせ、持ち上げられるはずのない物を掲げさせ、重さに耐えかね揺れる度に鞭を打って楽しんでいたのだ。
“妃の器でもないくせに”
“皇太子の足手まとい”
と罵られ、カメリアが一度で成功する姿を見せられて──もちろん、カメリアは本来用いられる祭祀用の軽い甕を使ったのだけれど。
そうして……やり遂げなければならない状況を、作り上げられてしまったのだ。
洗礼──それで済ませるにはあまりに暴力的で、陰湿な物だった。
1日目、2日目と……リリーは目に見えて衰弱していく。食事もカメリアがあまり食べないので自分だけそれ以上、食べるわけにもいかず。3日目からはアザミの代役で来た妾も加わって……彼女も一度で成功した為、リリーは更に追い込まれた。
「妾でも出来るのに、あんな御方が皇太子妃様ですって」
「当日失敗すると凶事が起こるそうよ」
「まぁ、怖いわ」
「あの方のせいで……」
「どうせすぐにすげ替えられるわ、代わりはいくらでもいるんですもの」
「皇太子様もあんな方にご執心だなんて……」
「同情なさってるのよ」
「そうよ、もっとふさわしい方がいらっしゃるはずだわ」
外界から隔離された環境で5日間、リリーは徹底的にいびられ続けた。
「…………」
笑顔も、柔らかな声もどこかへ消え、表情は虚ろに。
「随分弱いのね。そうして無様な姿を晒して同情を引くなんて……見苦しいこと」
最後はカメリアに言い捨てられて……リリーが眠れたのは移動日の前夜、ただ一晩だけだった。
(そうね……同情されているだけ……)
虐げられる事には慣れている……いつの間にか痛みも感じなくなった。
それでも……ただひとつ、愛を失う事だけが恐怖で。
(その時は静かに……)
去る姿を思い浮かべながら、そっと目を閉じた。




