37.薔薇に呼ばれて
「いってらっしゃいませ」
翌朝、皆に見送られて慌ただしくレイナードへ向かった。ラクダに乗って砂漠を越えて、領地付近で籠に乗り換える。
「リリー様、大丈夫ですか」
外からエランが声を掛けてくれる。
「えぇ、大丈夫よ」
想像以上に、何も感じない自分がそこにいた。
「命に代えても御守りします。貴女に手出しはさせない……と、バッカス様と約束してきましたからね」
「ありがとう」
もし万一、私の身に何かあってもエランやお供の者達に何かある事はないだろう。
ローズの狙いは私だけ。
「それより……手紙のことお願いね」
敗れても心残りはない。
ある日突然、この人生が終わったとしても。
「渡しませんよ。貴女を死なせたりしません」
「ここより、レイナードの領地にございます」
エランの言葉に重なるように、最前列が領地入りを告げた。
全てが滞りなく、平和に進んでいた。
予定通り宮殿に到着し、歓迎の式典に国王様から預かった親書を渡し……レイナード建国100周年の行事に国賓として参列する。
一日目の日程は隣国の皇太子妃として、慌ただしく過ぎていく。
式典にランスやローズの姿はなく、大公爵家として活躍しているはずの父の姿も見当たらない。
「奴等ならおらん。明日の夜会の準備に専念させた」
式典の最後、軍の行進を見ていると音に紛れて皇帝が呟く。
周りに気取られぬよう、こちらは見ずに。
「そうでしたか」
一言だけ返す。
「民衆の前で騒ぎなど起こされては敵わん。婚儀の時のようにな」
婚儀にはいなかったはずの皇帝まで……それだけ噂になったのだろう。噂好きの貴族達に面白可笑しく語られて父の仕事にも影響が。
ローズがお父様に叱られる様が目に浮かぶ。そして、その怒りが私に向かぬはずはない。
「私共も、敵対は望んでいません。国王様からもそう言われてまいりました」
「フン…一介の公爵令嬢だったお前が今や隣国の皇太子妃……か。本来、立場は逆のはずだったが……あの女ではこうならなかったであろうな」
もしも立場が逆だったら……今思えばどう考えてもそうはならなかっただろう。
なぜならそれは、ローズが望まないから。
気付かなかった間抜けな私が、彼女の描いた策にハマっただけ。でも今回は、そうなるわけにはいかない。
“無事に戻れ……”
無事を心から、願ってくれる人がいるから。
数々の公式行事を滞りなく済ませ……とうとう夜会が開かれる夜がやってきた。
“これを……持って行け”
出掛ける前、バッカス様から持たされた髪飾りを手に思い出す。
“いつまで妃などと呼ぶおつもりで? ”
“よ、余計な事を。体裁があるのだ”
“今は私達だけですよ。それにリリー様がバッカス様とお呼びしているのに不自然でしょう”
“う、うるさい……妻の名など軽々しく人前で呼ぶものではない”
私を“妻”と認め、名を呼ぶ練習までしてくれていた。
「その髪飾りにされますか? 」
侍女の声で現実に戻ってくる。
「えぇ、お願いするわ」
夜会では侍女達もエランも側にはいられない。何もかも一人で解決しなければ。
“行ってまいります”
心の中でバッカス様に呟いて決戦の場へ。
「ようこそおいでくださいました」
ランスのご両親から挨拶を受け、用意された席に着く。
ざわめきと好奇の眼差し。
「国内最高級の物をご用意致しました」
冷たいスープに鴨のコンフィ、リゾットにパイの包みなど懐かしい料理が並ぶけれど……どれも色褪せて、過去の景色のように見える。
どれも、今の私の身体には合わない物。
料理や楽団の説明を聞きながら、我ながら狭い世界にいたのだと感じる。私もあのまま結婚していたら……この世界に引きずり込まれていたのだろう。
「私共も息子夫婦も皇太子妃には誠に申し訳ない事をと猛省しております。この国での事も、婚儀での事も深くお詫び致します。ランス、早く来なさい」
おずおずと現れた彼もローズと同じようにご両親に叱られたのだろう。
「ローズは。連れてこなかったのか」
「ロ、ローズ、早く来いって。言い出したのお前だろ」
そして……ローズが現れた。
ゆったりと、あの頃より控えめなドレスに身を包んだローズが肩を震わせて登場する。
「わ…わかってはいるのです……お詫びしなければと……」
さっとランスの影に身を隠して。
「ですが……昔からずっと、恐ろしいお姉様だったのです……殴られたり、水を掛けられて怒鳴られ続け……そのお姉様がさらに力をつけ皇太子妃にまでなられたら……きっと……殺されてしまう……」
震えているのに、なぜかはっきりと響く声。
貴族の視線が、異常に怯えるローズと私に集まった。




