36.夫婦ですから…
「バッカス様……これは……」
バッカス様に連れられて部屋に入ると、そこには見違えたような光景が広がっていた。
「あまりに殺風景だったからな……気に入らなければ」
「とても素敵です……全部、バッカス様が選んでくださったのですか? 」
「あぁ……祖国の雰囲気に近づけようとしたのだが、木製のインテリアは気候に合わぬと商人に言われて、それなりにな」
白く無機質だった部屋はいつの間にか飾られ、温かみのある部屋へ。ゆったりとくつろげるようにソファーやティーセットを収納する飾り棚まで用意されている。
「夢のようなお部屋ですね」
「……気に入ったならそれでいい」
「あの……」
「どうした」
「とても嬉しいです。ですが、私ばかりこのような贅沢をしてしまっては……」
「実は婚儀の後、それなりに予算をもらっていた。慌ただしく、その事を伝える間もなかったが……この程度、贅沢と言うほどの事でもない」
彼はそう言うけれど、部屋を飾る調度品は間違いなくどれも高級品で、人質と言うにはもったいなさすぎる程の暮らし。
侍女は優しく、食事も暖かな部屋で心地よく眠る環境も、エランを呼んでくれた事も。
(私は……どれほどの安らぎと幸せを……与えてもらっているのだろう)
「バッカス様……」
「あぁ」
「ありがとうございます。私は、もう充分すぎる程の幸せをもらっています……」
「酷い目に遭ったのだからな……まだまだこんな物ではない」
(きっと、塔での暮らしやあの報告書を読んで……哀れに思ってくださったのね)
当たり前なのに、なぜか胸がツンと痛む。
「装飾は季節ごとに変えるものらしい。次からは好きなように選ぶといい」
(行ってしまう……)
「どうした」
「あ……いえ、その……」
「寝所がまだだったな、見てみるか」
「はい……」
彼の少し後ろを歩いて寝所に。
そこには天蓋付きの大きなベッドが。美しい刺繍の入ったレースに囲われている。
「何もかも急ごしらえだったからな……少しは寝心地も良くなるだろう」
私だけ……大人四人は眠れそうなほど広いベッドを、ずっと私だけ占領し続けるのだろうか。
「バッカス様は……これからも書庫でお眠りに? 」
ずっと、聞きたくて聞けなかった事を口に出してしまう。
「すみません……ですが、書庫ではバッカス様のお疲れが癒えないかと……」
「無理やり嫁がされたのだ」
「え……」
「共寝まで強要したくない」
私を気遣って……その優しさがじんわりと胸に沁みてくる。
「私は……もう気にしておりません」
顔を背けるバッカス様を見て思う。今なら飾らない心の内を告げられるかもしれない。
「確かに……この結婚は、自ら望んだ物ではありません。ですが、こんなにも大切に、御心を砕いていただき……日々、幸せを感じております。バッカス様さえお嫌でなければ」
「構わぬと言うのか」
私が書庫で……そんな言葉は遮られ、強い眼差しが私を見つめる。
「夫婦……ですから」
微笑んだその時。
「皇太子妃様、お迎えに上がりました」
聞き慣れない声が外から聞こえてくる。
「皇太子妃様、王宮殿にて国王様がお呼びでございます」
視線が外れ、二人の時間が終わりを告げる。王宮殿に行くしかなかった。
「なぜお前までいる」
辿り着いた王宮殿の議場。かつてバッカス様との結婚を告げられた時と同じく、背を向けた玉座の向こうから国王様の声がする。
「……こんな時間に何の用だ」
「お前が口を聞くとは。十年ぶりだな」
溝を感じさせる親子の会話。バッカス様はそれきり黙り、声を発しない。
「まぁ、いい。レイナードより二日後の建国記念行事に皇太子妃を国賓として招きたいとの申出があった。急ではあるが出席するように」
「……かしこまりました」
「行く必要などない」
「お前は黙っていろ。これは国王としての命令だ。念の為、言っておくが皇太子の帯同は許可しない。政務に専念しろ」
あまりの威厳にそれ以上何も言えず、急遽レイナード行きが決まった。
その夜──
浅い眠りから目覚めると、レースの向こうから呟きが。
揺らめく影は、今朝私が飾った花を手に何か……。
「リ…………はぁ……なぜ呼べぬ……」
レースの隙間から覗くと、小麦色の肌、バッカス様の輪郭が。
「無事に帰れ、リ……リ、リリー……」
悩ましげに頭を抱える姿、音を立てぬようレースを閉じる。
(名を呼ぶ練習……でもバッカス様に訛りはない……)
リリー、彼の声で呼ばれたその名が頭から離れなくて、その夜は眠れなかった。




