33.蘇る記憶
リリーはバッカスの手で寝所に運ばれ、すぐさま王宮殿の医官が派遣された。
「これ以上、診ないとは。どういう事だ」
「申し訳ございません、皇太子様。この国では、男性医官による女性の診察は固く禁じられておるのです。出来るのは脈診まででして」
「そんな事を言っている場合か! 」
声を荒げるバッカスに侍女も医官も驚き、恐れおののく。
冷酷と噂のバッカス、目下の者に冷たい対応をする事はあっても感情を露わにする所など、誰も見たことがなかったからだ。
「そう仰られましても現在、国内にいる女医は二人。どちらも既にお后様方についてお里帰りされておりますので、現在王宮には居ないのです。見たところ、過労と貧血のようですし、安静になさっていれば」
「もし何かあれば責任を取る……その覚悟があって言っているのであろうな」
「こ、皇太子様…何卒……何卒ご容赦を……」
凄むバッカスにうろたえ、怯えて震えあがる医官。朦朧とする意識の中、やり取りを聞いていたリリーがバッカスに、弱々しい手を差し出して止める。
「でん……か……」
「まだ喋るでない」
「大丈夫です……私なら……寝ていれば治ります……」
確かに、リリーは疲れ果てていた。でもそれだけでこんなに朦朧とするだろうか……そんな雰囲気が漂う中、一人の侍女が声をあげた。
「医官様、緊急であるからと国王様に診察のお許しをいただいてきてくださいませ。どうか……私達からもお願い致します」
「国王様に……」
「そんな事で…お手を煩わせるわけには……私なら…大丈夫です」
その言葉に、バッカスは目を見開いた。
驚いて硬直している間にリリーは、医官にお礼を言って帰してしまう。
「殿下も…お仕事にお戻りに……」
「仕事などどうでもよい」
その時、扉の外から声が聞こえた。
「皇太子様、皆様が議場にてお待ちでございます」
聞き慣れぬ声は王宮殿からの使い。
今日は皇太子になって初めての定例会議、出なければ間違いなく問題になるだろう。
「さぁ……」
「だめだ、まともな診察もなく治るわけがない。もし大病でも隠れていたらどうするつもりだ」
「ご心配なさらず……元々の体質なのです」
「そんな事あいつは一言も……」
「殿下……? 」
政務も、弱々しいリリーの表情も……何もかもがバッカスにとって苦しいことだった。
「どこにも行かぬ」
そんな事できるはずないと分かっていても、聞き分けのない子供のように。
リリーはそっと微笑んでバッカスを送り出す。
「皆も……ついていてくれますから」
「皇太子様、お急ぎくださいますようお願い申し上げます」
行かないわけには、いかなかった。
「なるべく……早く戻る」
バッカスは、リリーを置いて議場に向かう。
こうして父親も母を置いて仕事に行き、母を死なせたのだ。あの日も同じように母は診察を受けられず……診察していれば気付けたはず。
“お父様、お願いします。お父様!! ”
幼きあの日、どれだけ泣きじゃくって頼んでも、父は聞いてくれなかった。
母を見殺しに……そして自分を宮殿から追い出した。
その方が都合が良かったのだろう。あの国王は、家族より……国王でいる事を選んだ。
「皇太子妃付きの女医は、なぜ探さぬのだ」
「一度、内定したのですが裏で手を引く者がおり、採用致しませんでした」
「あの女か」
「えぇ、薔薇には棘があると言いますが、予想以上に執念深い棘のようです」
「厄介だな……妃には知らせるな。傷つけたくない」
「かしこまりました」
歩きながらバッカスは考える。
まだ顔を合わせていないとは言え、兄の后達も彼女を歓迎はしないだろう。彼女達に付く女医になど任せられない。
しかし、新たに雇えば輩を自ら招き入れるようなもの……女医自体、国内に10人もいないとなれば、新たに腕利きの者を探すのは無理だろう。
定例会議の間も、その後の政務の場でも……仕事をこなしつつ、バッカスの思考はリリーの医師選びの事でいっぱいだった。
そうしていつもより早く、日が暮れる頃にバッカスが戻ると。
「何をしている」
「バッカス様、おかえりなさいませ」
暮れなずむ夕日に照らされて、リリーは本を読んでいた。
「なぜ休んでいなかった」
「ご心配お掛けして申し訳ありません。もう、良くなりましたわ」
手元にあるのは一族史の書、息抜きに読書を楽しんでいたわけではないようだ。
「同じ轍は踏まぬ……」
「バッカス様? 」
その痩せた頬を幸せで満たす、バッカスは決意した。
「食事は部屋に運ぶよう言ってある。滋養ある物を頼んでおいた」
「ありがとうございます」
その夜は自ら見張りをして、リリーを寝かせると。
「あいつを呼べ」
と指示を出した。




