31.疲れた夜に見る月は
バッカス即位の報せは反発を呼び、宮殿内を二分する騒ぎとなった。
「王の座は代々、長子が継ぐべきもの。国法を軽視してはなりませぬ」
「第二、第三皇子様ご不在の即位式など無効でございます! お考え直しください」
結託する第二、第三皇子の派閥は当然反発。国王派閥の大臣は第二、第三皇子のこれまでの悪行を述べ、彼等は王に相応しくないと言い争っている。
今日は玉座側から、国王と共にそれを聞くバッカス。
「ここがお前の戦場だ」
「…………」
重鎮だが総じて老齢の国王派閥に、少数ながら武力を握る第二皇子派と、既に子がおり安泰だとして最も支持者が多い第三皇子の派閥……ここに、バッカスを慕う者は誰一人いない。
「どうするかはお前次第。しかし、負ければお前と妃の命はない」
それだけバッカスに言うと、国王は右手を掲げた。
それだけで、皆が一斉に沈黙する。
「決定事項だ、論ずる余地はない」
「ですが王様」
「公平に選挙で」
「世継ぎとして力量を測るだけのこと。いちいち騒ぎ立てるな」
静かで深いその威厳と迫力に、騒ぎ始めた議場は再び静まった。
「どの皇子につこうと、結果を出さぬ者はいらん。明日もここにいたければ、今何をすべきか見極める事だ」
それ以上、不平を言う者はなかった。
話題は政務の話に移り、バッカスの闘いが始まった。
そしてリリーも、王宮殿の侍女達による本格的な妃教育が始まっていた。
「もう少し、そう、顔を上げて勇ましくお立ちください」
「はい」
「ではそのまま歩いて……違います。もっと大股で、今より半歩は大きく歩いてください」
もう公爵令嬢ではない。
慣れない妃としての作法に苦戦、ティアラを載せて歩くだけで、教育係の侍女長から指摘の雨が降る。
強く勇ましく威風堂々と……新たに教えられるそれは、公爵令嬢として身に着けてきた、音を立てず淑やかに控えるという教えとは正反対で。
祖国では慎ましく控えめな女性が求められていたのに対し、この国では堂々と勇ましい女性が好まれる……二つの国の価値観はまるで真逆だった。
「今夜のメインは舌平目のソテーにございます」
「ありがとう」
「だめです、お礼など言ってはなりません」
夕食時、バッカスと食事をしていたリリーはつい、いつもの通り給仕の者にお礼を言ってしまい、見ていた侍女長にぴしゃりと注意を。
「申し訳ありません」
「それも違います。私は教育係ですが目下の者。わかった、それだけでいいのです」
「おい」
たまりかねたバッカスが講師を睨む。
「これでは落ち着いて食事もできん。普段の食事まで見張るとは厳しすぎるぞ」
「申し訳ございません、ですがこれも王命によるもの。皇太子様は口をお出しになりませんよう」
「殿下、私は大丈夫でございます。お食事を遮ってしまい申し訳ありません」
微笑むリリー。
その顔は心なしか疲れて見えるが、王命と言われればバッカスも口出しできず、ただ見守るしかなかった。
「エスペランサ共同主義国は五の小国が連合を組んで成立した共同体で、近隣の17支族と同盟を結び貿易、軍事共に協力関係を結んでいる。その元祖となるゴールディ王朝は祖をラファエル・レイ・ゴールディと言い……」
夜が更けて、朝に少しずつ近づいてもまだリリーは本を読み、座学に励んでいた。
そこへ、政務を終えて疲れたバッカスが王宮殿から戻ってくる。
「まだ起きていたのか」
「バッカス様、おかえりなさいませ」
「あぁ……」
顔を上げて微笑むリリーにバッカスも微笑みを。
「疲れたな……」
「慣れないお仕事で大変でしょう」
「妃も、こんな時間まで勉強か」
「えぇ、一族史を覚えていたのです」
「大変だな……」
テーブルに目をやると、大判の本が一冊と厚みのある古びた本が二冊。名前だけ暗記するのではなく、自ら学びを深め、歴史上の出来事まで照らし合わせて理解しようとしている事に、バッカスは気付いた。
「外してくれ」
バッカスは、部屋の隅に控えている侍女に声を掛ける。
「ですが……」
「二人だけにしてくれ、意味はわかるな」
「は、はい……失礼致します」
侍女は頬を染め、あくせくと部屋を出て行った。
バッカスは、もう一度リリーを見つめると一歩、距離を詰める。
「月を見るか。今夜は暖かい」
「……はい」
バッカスはリリーを連れてテラスに出た。外は暖かい風が、ふわりと疲れた身体を包み込む。
「こんな所があったのですね」
「あぁ……」
まだ明け始める前の藍色の空に丸い月が輝いていた。バッカスは無言のまま、リリーを伴って窓際に腰掛ける。
互いの疲れを労うように、ただ黙って月を眺める時。
「変わらずとも良い……」
先に口を開いたのはバッカスだった。




