20.星のシャワー
それ以来、長かった一日は半分くらいの長さに、疲労は今までの三倍感じるようになった。
頼み込んで、水汲みや掃除など単純な仕事からさせてもらうようになったけれど、長い石造りの階段を登ったり降りたりするだけでも息が切れて膝がきしむ。
寝たきり生活のせいで体力は極限まで衰えていて身体はまともに動いてくれず、一日が終わる頃にはベッドに倒れ込んでそのまま寝てしまうような日々が続いていた。
そんな生活も、五日目が過ぎた頃。
キィ……
真夜中、物音で目が覚めた。
まどろみの中、眠りに引きずり込まれそうになりながら神経を研ぎ澄ます。
足音はほとんどない。でも誰かが鍵を開け入ってきたのは確かで、わずかに開けた瞼の隙間から、ぼんやり見える白い背中。
「誰……」
「起こしてしまいましたか」
エランの声。
起き上がると自然な仕草で肩に上着を掛けてくれる。
「もう大丈夫なの? 」
「えぇ、ご心配をお掛けしました」
「そう、よかった。でもなぜこんな夜更けに……診察ならもう」
「実は、リリー様をお連れしたい場所があるのですが、来ていただけませんか」
「今から? 」
「はい」
そう言うとエランは突然、私を抱き上げた。
「どうか今夜だけ……御無礼を、お許しください」
「え……」
包みこまれるような感覚と共に部屋を出て進み、石段を登っていく。
どこに、連れて行かれるのだろう。
「着きました」
「わ……」
柔らかい敷物の上に置かれた瞬間、世界がひらけ、思わず感嘆の言葉が漏れる。
眼前に広がるのは紫の夜空、瞬く星がシャワーのように降り注いで。
言葉なんて、出てこなかった。
息を飲むほどの美しさ、とはこういう事を言うのかも……ただ圧倒的に広く、大きく、美しい夜空に自分ごと飲み込まれて溶けてしまいそうに。
「首が痛くなりますから…どうぞ」
いつの間に用意されていたのか、横たわるとクッションとブランケットの柔らかい心地がして。
エランと二人、横たわって星を眺める。
「これを……私に見せようと? 」
「はい。どうしても、リリー様に御礼をしたくなったのです」
「御礼だなんて……」
「聞きました。倒れた私の看病をしてくださった事も、そのお身体で水汲みや掃除などしてくださった事も」
「でも、何の役にも立たなかったわ。何も……できなかった。気付かされたわ。公爵令嬢だなんて言って、立派になったつもりでいたけれど、結局してもらう事に慣れすぎて自分では何も出来ない人間になっていたのね」
返事はなかった。
エランも、私も、控えめになってきた星のシャワーを眺めて、静かな時間が流れていく。
「そんな事より、もう寝ずに調べ物をして体調崩すなんて事しないで。私ならもう、充分してもらったわ」
「なぜそれを……? 」
「あなたが言っていたわ。三日か五日ほど寝てないって。薬草について、調べてくれていたんでしょう? 」
「そんな事まで言ってしまっていたのですね……それはお恥ずかしい……」
本当に恥ずかしそうに焦る表情がちょっと面白いし、何なら耳も赤らんでいるように見えて、何だか可愛く見えてしまう。
ついさっきまで、完全無欠で優秀で、人の気持ちのわからないお医者様だと思っていたのに。
「ふふ……」
この人も、人間なのだと思ってしまった。
「美しいですね……」
「えぇ……美しい星空……」
「ご覧になるのは初めてですか? 」
「えぇ……夜に空を眺めるなんて、あまりなかったから」
さりげなく嘘をついた。
ランスと眺めたあの星空を、思い出さないわけはないけれど、今はもう。
「でもどうして? 」
「何がでしょう」
「なぜここまで……私に良くしてくれるの? 」
私を見ていたエランは視線を外してまた空を見る。
「あなたは倒れる前、私の事を“護るべき大切な方”と言ったけれど、それは王命だから? 私を人質として生かす事に何か利益があるとはどうしても思えない。機密を知っているわけでもないし、私と引き換えに何かを要求したとしても……何も得られないわ」
何も言わず空を眺めて、私の言葉を聞きながら何を思っているんだろう。
「教えてほしいの。あなたのような高名なお医者様、私にはもったいないわ」
できるだけ、素直な想いを聞きたくて食い下がると。
「私は……高名な医者などではありません」
やっとエランの、声が聞こえた。




