16.失ったものは二度と……
鉄柵の外れた空は、どこまでも青く澄んでいた。
(希望なんて……そんな事言われても……)
自分が大きく抉り取られて持っていかれたような感覚が消えなくて、ぼんやりと空ばかり眺めて、日々が過ぎていく。
「驚きましたか」
背後からエランの声。
「雨が少ないのです。特にこの冬の時期は」
「ふゆ……」
寒さなんて感じないのに、いつの間にか季節は移り変わり、私とランスが婚礼を挙げるはずだった秋は行き過ぎて。
今頃はバチェット家の新しい部屋で暖炉を暖めながら、ランスの帰りを待っているはずだった。お勤めに心すり減らし帰ってくる愛しい人を癒やし、支えていく……それが私の使命だったはずなのに。
きっと……私ではなくローズが……。
「完食なされたのですね。お疲れ様でございます」
食事は大根やキャベツを煮崩した流動食から、とろみのある固形食になりつつある。
肉や野菜をペースト状にしてから固めて、本物らしく再現をする。食材自体の繊維が噛み切れず、飲み込む力の少ない高齢者に出すおなじみの介護食。前世で散々、苦労しながら作ったそれを、まさかこんな所で見かけるとは……そしてまさか、自分が食べる日が来るとは思ってもみなかった。
「手のかかる食事を、ありがとうとお伝えください」
診察を終えた様子のエランに呟く。
「ご自身でお伝えになられてはいかがでしょう。きっと喜ばれるはずですよ」
「言葉が……わかりませんから。ジェスチャーでは細かな意図まで伝わらないのです。お願いします」
「かしこまりました」
エランが軽く頭を下げたのを見届けて、軽く目を閉じた。
「もう少し回復されたら、こちらの言葉を学ばれてみてはいかがでしょう。学びは人生を深めてくれますよ」
エランの言葉を寝たふりでごまかして、足音が遠ざかっていくのを待ちわびる。
献身的な看病で命を救ってくれた方なのに申し訳ないと思いつつも、まだ前は向けそうになかった。
そうして、私はエランに心ない態度を取り続けた。
拒絶まではできなかったけれど、エランが部屋にいる間は出来るだけ寝た振りをして。
そんな自分が子供みたいで嫌になるけれど、何を拠り所にして生きればいいかわからず、人と向き合う気力も湧かない。対話を避けたい気持ちから、嫌な態度を取り続けるしかなかった。
そんな日々が続いたある日、エランが軽く身体を動かしてみましょうと言ってきた。
「右手で手すりを持って…そうです、そのまま足に力を入れて立ち上がれますか」
言われた通り右手で手すりをつかんで、ふくらはぎに力を込める。
「んっ………はぁ…はぁ…」
力が入らず支えられ、ベッドに尻もちをついてしまう。
(リハビリまで受けるなんて……おじいちゃんと同じ……)
私は自力で、立つことすら出来なくなっていた。
「ごめんなさい……」
「いえ、こちらこそご無理を言って申し訳ありません。きっと筋肉が硬直しているせいでしょう。彼女達に、マッサージを頼んでおきますね」
苦しい、でもやりたくないとは言えない。
これは私の為だけじゃないから。
このままだと、やっとできるようになった寝返りもまたできなくなり、排泄も自力で制御できなくなって最終的には垂れ流し状態。私じゃなくて介護する側の負担が増える。
わかっている。
でも既に力は入らない。
生きる気力を失えば若者も老人に……人は一気に年を取る。もう髪もあの頃の艶や色は失せ、老婆のように枯れてしまった。
失ったものが、もう二度と戻ってくることはない。
元の私に、戻る事はできない。




