第6章 神のいない夜
「神がいないなら、すべては許される。そして、許された世界は、ひどく退屈だった。」——リオ
【前回のあらすじ】 美貌、財力、完璧な笑顔。それでも、リオの心は何ひとつ動かない。退屈しのぎに、人の人生をちょっとだけ、歪めてみたくなった。
数日後の深夜、リオはひとりで、アオイの部屋を訪れた。
誰にも告げず、扉を静かに閉める。アオイは座布団の上で、いつものように目を閉じていた。
「あなたの中だけは、静かすぎて聞こえないの」
アオイが言った。
「みんなの心は、水のように流れ込んでくる。でも、あなたの内側には何もない。深い井戸みたいに、音が落ちていかない」
「ただ、不思議なの。何も聞こえないのに、あなたの前に座ると、私の声だけが、ぴたりと収まる気がして」
「それは褒め言葉?」
「分からないわ。だからここに来たのでしょう」
リオは向かいに座り、白い壁を見上げた。
「あなたは、神の声が聞こえると言うわね」
「ええ。ざわめきの向こうに、何かがいる。人の意識が集まって、ひとつの巨大な響きになっていく。私はそれを神と呼んでいる」
「神がいるなら、どうして人は、あんなに誰かに縋るのかしら」
「神が遠いからよ。肉体という檻が、声を遮っているから」
リオは微笑んだ。
「私は反対のことを考えているの。神なんていない。だから、すべてが許されている。そう思って試してきたのよ。嘘も、裏切りも、誰かの破滅も」
「それで、何が分かったの」
「何も」
リオの声は、凪いでいた。
「許されているなら、何かが解放されるはずでしょう。でも、何も動かなかった。罪悪感も、快感も、恐怖も。自由は、ただの退屈だった」
アオイは目を開き、リオをまっすぐ見た。
「それを空っぽというのよ」
「そうかもしれない」
「でも、私は、あなたを美しいと思う。何も持たずに立っていられる人間は、神に一番近いわ」
「それにね、闇は光の不在ではないのよ。光が眠る場所なの。あなたの空っぽも、きっとそう」
「あなたは、近づくために死ぬのね」
リオの言葉に、アオイは驚かなかった。
「神がいないなら、自分が神になるしかない。そして神になる唯一の証明は、自分の死を、自分の意志で選ぶこと。それだけが、人間に許された完全な自由よ そして人間が唯一できる神の超越なの。」
「怖くはないの」
「怖いわ。だから、証明になるの」
「人間をやめる唯一の方法は、人間として死ぬことなの。だから私は、生きているうちに、できるだけ人間らしく怖がっておくわ」
長い沈黙のあと、リオは静かに言った。
「その最期を、私が見届けましょう」
アオイの顔に、はじめて少女のような笑みが浮かんだ。
「ありがとう。それが、私にとって唯一の友情よ」
リオは立ち上がった。扉の前で、一度だけ振り返る。
「あなたが神になったとき、私の退屈は、少しは救われるかしら」
アオイは答えなかった。ただ、聞こえない声に耳を澄ますように、目を閉じた。




