第三十四話 閉じたあとの水
山が終わっても、中庭の殻は濡れなかった。
濡れない円筒の前で、倒れた数が帳面の右端を埋めていく。埋めた数字を、ミレイユが医の顔で区切る。区切った先に、薬はない。ないまま、日陰の人数だけが増える。増えた列を、アリアが槍の石突きで導く。導く声が、渇きで掠れている。
「影は動かない。動かないなら、石垣は全員下ろす。下ろした喉を、裏の壁の影へ。影に水はない。ないことを、先に言え」
先に言え。セレナが防の完了記録を二部に分けた。一部は防衛卿の机。一部は医箱の底。底の写しが、臨検の外の保管を続ける。続けた紙に、本印はない。ない紙が、閉じた山のあとも物証の棚を支える。
リリアは川床から中庭へ戻った。戻った胴衣が、塩と砂と黒い滲みの匂いを帯びたまま貼りついている。貼りついた旗を、渇いた廊下が見る。見る視線に、凱旋はない。ない終わり方を、彼女は剣の届く距離でトオルにだけ言った。
「山は閉じた。閉じたあとに残るのは、空の井戸と、棚の紙と、平原の机だ。机を呼ぶな。呼ぶと、保護が先に走る。先に走った手続きが、この記録を内側の話にする」
内側の話。キリカが本数の帳を脇に抱え、門の外を見た。見た位置に、外套の男はもういない。いない土に、折れた杭の欠片だけが残っている。残った欠片を、彼女は蹴らない。
「手は下がった。下がった先は平原だ。平原の机が、次の水を配る側に回る。回る水は、救済の顔をする。顔をした車が門に着く前に、棚を固定したままにしろ。固定した紙が、第二の山の起点になる」
起点。トオルは空の袋を畳んで、備品棚の端に置いた。置いた布に水の跡はない。ない跡を、家なしの仕事の終わりとして残す。残した横で、彼は円筒の底を一度だけ見た。見た殻が、第一の山のあいだ一度も戻らなかったことを、数字で確認する。
「涵養は切れたままです。切れたまま門を開ければ、外の水が入る。入った水は、一日分にも足りない量でも、本印の代わりになる。代わりにしないなら、別の水源が要ります」
別の水源。学院の地下にも、暗渠の先にも、すぐ使える水はない。ないことを、クラッドが乾いた唇で拾った。香水は消えている。消えた口が、右隣のつもりで塩の旗を見る。
「別の水源はない。ない学院に、外の車は半日で戻れる。戻れる慈悲を、閉じた記録で拒めば、倒れる数字が先に旗を折る。折れた旗に、第二の山は来ない。来るのは、保護の予備だけだ」
予備。防衛卿が扉の内側から短く応じた。応じた眉は動かない。動かない作法が、閉じた山のあとも空白を守る。
「門は閉じたまま。閉じたまま、倒れた者を日陰へ移せ。移した先の水は、今日は出ない。出ないあいだ、棚の紙を交易の慈悲に渡すな。渡さないことが、第二の所管の準備だ」
準備。神官正が空の縁で手を合わせる。合わせた手の下で、殻は殻のままだ。殻を、彼は試しの終わりと呼ぶ。呼び方を、防の完了の一行が、誘導の破壊と埋没の語で押し返す。押し返した紙の上で、誰も魔王とは呼ばない。呼ばない沈黙が、渇いた中庭に落ちる。落ちた沈黙の向こうで、平原の机が次の車の手配を始めていることを、キリカだけが本数の感触で知っていた。知った手を、彼女は名にしない。しないことが、第二部の入り口をまだ閉ざしている。
リリアが細身を、ようやく鞘に戻した。戻した柄の横で、金髪の塩が白い。白い旗が、第一の山を斬り殺しではなく記録で閉じた。閉じたあとの中庭に、水はない。ないまま、棚の紙だけが本印のない証拠として残る。残った紙の上で、黒運河の手は平原へ下がり、土の中の影は静止し、学院の喉は震え続けている。震えの先に、第二の山がまだ名前を持たないで待っている。
――第三十四話 了――




