第三十三話 山の終わり
静止が半刻続いたとき、石垣の上で初めて肩が落ちた。
落ちたのは緊張だけだ。袋は戻らない。戻らない喉のまま、トオルが川床の縁で尾の振幅を最後に読んだ。読んだ数字は、ほぼゼロだった。
「動いていません。四脚とも土の中。傷の周りは乾いて固い。固いあいだ、抜け出しの力は出ていない。出ていないことを、防の結果として確定できます」
確定。セレナが記録の末尾に一行を足す。足した字は、緊急の視認固定を「誘導路の破壊および対象の埋没による防の完了」とする。完了に、斬殺の語はない。ない括りを、防衛卿は蠟に触れずに受け取った。触れない指が、第一の山を閉じる。
「ドラゴンスレイヤーズの所管は、ここで区切る。区切った記録に、本印は重ねない。重ねないあいだ、外の水は外の在庫だ。在庫を、閉じた門は受け取らない」
受け取らない。門の外で、外套の男がもう半歩下がった。下がった顔は、成体を失った手の顔だ。失った目が、石垣の金髪を最後に一度だけ測る。測る仕事が、旗局の命令の残りとして風に溶ける。溶けたあとに杭は出ない。出ない杭が、黒運河の現場からの撤退だった。
リリアは細身を鞘に戻さなかった。戻さない柄が、川床の砂に刺さったままだ。刺さった位置の横で、金髪の塩が風に白い。白い旗を、静止した影は見ない。見ないことが、見るな、の命令の失敗として土に残る。残った失敗を、彼女は嫌いだ、の声で呼ばなかった。呼ばない代わりに、剣の届く距離にトオルを見た。
「山は終わった。終わった山は、斬り殺しではない。ではない記録が、棚にある。ある紙が、空の犯人役を机に渡さない。渡さないまま、袋は切れ、門は閉じ、影は土の中だ」
土の中。キリカが本数の帳を閉じた。閉じた手が、初めて杭の列ではなく、平原の方向を示す。
「手は下がった。下がった手は、消えていない。消えていない机が、次の水を配る側に回る。回る前に、名前はまだ呼ばない。呼ばないことが、第二の山を遅らせる」
遅らせる。アリアが槍を担ぎ直し、倒れた生徒の側へ歩く。歩く赤髪が粉で白く、声が渇きで割れる。
「影は動かない。動かないなら、石垣は下ろせる。下ろした人間を、日陰へ。日陰に水はない。ないまま、数字だけを残せ」
数字。ミレイユが倒れた人数を、医の顔で帳面へ渡す。渡した数字が、防の犠牲ではなく渇きの記録になる。記録の横で、神官正が空の縁に手を置く。置いた手の下で、円筒は殻のままだ。殻を、彼は試しの終わりと呼ぶ。呼び方を、防の完了の一行が、誘導の破壊と埋没の語で押し返す。押し返した紙の上で、クラッドが乾いた唇を開く。
「山を閉じても、喉は閉じない。閉じない学院に、外の車はまだ待っている。待っている慈悲を、空白で拒み続けた先に何がある」
「第二の山がある」リリアが短く返した。返す声が、息だけに近い。「第二の山は、土の中の影ではない。影を導いた机だ。机を、今日は呼ばない。呼ばないあいだ、門は閉じ、記録は本印なしで残る」
残る。トオルは空の袋を畳んで、剣の届く距離に置いた。置いた布に、水の跡はない。ない跡を、家なしの仕事の終わりとして床に残す。残した横で、影の尾が風にも揺れない。揺れない成体が、第一部のドラゴンスレイヤーズの山を、水の尽きた中庭で閉じている。閉じた山の外で、黒運河の手は半歩下がり、本印は引き出しの中で眠り、誰も魔王とは呼ばない。呼ばない沈黙が、静止した土と、渇いた喉と、閉じた記録のあいだに落ちる。落ちた沈黙の上で、第一の山は終わった。終わったあとに残るのは、空の井戸と、棚の紙と、平原の机だけだ。
――第三十三話 了――




