第三十話 渇きの固定
袋が切れてから、中庭の音が変わった。
変わったのは影の呼吸ではない。射手の唇が、矢を番える前に一度閉じる音だ。閉じた喉に、次の一口はない。ないまま、石垣の上で射線だけが残っている。残った射線を、セレナが帳面の端で支えている。支えている指が、砂で白い。
「埋没は持っている」トオルが川床の足幅を読んで言った。言う声も、すでに乾いている。「四脚とも土の中です。尾は小さい。小さい揺れは、抜け出しの予兆ではない。予兆なら、後脚が先に効きます。効いていない」
効いていない。キリカが柱から半歩出て、影の肩の沈みを見た。見た目が、杭を数える目のまま現場を測る。
「机は待っている。待っているあいだ、影は防の結果だ。結果を、空の犯人にしない紙が棚にある。ある紙を、喉が震える前に空白の横へ置け」
置け。リリアは川床の光の中から、石垣の陰へ戻らなかった。戻らない旗の胴衣が、Sweat の塩で白く張りついている。張りついた背中を、動けない影がまだ見る対象のまま睨んでいる。睨んでいる限り、再捕捉の線は生きている。生きている線を、彼女は細身の位置で支えた。
「固定する」短い声。「矢は温存。温存のあいだ、旗は動かない。動かない旗が、鼻の軸をここに鎖す。鎖したあいだに、棚を父上の机へ運べ」
運ぶ。セレナが帳面と写しを抱えて、防衛卿の扉へ向かう。向かう足は走らない。走ると、渇きが先に見える。見える前に、紙だけが空白の前へ着く。着いた棚の中身を、防衛卿は眉を動かさずに受け取った。受け取った指が、蠟には触れない。触れない決断が、袋の切れたあとの空白だった。
「緊急は継続する。継続のあいだ、本印は出さない。出さないあいだ、埋まった影は防の結果だ。結果を、交易の慈悲に渡すな」
渡すな。扉の外で、クラッドが香水を薄く残した。残した口が、右隣のつもりでリリアの塩の旗を見る。見る旗に、水の光はない。ない乾きを、彼は慈悲の翻訳へ載せる。
「袋が切れた。切れた学院に、影はまだ生きている。生きている影を、空の犯人にすれば、外の水が門を開ける。開ける印を、空白でいつまで拒む」
「拒む」リリアが石垣の上から返した。返す声が、渇きでかすれている。「拒んだあいだ、門は閉じたまま。閉じた門の外の客は、客のまま。客の慈悲を、内側の喉は待たない。待たない代わりに、影をここに固定する」
固定。アリアが槍を土に突き、影の前脚の沈みを監視する。監視する赤髪が、Sweat の代わりに乾いた粉を帯びている。帯びた顔が、短い報告を落とす。
「動いていない。動いていない。甘い臭いは土に吸われたまま。吸われたままなら、石垣の肺は持つ。持つあいだに、下級生の喉を日陰へ移せ」
移せ。ミレイユが医箱を抱えたまま、倒れる前の生徒を階段の裏へ誘導する。誘導する手に、水はない。ない手で、彼女は呼吸の回数だけを数える。数えた回数が、防の限界の時計になる。
門の外で、外套の男が笑わなかった。
笑わない顔が、初めて成体の埋没を日程の失敗として処理している。処理した目が、石垣の金髪を測る。測る仕事だけが、旗局の命令として残っている。残った命令の下で、四度目の杭は出ない。出ない杭が、机の手の短い沈黙だった。
トオルは空の袋を、剣の届く距離で畳んだまま動かなかった。動かない数字の横で、彼は影の尾の振幅を読む。読んだ揺れが、さらに小さくなっている。小さくなった先で、黒い滲みの土が乾き始めている。乾き始めた傷が、抜け出しの力を削る。削られた影が、今日の七度目の勝ちの幅を、水なしで差し出した。
幅の中で、リリアの細身が初めて下ろされた。下ろされた柄が、川床の砂に小さな穴を作る。作った穴に水は湧かない。湧かない砂の上で、金髪の Sweat が塩の筋だけを残す。残した旗を、動けない影が見る。見る対象のまま、成体は土の中にいる。土の中にいるあいだ、誰も魔王とは呼ばない。呼ばない沈黙が、空の袋と、閉じた門と、本印のない空白のあいだに落ちている。落ちた沈黙の上で、防の結果が固定され始めた。固定は、斬り殺しではない。ではない勝ちが、第一部の竜の山を、水の尽きた中庭で支えている。
――第三十話 了――




