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前日譚 第三話 十七人目と、拾われる男

十七人目は、水を測りに来た。


石根の五枚目の田の縁に、靴底のきれいな娘が立っていた。辺境にしては布が白い。白い loc が、学院の末端だとすぐに分かった。名はエリス。神殿付きの記録見習いを自称し、実のところは聖槍学院の徴用下吏の娘だった。父親が辺境の「余剰」を数える。数えた先に、使える手先と、使える娘と、使える田がある。


「水位が上がっている。上がっている村は、上がっていない村から人を吸う。吸った人口は学院の管轄です」


エリスの声は事務的だった。事務的な少女ほど、 Sweat の場所が少ない。少ない loc が、かえって目立つ。日射の中で銀に近い髪が頬に触れ、薄い記録用の袖が肘の内側だけ湿っている。十六人の労働の匂いの中に、石鹸の残滓が混じった。


トオルは石板を見せた。ネルが刻んだ白い線。去年、今年、開いたあとの三本。


「吸わないように、分けている」


「分け方は、学院が決める」


「学院が来る前に熱病が来る。熱病のあとに、あなたたちの数字は減る」


エリスが目だけ細めた。セレナが後で人を容量で見る目に似ていた。似ているから、トオルは敵意を持たなかった。敵意より先に、手順の共通言語があった。


その夜、エリスは帰らなかった。


帰らない理由を、本人は「記録が足りない」と言った。足りない記録の横で、カヤの羊が鳴き、サナの石垣が冷え、ユイが種袋を抱き、アシュの裂けた袖が焚火で乾く。リンとメイが水の番をし、シリカが風を嗅ぎ、リィズが薬を煎じ、ファナが槍の石突きを地面に落とす。ミナが石を転がし、ネルが次の線の位置を指で測る。十六の輪の外側に、十七の白い袖が座った。


「乗せる。ただし袋は分ける」トオルが言った。


「神殿は同じ口を神聖だと言います」


「神聖でも菌は移る。名前はどうでもいい」


リィズが小さく息を吐いた。吐いた熱が、銀緑の耳の内側を湿らせる。エリスは反論しなかった。反論しないことが、十七人目の加入の形だった。ハーレムは告白で増えない。残る場所がなくて増える。増えた十七を、遠くの男たちは欲望の列と呼ぶ。中にいる側は、給水対象と呼ぶ。


ウハウハは、その週が頂点だった。


麦色が田に戻り、腹の鳴る音が減り、ワゴンの天蓋の下で十七の呼吸が揃う。揃った夜に限って、山の腐臭が濃くなった。シリカが立ち上がる。緑がかった茶髪が汗で張り、弓の弦が指に食い込む。


「湖が、尾を巻いてる。前は風だった。今夜は肉だ」


トオルは青銅剣を布から出した。出しても輝かない。輝かない刃を、十七はもう見慣れていた。見慣れたものが、次の朝には荷物の底へ戻る。戻す理由が、朝一番で届いた。


学院の徴用状だった。


白い封印。聖槍の紋。文面は短かった。辺境石根および付属人口は、渇水非常の補給要員として学院都市へ抽出する。抽出対象は、健康な手足と、記録の読める者と、余剰の娘。田は保護領とする。保護の中身は、収穫の半分と、用水の鍵だった。


エリスの父親の文字だった。


「私が書いたわけではない」エリスが言った。白い袖が初めて汚れたように見えた。「でも、来ます。来ないふりをすると、焼かれる側になります」


ミナが石を握った。カヤが羊の角を持った。サナが石垣の隙間に手を入れた。ファナの槍が朝日をすくう。リィズは薬箱を開けたまま閉じない。ネルが石板を胸に抱く。シリカが「置いていかないで」を飲み込んだ。十七の輪が、一度だけ小さくなった。


トオルは輪の外側に立った。


「田は残す。ワゴンも残す。剣も残す。残さないと、次の部族が溝を埋める」


「あんたは」アシュの掠れた声が聞いた。


「拾われる。拾い物は一番下だ。一番下なら、鍵を持っていると思われない」


リンが夜色の髪を払った。払った拍子に、薄い胴着が腹に貼り、走ったあとの熱だけが残る。


「一番下で、また水を運ぶの」


「運ぶ。運んだ先で、川の死に方を数える」


ユイが種袋をトオルの手に押しつけて、すぐに引っこめた。メイが何も言わず、ワゴンの車輪を撫でた。エリスだけが、記録板を自分の荷に入れた。入れることが裏切りにも、護衛にもなる。十七の政治は、まだその程度で済んでいた。済んでいるうちに終わる必要があった。


出発の朝、トオルは誰の髪にも触らなかった。


触ると所有になる。所有した男が学院に入ると、クイーンビーたちの視線の燃料になる。燃料になると、第二部の旗になる。彼は旗より先に、減水の白い線を頭に入れた。入れたまま、皮袋だけを担いだ。青銅はワゴンの底板へ。スキルは眠らせた。眠らせた男は、辺境の孤児院上がりにしか見えない。


シリカが最後に言った。


「森の耳は、学院の尖塔より先に風を聞く。湖が動いたら、追いつく」


「追いつくな。追いつくと、十七がポスターになる」


「ポスターじゃ、水位は刻めないから」


リィズが洗った手を振らずに薬の小瓶を渡した。瓶のガラスに、彼女の指の汗が点で残る。ファナが「帰ってきたら数字見せろ」と二度目を言い、ミナが「変な子」と短く笑った。笑いの下で、十七の匂いが一度に風下へ流れた。森、羊、土、灰、石鹸、薬草、少女。男なら物語の味付けにする。トオルは風向きだけを覚えた。


石根を出た。


出た男を、徴用の従者が「拾い物」と呼んだ。呼んだ瞬間から、カーストが上書きされる。上書きされた loc で、彼は学院都市までの三日を歩いた。歩いた道の両側で、川が白骨の石ころに変わっていく。桶と鋤が泥に埋まり、遠くの山陰に尾だけが巻いている。竜だ、と村では言う。神罰だ、と神殿では言う。トオルは減水の階段を数えた。一昨年。昨年。今年。整いすぎている。竜一匹の喉にしては、広い。


三日目の朝、聖槍学院の尖塔が乾いた空に刺さっていた。


その手前で、美少女たちが走っていた。


「遅い! 呼吸を肩でするな、腹で切れ!」


声の主は、朝日を背負った金髪だった。リリア・ヴァイスクロイツ。白い訓練胴衣の背中が、すでに汗で布目まで透けかけている。振り上げた木剣の下、二の腕の内側が一瞬だけ開く。脇の影。清潔なはずの学院石鹸とは別の、走ったあとの熱い匂いが、風下の村男たちまで届いた。


誰も、川の死骸より先に、そちらを見ていた。


世界は滅びかけている。なのに、一番目立つ場所には、一番きれいな女子が立っている。


――おかしな話だ、とトオルは思った。


皮袋を抱えて列のいちばん後ろに立つ。十日前まで、こちら側の十七人の輪の中にいた。輪は田に残した。残した手が、今は給水用の紐を握っている。剣の才もない。魔力も薄い。あるのは、死ぬ前に読んだ本の残りかすと、開いた溝の感触と、この世界の人々がまだ持っていない壊れ方の地図だけだ。


「おい、拾い物。Recruits に水を回せ」


隣の年嵩の従者が顎で示す。拾い物、がトオルの公式な地位だった。辺境の孤児院から学院の馬小屋へ流れ着いた補給係。ワゴンも、青銅も、十七の名前も、公式には存在しない。存在しない loc で、彼は砂地を横切る。


リリアが足を止め、木剣を肩に担いだ。金髪が汗で頬に貼りつく。彼女は最初から完成している人間だった。家柄、顔、成績、武芸。スクールカーストという言葉を、この世界の誰も知らない。知らないまま、同じものを運用している。


トオルは袋の重さを測った。測りながら、石根の白い線と、エリスの記録板と、シリカの風を頭の奥へしまった。しまったものは、斬ったあとにしか語らない。語るな、と後でリリアが言う。言う前に、彼はすでに決めていた。


斬っても、雨は戻らない。


戻らない川の手前で、美少女たちの汗が朝日に散る。第一の竜は、まだ名前を待っている。待っているあいだに、拾い物は二十袋を用意する。用意した先で、本編が始まる。


乾いた風が、河原の石を鳴らした。


――前日譚 第三話 了


本編第一話『汗の朝と、死んだ川』へ直結。

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