前日譚 第二話 剣のない部族と、ワゴンの影
石根の湧水を開いてから、二十日で次の部族が来た。
名は赤荊。剣を持たない。持つのは火hardenedした木槍と、石斧と、焼いたロープだ。金属は神殿の独占で、辺境の男たちは青銅すら祭器扱いする。祭器で人が死ぬとは思っていない。思っていない相手が、いちばん斬りやすい。
トオルはそれを喜ばなかった。
喜ぶと英雄になる。英雄は次の請求書を払う。
「数は三十。うち戦士は十八。残りは奪う側の補助」
シリカが獣道の泥を指でなぞった。緑がかった茶髪が額に張り、耳の尖端が汗で光る。半エルフの嗅覚は、人間より半日早い。ファナの短い槍がワゴンの横板に立てかけてある。ミナは石を三つ、胸の前の布の隙間に忍ばせていた。労働で薄くなった布が呼吸のたびに貼り、鎖骨の泥が乾いて白い線になる。
「剣、出すの」ミナが聞いた。
「出す。ただし見せびらかさない。見せると次が鋼を探しに行く」
青銅は短い。短いからワゴンの荷台の陰に隠せる。トオルは柄を握った。スキルは光らない。光ると物語になる。なると学院に届く。届く前に、田を増やしたかった。
赤荊は峡谷の入り口で待ち構えていた。常套だ。狭い道で荷車を止め、女と種を取る。取ったあとで村を焼く。焼いた跡に自分たちの羊を放つ。水源を囲う黒牙より古いやり方で、だからこそ人数が多い。
トオルはワゴンを止めなかった。
止めると壁になる。壁になると斬られる側になる。走るワゴンは、剣のない集団にとって未知の獣だった。天蓋が風を孕み、水樽が重心を下げ、馬が一頭なのに人の押しが加わる。ファナが左輪を蹴り、シリカが右の車輪の石を払う。ミナが荷台から石を投げ、先頭の石斧持ちの額を外した。外しただけでいい。外すと列が乱れる。乱れたところへ、トオルは降りない。荷台の縁から身を乗り出し、短い刃で槍の柄だけを払った。
木は金属に負ける。負けることを、赤荊はまだ身体で知らない。
一太刀目で三本の槍が短くなった。二太刀目で、先頭の男の膝の腱が開いた。血は少ない。少ない斬り方を、スキルは選ぶ。殺す量より、列を崩す量。崩れた十八は、残りの十二を守れない。守れない補助の列から、若い女が先に目を見開いた。
トオルはそこを斬らない。
斬ると所有になる。所有すると次の族長になる。族長になると水が人格に結びつく。結びつくと、後の魔王と同じ形になる。彼は形だけ先に知っていた。
ワゴンは峡谷を抜け、赤荊の仮営を轢いた。轢く、というより車輪が柵を倒した。倒れた柵の向こうに、囲われていた娘が六人いた。手足を縛られていない。縛る縄より、逃げる先の水がない。水がない場所では、囲い自体が鎖になる。
「出るなら今だ。出ないなら、ここの湧水の数字を渡せ」
トオルの声は高くない。高くすると勇者に聞こえる。低くても、ワゴンの影が長い。影の中でリィズが薬箱を開け、熱のある子供の額を見た。銀緑の耳が揺れ、白い袖が肘までまくれ、手首の静脈が透ける。ネルがシリカの膝に顔を埋め、ファナが槍の石突きで地面をトントンと打つ。打つ音が、残兵の足を止めさせた。
赤荊の族長は逃げた。逃げた跡に、石斧が十二残った。トオルは斧を拾わない。拾うと武装集団になる。武装集団は学院の徴用対象になる。対象になると田が没収される。彼が欲しいのは没収されない農地だった。
その夜、囲いから出た六人のうち四人はワゴンに残った。
一人は赤髪に近い茶。名はカヤ。羊の世話をしていた手に、まだ脂が残っている。薄い上着が焚火の熱で張り、脇の影が腕を上げるたびに開閉する。二人目は黒髪のショート。サナ。石を割る仕事をしていたせいで、肩が男並みに厚い。厚い肩に少女の鎖骨が乗っているのが、この世界の残酷さだった。三人目は亜麻色の長い髪。ユイ。言葉が少ない。少ないぶん、水を飲む順番だけは間違えない。四人目は幼い。トオルは名前を後回しにした。後回しにすると所有欲が数字に負ける。
「なんで殺さない」カヤが聞いた。
「殺すと穴を埋める手が減る」
「穴」
「用水路だ。お前たちの仮営の下に、古い溝がある。溝を洗えば田が二枚増える」
サナが鼻で笑った。笑った拍子に、汗と羊と鉄のない世界の匂いが混ざる。男たちなら「戦場の味」と呼ぶ。トオルは「密集の指標」と記録した。記録しているあいだは、視線を固定できる。固定することが、ここでは礼儀であり、権力の拒否でもあった。
翌朝から溝を洗った。
塩を流し、マメを先に植え、排泄を水源から離した。赤荊の残った老人が「神罰が移る」と言った。リィズが「神罰でも菌は移る。名前はどうでもいい」と返した。ミレイユが後で言う言葉の、先走りだった。先走りは村では通る。学院では通らない。通らない場所へ、トオルはまだ行かない。
十日で芽が出た。
二十日で、隣の枯れ扇状地まで溝を伸ばした。ワゴンは移動する本部になった。昼間は車輪が土を踏み、夜は天蓋の下で少女たちが肩を並べる。人数は十二。十七には足りない。足りないことが、トオルには都合がよかった。十七は象徴になる。象徴は旗になる。旗は帝国に拾われる。
シリカが夜営の入口で弓を握ったまま呟いた。
「また来る。剣のない部族は、剣を見た側が噂する」
「噂させておけ。噂の中身を“勇者”にするな。“溝を洗った男”にしておけ」
「溝じゃポスターにならない」
「ならならなくていい。ポスターになった女の子は、あとで捕虜になる」
リィズの耳がわずかに動いた。ファナが「じゃあ私は槍のポスターだ」と軽口を叩く。軽口の下で、誰もが身体を知っている。戦う女子は綺麗なままではいられない。汗は透かし、布は貼り、土は匂いを残す。トオルはそれを見ないふりをしない。見ないふりをすると、見ることが隠れた所有になる。見ることを計量に変える。給水量、隔離、種、水位。数字の列のいちばん下に、十二人の名前が並ぶ。
三番目の部族は、自分から来なかった。
トオルの側がワゴンで越えた。越えた先は、石根より乾いた台地だった。名もなき小集団。男は十一。剣はない。あるのは罠と、子供の泣き声と、地面に描かれた水位の呪いの印だった。印を信じているあいだは、溝を掘らない。掘らないから死ぬ。死にかける側が、最初に少女を差し出した。差し出すことが生存戦略だった時代の、一番古い形だ。
トオルは受け取らなかった。
受け取ると取引になる。取引になると、次は妹を出す。出す側の論理を、彼は本で知っていた。知っているから、代わりに溝の位置を示した。示したあとで、差し出しに出された二人の娘が、夜になってワゴンの車輪に触れた。
「置いていかないで、は言わない」年上のほうが言った。髪は夜色。名はリン。年下はメイ。リンの下着鎧に相当する薄い胴着が、走ってきた汗で腹に貼りついている。学院のリリアたちほど美しくはない。美しくない loc が、生存には正直だった。
「乗せる。水は分ける。同じ口を付けるな」
「冷たい」
「冷たいほうが数字が持つ」
十四人になった。
田は五枚になった。五枚目の縁で、カヤが羊を二頭飼い始めた。サナが石垣を積み、ユイが種の袋を数え、ミナが石を投げて烏を払い、シリカが森の苗を田の風除けに挿す。リィズの薬が熱を一人分減らし、ファナの槍が盗賊を遠ざける。ネルが水位の白い線を石に刻む。刻む仕事を、トオルは誰より先に褒めた。褒める対象を剣ではなく記録に置く。置くことが、このハーレムのOSだった。
ウハウハ、と村の老人は言った。
腹が鳴る夜が減った、という意味だ。意味以上の贅沢はない。ない場所で少女たちが並ぶと、男の目は並び方を所有に翻訳する。翻訳させないために、トオルは誰の髪にも触らない。触らない代わりに、夜の給水は自分で回した。回す手が、リィズの洗った手首と重なる。重なった熱だけが残る。残る熱を、彼は「密集」と「夏」と「人体は川が死んでも水を出す」という三つの項に分解した。分解しているあいだは、物語に負けない。
十五人目は、焼き打ちの煙の中から出てきた。
剣のない部族が、剣を見た噂を恐れ、先に隣村を焼いた。焼かれた側に残ったのが、灰かぶりの金髪だった。学院のリリアほど整っていない。整っていない金发が、汗と灰で頬に張り、片方の袖が裂けて二の腕の内側を見せる。名はアシュ。声が掠れている。掠れた声で最初に言ったのは助けて、ではなかった。
「水、どこ」
トオルは皮袋を渡した。渡した順番が、ここでは所属になる。所属した少女は、翌朝から溝を洗った。洗った手でワゴンの車輪を撫で、「これ、速い」とファナと同じことを言った。同じことを言う娘が増えると、ワゴンは兵器ではなく村になる。村になると守りが増える。守りが増えると、次の部族は寄りつきにくい。寄りつきにくい場所に田が広がる。広がった田の真ん中で、トオルは青銅剣を布に巻いた。
巻く理由を、リンが聞いた。
「隠すの」
「見せると、向こう側も剣を探し始める。探し始めた相手は、もう木槍のまま来ない」
「じゃあ今のうちに、もっと倒す?」
「倒すのは最後にする。先に測る。測れない水は、斬っても戻らない」
アシュの裂けた袖から、走ったあとの熱い匂いが風下へ流れた。十四人の匂いがそれに重なる。森の樹脂、羊、土、石鹸のない少女、薬草、熱の名残。男なら宴の味付けにする。トオルは風向きと隔離小屋の位置を書き換えた。書き換えた石板の端に、ネルがまた白い線を一本足した。
十六。十七には、まだ一本足りない。
足りない夜に、山のほうから甘い腐臭が混じった。シリカが鼻を鳴らす。カヤの羊が騒ぐ。リィズが薬箱の蓋を閉めた。ファナが槍を握り直す。ミナが石を一つ、掌で転がす。
「湖が動いてる」シリカが言った。「前より近い」
トオルは空を見た。衛星はない。あるのはワゴンの車輪の跡と、五枚の田と、剣を持たない部族が三つ減ったあとの静けさだけだ。静けさの先に、学院の尖塔がまだ見えない。見えないうちに、彼は十六の名前を暗記した。暗記は所有ではない。所有にしないための、手順だった。
「明日、溝をあと一本」トオルが言った。
「はい」と十六が、ばらばらの声で返した。ばらばらなのに、給水の列だけは揃う。揃う光景を、遠くの男たちはハーレムと呼ぶ。中にいる側は、ただ水の順番と呼ぶ。呼び方が違ううちは、まだ帝国の旗にならない。
ワゴンが朝日を切り、田の水面が短い刃のように光った。光の奥で、枯湖を巻く黒い線が、またゆっくり動いた。
竜か。風か。次に剣を持ち始める人間か。
トオルは柄の布を締め直した。締め直した手は、誰の肩にも置かない。置かない男の周りに、汗で貼りついた袖が十六枚、風に鳴った。
――前日譚 第二話 了




