第二十五話 再捕捉
川床の影は、線の再送を待って止まっていた。
止まっている鼻が、折れた杭の匂いを何度も拾う。拾う先に線はない。ないことを、甘い息が下流へ吐いて確認する。確認のあいだに、石垣の日陰でリリアの旗が Sweat を冷ましている。冷ました背中を、影の目が探している。探している限り、再捕捉は完了していない。完了前が、閉じた門の残り時間だ。
「動かない」アリアが石垣の端から報告した。「動かない鼻が、門の外を一度だけ見た。見た先は、外套の男だ。男が杭を打たないあいだ、影は待機している」
待機。誘導局の成体は、線が消えると旗か、次の杭を待つ。待つあいだを、キリカが本数の外で測った。測った声が、日陰の柱から短く落ちる。
「待機は机の癖だ。癖のあいだに、旗を再捕捉させるな。再捕捉されると、門の正面へ引き戻される。引き戻す前に、川床のさらに下へ一点だけ光を置け。光は水ではない。水に見せる砂だ」
砂。トオルが四袋のひとつから、水は出さなかった。出さない代わりに、乾いた川床の白い砂を盾の裏で集める。集めた砂に、空の縁の殻と同じ色を混ぜる。混ぜた山を、剣の届く距離でリリアに見せる。
「甘さの残る砂です。殻の粉を混ぜれば、鼻が一度だけ寄る。寄った先は、門から遠ざかる方向です」
「置け」リリアが短く命じた。命じた金髪は日陰で張りついたまま、頂点の形が斬る側の旗を維持している。「置く人間はアリア。旗は動かない。動かない旗が、再捕捉の標的を薄くする」
アリアが石垣を下り、川床の縁まで低くすり寄った。寄った赤髪が Sweat と砂で一色濃い。濃い匂いを、影の鼻が一度拾いかけて、杭の匂いに戻る。戻った間に、白い砂の山が下流側へ置かれる。置かれた山を、セレナが石垣の上から角度で確認する。
「門の射線の外。外の山に、鼻が寄れば勝ちだ。寄らなければ、旗が動く」
寄った。
影の頭が、白い砂の甘さを嗅いだ。嗅いだ鼻が、殻と同じ記憶を川床の下流に探す。探す体重が、さらに半歩落ちる。落ちた先で、門の正面が完全に空く。空いた厚みを、ミレイユが医の顔で測る。
「臭いが門から切れた。切れた肺は、内側で持てる。持てるあいだに、再捕捉を許すな」
許すな。リリアは日陰から出なかった。出ない旗が、Sweat の光を石垣の影に隠す。隠したあいだに、外套の男が門の外で動いた。動いた手が、折られた起点の隣へ、二本目の短い杭を打とうとする。打つ前に、石垣の弓が土を弾いた。弾かれた杭が、また足元で折れる。
「送り直しを、二度折った」アリアが息を切らしながら戻った。「二度目の焼印も、同じ手だ。同じ手を、帳面へ」
帳面。セレナが九枚目の隣へ、十枚目を写す。写した形が、物証の棚を厚くする。厚くした紙を、クラッドが石垣の下から見上げて笑った。笑いの香水は薄い。薄い口が、右隣のつもりで日陰の旗を探す。
「砂で誘っても、影は残る。残った影を斬れ。斬れない旗は、空の責任を負ったままだ。負ったままの慈悲を、机は外で待つ」
「外で折っている」防衛卿の声が、遠くから落ちた。「折った先の本印は、出さない。出さないあいだ、待機は待機だ」
待機。影が、白い砂の山を何度も嗅いだあとで、頭を上げた。上げた目が、日陰の旗を見失っている。見失った鼻が、門ではなく下流のさらに低い方を向く。向いた先に水はない。ない川床が、今日の三度目の勝ちだった。
勝ちの直後に、影が尾を振った。
振った風が、石垣の砂を上げる。上がった砂の中で、リリアが細身を構えた。構えた位置は、再捕捉を許さない距離だ。許さない旗の Sweat が、日陰から一滴だけ落ちる。落ちた滴を、影の目が捉えかけた。捉えかけた瞬間、トオルが床の砂を蹴った。蹴った音が、鼻の軸を一度ずらす。ずらした間に、旗が日陰の奥へさらに半歩入る。入った背中が、再捕捉の線から外れる。
「外れた」キリカが言った。「再捕捉は失敗している。失敗した鼻は、机の次の杭を待つ。待つあいだに、内側の袋が減る。減る袋を、候補生の喉だけで持たせよ。持たせた時間が、川床の勝ちを延ばす」
延ばす。トオルは四袋を三と少しに数えた。数えた数字を、剣の届く距離で置いたまま、彼は川床の足幅を追う。追った先で、影は動かない。動かない待機が、線の再送を机に要求している。要求のあいだ、閉じた門の内側は緊急の所管のまま。所管の下で、誰も魔王とは呼ばない。呼ばない沈黙が、白い砂の山と日陰の旗のあいだに落ちている。
門の外で、空の樽の箍が石に転がった。転がった音を、外套の男が日程の誤差として処理する。処理した顔の奥で、手の角がまだ出ない。出ない角を、成体の待機が待っている。待っている川床に水はなく、旗は日陰にあり、本印は引き出しの中で眠ったままだ。
――第二十五話 了――




