第十四話 帳面の外
夜の帳面は、セレナの膝の上で乾かなかった。
乾かない理由はインクではない。減る側が先に動くからだ。門の外の六樽は、夜明け前に五になっていた。五は三百リットル。四リットルで割れば一日に届かない。届かない数字を、副長は別紙の外へ書いた。書いた紙に、預かり番号はない。ない紙が、開かない引き出しの隣に置かれる。
「搬入なし。減少一。行き先は厨房裏と男子棟の桶。印なし」セレナが短く読んだ。読んだ声は容量の声だ。容量の声が、評議会の末尾より先に机を持つ。
リリアは帳面を受け取らなかった。受け取らない代わりに、剣の届く距離でトオルに顎を向けた。向ける金髪は解いている。解いた Sweat が夜気で白く、頂点の形が旗の仕事を一日終えた顔になっている。
「測れ。量と、誰の桶か。誰、は名ではない。棟と印だ。名を書くと、飲む側が敵になる。敵にした廊下は、明日の喉で私を負かす」
測る。家なしの仕事は、袋から帳面へ移っている。移った仕事を、トオルは門の石で始めた。石に残る箍の跡。水滴の向き。厨房裏の別印の桶が二つ、空で伏せてある。伏せた桶は、病人用ではない。ではない印を、ミレイユが鼻で確認した。
「きれいな水だ。きれいな水が、空の井戸の隣で消えている。消えた分は、円筒には戻らない」
戻らない。六十リットルが見せた指二本と同じ論理だ。同じ論理を、クラッドが朝の廊下で先に使う。使う香水は薄い。薄い理由は、彼もまた印のない水を含んだからだ。含んだ口が、男子一位の免除を自分で破り続けている。
「帳面を書くのはいい。書いた帳面で、飲むな、を復活させるな。復活させれば、旗が渇きの敵になる。敵になった旗に、保護の予備は似合う」
似合う。旗局の完成文が、再び右隣から落ちる。落ちた文を、リリアは木剣で斬らない。斬らない肩の布が、朝練の Sweat で貼りつく。貼りついた旗を、飲む側が見る。見る距離は、昨日より近い。近い理由は、水がまだ門の外にあるからだ。あるあいだ、権威は量に負ける。
アリアが山の線から戻ってきた。赤髪が粉と Sweat で一色濃い。濃い匂いが、樽の湿った木を殴る。
「段がもう一つ始まった。昨日の段の上に、石を載せている。載せる人数は二十のまま。鎖の見張りは四人。四人のあいだで、鉄が鳴った。鳴っただけで、外れてはいない」
四人。完成に近づく音だ。音を、キリカが藁の上で本数に足した。足した顔が、初めて帳面のほうを見る。
「帳面は喉の証拠だ。喉の証拠は、本印がないことを証明する。証明したまま、段が揃うと、鎖のあとが実物になる。実物の前に、本数が足りない」
足りない。平原までの杭と、石の段と、残りの樽が同じ紙に並ぶ。並んだ紙を、トオルは剣の届く距離でリリアに返した。返した数字は、昼までに四樽になっていた。四は二百四十リットル。明日の喉を半分だけ濡らす量だ。
「四リットルなら半日強です。二リットルでも一日半。山の段がもう一つ積まれる前に、門の外は空になります」
「空になったあとに、次の車が来る」リリアが言った。言う声は、嫌いだ、の熱を残している。「来る車に本印が乗っていなくても、喉は受け取る。受け取った学院は、予備の顔になる。顔になったあとで、鎖が外れる」
外れる順番を、防衛卿はまだ扉の内側で聞いていない。聞いていない空白が、帳面を別紙の外へ出せ、という娘の命令を黙認している。黙認は印ではない。印ではない空白の下で、セレナの字が正確に増える。
夕、門の外の樽は三になった。
三は百八十リットル。候補生だけが飲めば一日半。全員が口を付ければ半日。半日の水を、下級生が桶で運ぶのを、アリアが槍の石突きで止めた。止めた位置は門ではない。厨房の裏口だ。裏口の印が、夜間加速のそれと同じ形をしている。
「病人用じゃない。印が違う。違う印の水を、空の井戸の隣で配るな。配れば、配った側が黒運河の喉になる」
止まる下級生の手が震える。震える理由は叱責ではない。喉だ。喉を、リリアは遠巻きに見た。見た目は女王蜂のまま、数字を読む目だけが帳面を追う。追った帳面に、自分の名はない。ない名が、旗を渇きの敵にしないための細工だった。
キリカが影から短い声を置いた。
「三樽は、明日の朝まで持たない。持たない朝に、段がもう一つ揃う。揃った段を、鎖の見張りが確認する。確認したあとで、外す側が来る」
外す側。紙の本印より速い完成だ。速い完成を、トオルは六袋の残と並べた。並べた答えは、山へは出られない、だ。出られないあいだに、喉が契約を先に履行する。履行した帳面を、セレナは別紙の外へ置き続けた。置き続けた紙に、焼印はない。ない紙が、第十四の夜の物証だった。
東が白い。白い門の外で、三樽の木が熱を返す。返す熱は救済の顔のまま、学院の印を持っていない。持っていない水が、明日の喉を予約している。予約の向こうで、山の鎖はまだ外れていない。外れていないことが、紙より遅いだけの勝ちだった。勝ちは、水位を戻していない。戻していない勝ちを、帳面は正確に書き続けた。
――第十四話 了――




