第十三話 印のない喉
朝、門の外の樽が一つ減っていた。
減った分は、車が持ち帰ったのではない。箍の跡が石に残り、残った水滴が生徒の靴で踏まれている。踏んだ靴の持ち主は、名を言わない。言わない喉が、すでに救済を飲んでいる。飲んだ量は、評議会が入れないと決めた九樽の外側だ。外側の水に、学院の印はない。ない水を、渇きは所管より先に通す。
トオルは馬小屋の影で、減った箍を数えた。九が八。八は四百八十リットル。常用の一日にも届かない。届かない水を、廊下は「今朝は配給があった」と呼ぶ。呼び方が、見本を本契約にするより速い。速い習慣を、リリアは訓練の列で止めた。止めた木剣が、空の桶を持った下級生の前で止まる。
「門の外は交易の在庫だ。在庫を飲めば、飲んだ側が配給を認めたことになる」
下級生は桶を下げた。下げた手が震えている。震える理由は叱責ではない。喉だ。喉は、空の井戸の殻を昨夜から知っている。知っている体が、旗の命令より水を信じる。信じた水の匂いが、団長の Sweat と並ぶ。並んだ朝に、クイーンビーの権威が初めて量で負ける。
セレナが門の帳面を見た。見た数字は、書記の預かり番号より汚い。汚い字で、夜の減少が書いてある。
「正式な搬入はない。ないまま、一つ減った。減った樽の水は、厨房の裏と、男子棟の桶に分かれている」
厨房の裏。夜間加速の印が、今度は昼の救済に化けている。化けた水を、ミレイユが別桶へ戻そうとして、戻しきれなかった。戻しきれない量を、彼女は医の顔で置いた。
「拒めば倒れる。倒れた生徒を、空の責任で見るのは神殿だ。神殿は配給を加護と呼ぶ。加護と呼んだ水を、私は測ることしかできない」
測る。測った先で、アリアが門の外を走って戻った。赤髪が Sweat で一色濃い。濃い匂いが、樽の湿った木を殴る。
「山の線、人が増えてる。仮堰は直った。直った先で、石を一段積んでる。積む音が、杭の間隔まで聞こえる。鎖の側に、見張りが二人増えた」
二人。完成に近づく音だ。音を、キリカが藁の上で本数に足した。足した顔は、初めて門の樽より山を見ている。
「石が一段なら、まだ鎖は外れていない。外れていない。ただし段は、紙の本印より速い。速い段が揃うと、見るなと言っていた側が旗を見に来る」
旗を見に来る。余白の命令が、完成の日程で実物になる。実物を、クラッドが中庭で先に翻訳した。翻訳の香水は、朝から薄い。薄い理由は、彼も樽の水を一口含んだからだ。含んだ口が、男子一位の免除を自分で破っている。破った顔で、彼はリリアの Sweat を見る。見る位置は、まだ右隣のつもりだ。
「止め方が遅い。遅い団長の命令を、喉は聞いていない。聞いていない廊下に、配給はすでに始まっている。始まったものを、印がないから違法と呼ぶか。呼べば、違法の水で今日を生きた生徒が敵になる」
敵。カーストの語が、渇きの語に変わる。変わる廊下で、リリアは木剣を下ろした。下ろした肩の布が、朝練の汗で貼りつく。貼りついた旗を、飲む側が見る。見る旗は、もう水を止める権威ではない。止められない権威だ。止められないことを、彼女は父の部屋へは運ばない。運ぶと、空白が印に変わる。変わらないために、彼女は訓練を続ける。続ける Sweat が、空の縁に落ちる。落ちた滴は、六十リットルの跡より小さい。
トオルは八樽を、昼までに七と数えた。数えた減少は、公式の搬入ではない。ではない水が、候補生の桶に入る。入った桶を、セレナが帳面の余白へ書く。書く余白は、別紙と同じだ。同じ紙は、評議会が開かない。開かないあいだに、習慣が印を不要にする。
「四リットルで割れば、残りは一日と少しです」トオルが、剣の届く距離で言った。言う相手はリリアだけだ。「二リットルなら三日。三日のあいだに、山の段がもう一つ積まれる。積まれた段が、鎖のあと、を実物にします」
「実物の前に、飲むなとは言えない」リリアの声が、初めて量に負けたことを認めた。「言えば倒れる。倒れた責任は、私の旗に戻る。戻った旗を、平原の机は保護の理由にする」
理由。見本が本契約にならない代わりに、喉が契約を先に履行する。履行した学院を、黒運河はもう敵と呼ばなくていい。呼ばなくていい状態を、キリカは「予備」と呼んだ。呼んだ語は、門の三行にあった。
夕、山からの風が甘い臭いを少しだけ運んだ。
少し、が幼体の甘さではない。長い眠りの呼吸が、完成の段に近づいた匂いだ。匂いに、見張り二人分の鉄が混ざる。混ざった風を、アリアが鼻で嫌った。嫌った顔が、槍の石突きを地面に突く。
「外れてない。外れてないけど、近くなった。近くなった鎖を、九樽は止めない」
止めない。門の外の樽は、夕までに六になっていた。六は三百六十リットル。明日の喉を濡らす量で、円筒を戻す量ではない。ない水を、生徒は明日も飲む。飲む習慣が、印のない配給の二日目になる。
リリアは空の縁に立った。立つ背中の Sweat が、日没で白く乾きかける。乾きかける旗を、飲む側が遠巻きに見る。見る距離は、カーストの階段ではない。水を持っている側と、持っていない側の距離だ。持っていない側に、団長がいる。いることが、今日の転倒だった。
「嫌いだは残す」彼女が影のトオルに言った。言う距離は、指定どおり剣の届く長さだ。「残したまま、三日を山より先に使う。使う中身は、飲むな、ではない。飲む量を測れ。測った帳面を、別紙の外へ出せ。出した帳面が、印のない配給の証拠になる」
証拠。破片が改修屑になったあとで、喉の帳面が次の物証になる。なる帳面を、セレナがすでに書き始めている。書き始めた字は正確だ。正確な字の横で、キリカが石の段を一本、本数に足した。
足した夜、門の外の木樽が熱を返し続ける。返す熱は救済の顔のまま、学院の印を持っていない。持っていない水が、明日の喉を予約している。予約の向こうで、山の鎖はまだ外れていない。外れていないことが、紙より遅いだけの勝ちだった。
――第十三話 了――




