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第九話 残党確認書

門は、二十袋より先に六袋を数えた。


数が減っている行軍は、凱旋に見えない。見えないものを凱旋に翻訳するのが、中庭の仕事だ。生徒たちが階段に並ぶ。並んだ視線の先で、リリアの胴衣は Sweat と白い粉を乾かしたまま貼りついている。貼った背中が門をくぐると、残党確認は勝利の予告になる。予告の横を、名乗らない少女が歩く。歩く位置は捕虜の列ではない。荷の陰だ。陰に置くのが、名目を守る最後の細工だった。


井戸を、トオルは見ないふりで見た。炭の線と水面のあいだが、出る前より開いている。開いた幅は指一本半の勝ちを全部吐いて、さらに沈んでいる。空ではない。空に見える物語には足りる。足りる沈み方を、神官は加護の減少と呼ぶ。呼び方を変えても、円筒の高さは変わらない。


「残党は」門衛が聞いた。聞く内容は所管の確認だ。所管の外の言葉は、ここでは質問にならない。


「確認した」リリアが答えた。答えは真実の一部だ。一部が、全部になる部屋へ運ばれる。


会議室は、出る前より紙が厚かった。厚い紙の上に、クラッドの同席が先に座っている。香水。神官正の副署。書記の預かり番号。番号の付いた破片は引き出しの中で眠ったまま、議題の横に名前だけを出している。名前は「夜間暗渠の改修屑」だ。屑になった焼印を、誰も机に並べない。


防衛卿が娘の泥を見た。見ても眉は動かない。動かない作法の横で、彼は先に結論の枠を置いた。


「報告は所管の語で書け。残党の有無。被害。帰還。それ以外は別紙。別紙は評議会まで開かない」


別紙。開かない紙は、印章のない破片と同じだ。存在するまま、七日の外へ落ちる。落ちる先で、鎖の付いた長い眠りは文章にならない。ならない文章を、リリアは一度だけ父の目に返した。返した目はクイーンビーではない。行軍の女だ。行軍の女の Sweat が、冷えた会議室でまだ匂う。匂うことが、すでに装飾だとクラッドは微笑む。


セレナが本文を読んだ。声は容量の声だ。


「幼体の足跡は小屋付近で途切れる。山側に作業営。営に仮堰。仮堰は流れを折っている。折っている以上、残党の誘導路は維持されている。維持の確認までが所管」


誘導路。残党の語の内側に、人の杭を滑り込ませる。滑り込ませ方が正確で、正確さが本文を所管に残す。残した本文の外へ、成体も平原の机も出さない。出さないことが、空白を刃にする技術だった。


神官正が咳をした。


「仮堰は人の業だ。人の業を竜の残党に含めるな。含めると、天の試しが工事になる。工事になった試しは、祈りの領分を侵す」


「含めていません」セレナが言った。「含めたのは誘導路だけです。誘導は伝承にある。伝承の所管は騎士だ」


伝承。観測の捨て台詞が、いま盾になる。盾の裏でトオルは六袋の残を数えていた。数える位置は席ではない。席でない男の数字は、本文に載らない。載らない数字が、三十六時間を決めた。決めた行軍を、クラッドが別の語へ翻訳する。


「仮堰に手を出したな。監督の俺が山にいないあいだに、改修を妨害した。妨害は交易を敵に回す」


「板に楔を噛ませた」リリアが短く認めた。「壊してはいない。壊す人数ではなかった。残党の誘導を一日遅らせた。遅延は討伐の一部だ」


一部。認めた瞬間に、クラッドの紙が厚くなる。厚くなった紙は、来週の評議会で「騎士が商人の水路を毀損した」と先に並ぶ。先に並ぶ議題が、破片の焼印をさらに後ろへ送る。送る技術は斬撃ではない。順番だ。


そのとき、扉の外でアリアが咳をした。咳は合図だ。合図のあと、名乗らない少女が書記に引かれて入る。入る位置を、防衛卿が初めて眉の近くまで動かした。動かした理由は人情ではない。分類だ。分類できない人間は、部屋の席次を壊す。


「何者だ」


少女は名前を、最初は言わなかった。言わない代わりに、杭の数を言った。二十八に近い間隔。真っ直ぐな線。鎖の長さ。鎖の先は山にない。ない先を、彼女は「手」と呼んだ。手が黒運河を動かしている。黒運河は組合の顔をした手の指だ。


「名前を」神官正が重ねた。「名のない口は、魔を呼ぶ」


「キリカ」少女が、やっと置いた。「キリカ・ブラックソーン。家はもうない。測らされていた。測る側の机は平原。机の男は、まだ呼ぶなと言われている。呼ぶと、この学院は保護領の手続きに入る。手続きより先に、鎖を外す」


鎖。本文に載らなかった長い眠りが、人名のついでに部屋へ落ちた。落ちたものを、防衛卿は別紙へ払う目をした。払う前に、トオルの位置を見た。見た目は、円筒を測る目と同じ種類だ。


「雑役。袋は」


「六です。出るとき二十。三十六時間の上限どおりです」


「上限で、鎖を見たか」


「尾の長さは幼体ではない。放たれていない。放つ条件は堰の完成、と紙にあった。完成を一日ずらした。ずらした分だけ、鎖は残っている」


一日。楔の成果はそれだけだ。それだけを、神官正は加護の継続と呼ぶ。呼び方を変えると、キリカの口は不浄になる。不浄な口を、クラッドがすぐ拾った。


「測量奴を本部へ入れるな。入れると、学院が帝国の内側を認めたことになる。認めるな。地下へ送れ。地下は捕虜の所管だ」


地下。先の男が渇きだけで書いた紙と同じ棚。同じ棚に入れると、キリカは証拠ではなく収容になる。収容は資源を食う。食う政治は、斥候のあとでいちばん重い。重いものを、リリアは所管の語で受け止めた。


「残党確認の案内人だ。案内は討伐の一部。一部は騎士団が置く。地下ではない。馬小屋の番も、雑役の横も、私の目の届く位置」


目の届く位置。剣の届く距離の、別形だ。別形でクイーンビーは、家なしと名なしを同じ影に置いた。置いた瞬間、クラッドの右隣が揺れる。揺れた席次を、香水では直せない。直せないものを、彼は来週へ送る目をした。送る七日のあいだに、井戸はさらに沈む。沈みは空ではない。空の物語には、もう十分近い。


部屋が散ったあと、中庭の井戸でミレイユが唇を湿らせた。湿らせた水の味を、彼女は医の顔で捨てた。


「厨房の夜が戻っている。戻った汲みと、詰まった暗渠が重なっている。指の勝ちは、もう帳簿にない」


アリアが槍を石に突いた。突いた Sweat が腕を伝い、夜間とは違う昼の匂いになる。


「キリカ、馬小屋でいいのか。狭いぞ。狭いほうが、旗にされなくて済むけど」


キリカは井戸を見なかった。見るな、と測る側で習った目が、残っている。


「旗は彼女だ」短い顎がリリアを示す。「私は数える。数えた杭が、平原の机まで何本あるか。本数を先に出すと、名前が来る。名前が来たら、残党確認は終わる」


終わる。名目の寿命だ。寿命の前に、リリアが影でトオルを止めた。止めた距離は、指定どおり剣の届く長さ。金髪は解いている。解いた Sweat が頰に張り、会議室の冷気をまだ残している。残した熱を、彼女は数字へ向ける。


「別紙は開かない。開かない紙に、鎖を書いた。書いた鎖を、父上は読んだ。読んで、評議会まで閉じる。閉じた七日が、井戸と競う」


「六袋では、また山へは出られません」


「出ない。次は平原ではない。次は、机が番号を起こすか、井戸が先に空の顔をするかだ。空の顔をしたら、黒運河が配給を置く。置く手が、呼ぶなと言われている名前になる」


名前。まだ角はない。ない角の代わりに、鎖と仮堰と預かり番号がある。番号の引き出しの中で、破片は焼印を隠したまま眠る。眠りの横で、キリカが杭の数を口の中で続けていた。数える声は、青春のベルより小さい。小さい声が、第二部の机までの距離を測っている。


東の石が、昼間の Sweat を返した。返す石の下で暗渠は詰まり、円筒は沈み、残党確認書は所管の棚へ納まった。納まった本文は正しい。正しい本文の外に、長い眠りが鎖を噛んでいる。噛んでいるあいだ、学院はまだ授業ベルで平和のふりをした。


――第九話 了――

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